鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーションについて

15年間引きこもって鬱と闘病した43歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか過去を振り返っていきます。skipper1242でツイッターもやってます。

我が家のゴタゴタの歴史⑤

皆さんこんにちはスキッパーです!今日も見に来て下さりありがとうございますm(_ _)m今日も皆さんに自分の話を読んで頂けるかと思うと嬉しい気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事も併せてどうぞ。では、前回の記事「我が家のゴタゴタの歴史④」の続きを書かせて頂きます。



前回の記事は父親の開業と共に両親のメンタルが壊れていき、同時に小3の自分の心身も壊れていったという話でしたね〜。そんな感じで家庭内が戦争状態のまま4年が過ぎまして、自分が中1の頃少し環境が変わりました。それまで我々家族は父親が働く医院と同じ家に住んでいたのですが、引っ越す事になったんですよ。そう、それまでは父親が働く医院が1階で我々家族は2階に住んでいまして、居住スペースと仕事スペースが一体化していたのですが、我々家族だけ近くの別の借家に引っ越す事になったのです。(この前お話しした、父親が半ば騙される形で家を買わされる事になる話はこの1年後になります。)この引っ越しには2つ理由がありまして、まずこの引っ越しと同時に自分は公立中学校に入学する事になるのですが、その医院がある地域の公立中学校が荒れているという話があったんですね。なんかこう不良が多いとかそういう話。それでその話を聞いた母親が心配して、別の学区域への引っ越しを決めました。今から思うと、この母親の配慮は自分にとって有り難かったですね。引っ越した先の公立中学校は比較的同じような経済状態(中程度)の家庭の子供が集まっている小規模の中学でしたから、多少のいじめはありましたが、割合生徒みんな仲良かったですし、いわゆる不良もおらず、和やかな雰囲気の中学でした。とは言ってもその環境下での学校生活すらメンタルをやられていた自分には厳しいものがありましたから、これが荒れた中学の荒れた環境に放り込まれていたら、恐ろしい事になっていたような気がします。



もう一つの理由としては、父親が居住と仕事が一体化している状況下で仕事を続けるのがもはや限界に来ていました。開業してから4年の間昼夜を問わない往診の依頼が続き、父親はその全てに応えようとしていまして、深夜でも往診依頼の電話が来たら、車に乗って出かけていました。睡眠もかなり削られていたようです。元来超人嫌いで活動エネルギーも少ない父親が開業後は人が変わったかのように患者さんに愛想を振り撒き、サービスをし続けていた訳ですから、そりゃ限界も来ます。もちろんそこには開業したての医院の経営を安定させる為に頑張ろうという父親の気持ちもあったのだと思います。実際この頃のうちの医院の待合室は患者さんで溢れていました。この前の記事でうちの父親の人との距離の取り方には「大好き」と「大嫌い」の2択しかないという話をさせて貰いましたが、まさにこの4年間は「患者さん大好き」モードで診察してきました。しかし元来の父親は超人嫌いでエネルギー値も低い人間ですから、その頑張りには大きな無理が生じていた。いわば父親は本来の自分とは真逆の「患者さん思いの良いお医者さん」を演じていたとも言えます。そして、父親が真逆の自分を演じ続けるのには限界がありました。そこで引っ越しをし、居住と仕事のスペースを切り離す事で、診療時間以外の時間に往診の依頼の電話が来ても無視できるような状況を作る必要があったのです。




今日はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!m(_ _)m





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