鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーションについて

15年間引きこもって鬱と闘病した43歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を振り返っていきます。skipper1242でツイッターもやってます。

我が家のゴタゴタの歴史④

皆さんこんばんはスキッパーです!今日も見に来て下さりありがとうございますm(_ _)m今日も皆さんに自分の話を読んで頂けるかと思うと嬉しい気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事も併せてどうぞ。では、前回の記事「我が家のゴタゴタの歴史③」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事は祖母とニートの叔父が勝手にうちの近くに引っ越してきた事で、うちの家族のメンタルが壊れていったって話でしたね。うちの父親が開業し、この2人が引っ越してきた時期は自分が小3の頃なのですが、以前にもお話ししました通り、自分の思い出って小3以前のものには赤や青や黄色などの「色」が付いているのですが、小3以降の記憶ってすっかり色が落ちた灰色一色になってしまうんですね。小3以降の自分の思い出には色が一切ついておらず、ついているのはどんよりとした灰色のみなのです。( 子供を引きこもりやニートなどの社会不適合者に育てない為に親はどう子育てをすれば良いのか? )この事に気付いたのは、2004年に自分の過去をノートに書き出してからなのですが、この小3の頃何があったのかさらに思い出してみると、父親の開業があり、あの2人の勝手な引っ越しがあり、それに伴い両親のメンタル状況が急激に悪化した事を思い出しまして、「なるほど、小3以降の自分の記憶から色が無くなってしまったのは、家庭環境が戦争状態に突入した事によるものなのだな。」と、とても納得したのを覚えています。




さてさて、そんな感じで自分が小3の頃父親が開業をしまして、そこから夫婦仲及び家族全員のメンタルが急激に悪化していきました。自分の喘息が急激に悪化し、それにより週の半分くらい小学校を休むようになってしまったのもまさにこの頃ですし、学校でスポーツ系の友達とコミュニケーションが取れなくなっていったのもこの頃からです。ホント我が家は戦争状態に突入してしまいました。当時はファミコンが流行っていまして、自分も友達の家にファミコンをしに遊びに行く事があったのですが、友達の家で2〜3時間遊んだ後自転車で家路に着くとなんかすごく物悲しい気持ちになったのですよ。そう、これから自分が帰っていく家がとても物悲しく虚しい場所に思えていたのです。そりゃ家帰れば親が子供そっちのけで四六時中罵り合っているわ、夜中は連日喘息が出て呼吸が全然できず苦し過ぎて一睡も出来ないわでは、虚しくもなります。思い出してみると小3の時点ですでに自分の中には「厭世観」に近い感覚があった印象です。もう全てがただただ虚しく、全てに対して無力感を感じていました。そうそう小3の時点で限定的にですが離人感が出ていたというお話は前にしましたね。(〜家庭内におけるコミュニケーションの重要性と小3時の離人感〜高1で鬱を発症するまでの具体的エピソード②)ですから自分の中には「夢」や「希望」などのポジティブで明るい気持ちはこれっぽっちもなかったのです。自分の学生時代において「将来こんな大人になりたい!」とかそういう未来への明るい展望を描けた瞬間は1秒たりともありません。ただただうすらぼんやりとして出口の無い暗く苦しい日々が続いていき、その暗さ苦しさは日々増えていきました。同様に家に対する虚しい気持ちも小学校、中学校、高校、大学とずっと続いていきました。





今日はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!m(_ _)m




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