鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

カウンセリングに失望した話(2003年11月・27歳)

皆さんこんばんはスキッパーです!今日も見に来て下さりありがとうございますm(_ _)m今日も皆さんに自分の話を読んで頂けるかと思うと嬉しい気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事も併せてどうぞ。では、前回の記事「」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事は自分がバイトに復帰したって話でしたね。そう、尿管結石が収まりバイトに復帰したものの、さらに心身の鬱状態は悪化していまして、「廃人の中の廃人」みたいな状態でバイトしていたって話でした。バイト先の古本屋はお客さんが1時間に3〜4人くらいしか来ない暇なお店でしたから、たまに来るお客さんのレジ対応をしてればボロボロの自分でもなんとかこなせてしまうバイトだったのです。あとは店の開店・閉店作業をすればOK。そう、基本的に店番は1人でやっていましたから、バイト中漫画を読んでいても誰に注意される事もなく、ホント仕事量とコミュニケーションが極小のバイトでした。ただそんな超楽なバイトでしたが、当時の自分には辛くなりつつありました。尿管結石後の自分は、お店のレジ前に座り、漫画を読みながらお客さんを待つ事すら辛くなりつつあったのです。



このように尿管結石後の自分は、尿管結石事件による心身のダメージにより、いよいよ社会生活から脱落寸前になっていました。もう一つ尿管結石後に自分に起きた変化があるのですが、それは大学で受けているカウンセリングに対する気持ちです。自分は1つ目の大学でカウンセリングを2年間受けた後、2つ目の大学の学生相談室でもカウンセリングを受け続けていました。尿管結石が起きた時点でここでのカウンセリングも4年以上過ぎていまして、その間ずっと週に1回・1時間のカウンセリングを同じ先生にやって貰っていたんですね。それで4年間も話を聞いて貰っていると、自分的にこの先生とすごく仲良くなれてるような感覚がありました。この先生の所に相談に来る学生の中で4年間も毎週来る学生もそうそういなかったでしょうし、自分が先生にとっての「特別な存在」になれてるような気がしていたのです。なんだったら「もしかしたら先生はカウンセリング外の場面でも自分が助けを求めたら来てくれるんしゃないか?」的な所まで期待していた記憶です。そして、尿管結石事件が起こりました。ここで自分は現実はそうではない事を思い知りました。どんなに自分が尿管結石の差し込みでのたうち回っても先生は助けに来てはくれません。来てくれたのは殺したい程憎い両親でした。そりゃそうです。そもそも自分は先生に連絡する余裕なんて全く無かったですから、連絡していない状況で先生が来てくれる訳がありません。そして自分は入院して2日目くらいに学生相談室に電話し、「尿管結石で入院したのでしばらくカウンセリングに行けない」旨を伝えました。ここで自分は先生が病室お見舞いを来てくれる事を期待したのですが、全く音沙汰は無かったです。これにはがっかりしました。そう、当時の自分は社会からも家族からも完全に孤立していましたから、精神的に頼れる場所がカウンセリングしか無くなっていました。ですからカウンセリング外の時間も先生が自分のことを助けてくれる事を期待してしまっていたのです。カウンセリングが唯一の頼みの綱になっていましたからね。ただ今から考えると先生がお見舞いに来てくれなかった事は当然の対応だったと思います。カウンセリングの先生が親身になって相手をしてくれるのはあくまでカウンセリングの最中だけの話であって、それ以外の時間まで相談者の相手をする訳がありません。そんな事してたらカウンセリングの先生の身が持たないと思います。しかし当時の自分はカウンセリングに対して大いに失望した記憶です。「あぁ自分が本当に助けて貰いたい時に実際に動いてくれるのは、カウンセリングの先生ではなく、親なのだな」、と。




また、尿管結石事件を通じて、もう一つカウンセリングに対してがっかりした事があります。病院を退院後、自分はカウンセリングをまた受け始めたのですが、そこでこの尿管結石事件で受けた自分の心身のダメージについて全く上手く説明出来なかったのです。これまで自分はこのブログに尿管結石事件の一部始終を書いてきていますが、この文章量の1/10くらいしか、カウンセリングでは説明できなかった記憶です。そう、これはカウンセリングに非があるのではなく、自分の方の問題なのですが、当時の自分はこの尿管結石事件をほとんど言語化できておらず、そして心の整理もほとんどできていませんでした。ですから先生を前にしても自分はあの時感じた苦痛の1/10くらいしか喋る事が出来ず、そこに凄まじい歯痒さを感じたんですね。ですからカウンセリングで1時間尿管結石事件について話したにも関わらず、自分の心の中のはすごくモヤモヤして悲しく重苦しいままでした。それはその後カウンセリングを重ねても変わらなかった記憶です。これにより自分の中に「もしかしてカウンセリングでは自分の心の問題を解決できないのでは?」というカウンセリングに対する懐疑的な思いが湧いてきたのでした。





今日はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!m(_ _)m





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