鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーションについて

15年間引きこもって鬱と闘病した43歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を振り返っていきます。skipper1242でツイッターもやってます。

カウンセリング初回、号泣し続けた話(2004年10月頃)

皆さんこんばんはスキッパーです!今日も見に来て下さりありがとうございますm(_ _)m今日も皆さんに自分の話を読んで頂けるかと思うと嬉しい気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事も併せてどうぞ。では、前回の記事「学生生活に行き詰まりカウンセリングセンターの扉を叩く(2004年10月頃)」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事は自分が大学でカウンセリングを受け始める直前の話でした。そう、自分は大学3年の4月頃いよいよ大学生活に行き詰まっていたんですね。周りからクラスメートはいなくなり、鬱の悪化で体調はボロボロ。新しく始まったゼミにおいても周りと馴染めず、孤立感を半端なく感じていました。空手部の方では最上級生になりましたが、自分は2年間の空手部生活で体力・経験・自信を何一つ積み重ねていませんでしたから、最上級生らしく振る舞う事が何一つできません。その頃になると自分の空手部の同期は1人だけになっていまして、どちらかが「主将」のポジションに着かねばなりませんでした。当然責任の重い「主将」のポジションは彼に任せ、一応自分は副主将という肩書きにはなっていました。しかし、先程も書きました通り、自分は空手部の経験を何一つ積み重ねていまさんでしたから、全くもって後輩の面倒を見る事ができません。例えば空手の組み手におけるアドバイスとか、心構えとかそういう言葉が全く自分の中から出てこないのです。ですから全くもって副主将としての働きは出来ていませんでした。そして、それに対する情けなさやプレッシャーもかなり感じていた記憶です。そのような空手部内での居場所の無さを含めて、大学3年の4月頃の自分はいよいよ追い詰められていました。




さて、そのような状況で自分は大学内にカウンセリングセンターの存在がある事を知りまして、扉を叩きました。すると落ち着いた雰囲気の部屋に通されまして、しばらく待つように言われます。待っていると、35歳くらいの女性が現れ、「今日はどうしました?」と穏やかな笑顔で質問を投げかけてきました。その女性がカウンセリングの先生だったのですが、自分はその質問を聞いた瞬間から、堤防が決壊したかのように泣き始めたのです。そう、号泣でしたね。「うぇ〜ん」って感じ。嗚咽と涙と鼻水が止まりません。「今日はどうしました?」という問いに答えようとするのですが、涙と嗚咽と鼻水が止まらず、一向に会話が前に進まないのです。それで15分くらい号泣していますとさすがに涙と嗚咽が収まってきまして、自分は先生が投げかけたその「今日はどうしました?」に何か答えようとしました。ところが何か答えようとするとまた涙と嗚咽が止めどなく溢れてきてしまうんですね。そこからまた15分くらい号泣です。それで15分くらい経つとようやく涙と嗚咽が収まってきまして、自分は先生からの問いに答えようとするのですが、また再び涙と嗚咽って感じで、その後もそれの繰り返しです。結局その日は1時間のカウンセリングの間何も喋る事はできませんでした。ただひたすら泣いただけでカウンセリングの初回は終わってしまったのです。





今日はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!m(_ _)m





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