鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーションについて

15年間引きこもって鬱と闘病した44歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を振り返っていきます。skipper1242でツイッターもやってます。

後輩の女の子とコミュニケーションが全く取れず、無視せざるを得ない④(過去編・1991年・15歳)

皆さんこんばんは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「後輩の女の子とコミュニケーションが全く取れず、無視せざるを得ない③(過去編・1991年・15歳)」の続きを書かせて頂きます。





前回の記事は、自分が中学の吹奏楽部で先輩らしく振る舞う事が出来なかった、という話でした。そして、最後のコンサートでの話も書かせて貰いました。今回記事では改めてこのKさんとの話を振り返って行こうと思います。自分は中学3年生の時に吹奏楽部でホルンパートのリーダーになってしまったのですが、後輩と何を喋れば良いのか全く分かりませんでした。そう、自分は彼らに吹奏楽部のあれこれやホルンを吹く上でのノウハウを何も教える事が出来ませんでした。それどころか、彼らとの日常会話すらままならなかったのです。




中でも1つ下のKさんとの関係は本当に難しかった記憶です。Kさんは可愛い女の子でしたから、ますます自分は彼女を目の前にするとテンパりまくってしまって喋る事が出来ません。自分はそんな姿をKさんに見られたくはなく、Kさんと距離が出来ていったのです。そしてKさんは大人しい女の子でしたから、自分に積極的に喋り掛けてくる事はなく、自分とKさんの間は何のコミュニケーションも無い状態が続き、不穏な空気が流れ出しました。




さらにタチが悪かったのが、当時の自分はそんな不穏な空気の責任をKさんに全てなすりつけていた事です。そう、当時の自分は自分自身のコミュニケーション能力の無さを完全に棚に上げて、「Kさんの方から喋り掛けて来ないのが悪い」と思っていました。今から考えるとまぁタチが悪い。だって、こちらが先輩ですし、しかも自分はパートリーダーですからね。喋り掛けなければならない立場なのは自分の方ですよ。そして、何より当時の自分は自分自身の事を何一つお喋り出来ない状態でした。クラス内で同性のクラスメートとのコミュニケーションすら困難になっていました。自分は幼い頃から日々の出来事や感情を家庭内で全く喋ってきていませんから、コミュニケーション能力が全く育っていなかったのです。




ですから、どう考えたってこの不穏な空気の責任は自分にありまさた。しかし、当時の自分は、まさか自分のコミュニケーション能力が皆無だとは気付いていませんし、パートリーダーとしての責任も自覚していません。こんな感じで自分は不穏な空気の責任をKさんに丸投げしていましたから、その空気はさらに不穏になり、冷戦状態に突入していったのです。




こんな状態が1年以上続いた後、自分は中学3年生の3月を迎え、吹奏楽部を引退する事になりました。この時期うちの部では1年の活動の総決算としてコンサートを開くのが恒例でした。そして、前回の記事でお話ししました通り、このコンサートの本番でKさんが泣き出してしまった、と。あの涙の理由は今となってはら全く謎なのですが、もしかしたら自分との冷戦状態で溜まったストレスが、あの時一気に涙となって外に溢れていてのかもしれません。しかし、もしかしたら全く違う理由かもしれません。ここら辺の真相は今となっては藪の中ですが、自分がKさんに大変申し訳ない事をしてしまった事には変わりはありません。




今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!





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