鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーションについて

15年間引きこもって鬱と闘病した44歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を振り返っていきます。skipper1242でツイッターもやってます。

空手部引退を半年後に控え、けっこうな開放感が発生(過去編・1997年10月・21歳)

皆さんこんにちは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「空手部を「生きて」引退できるイメージ(過去編・1997年10月・21歳)」の続きを書かせて頂きます。



前回の記事は、自分が大学空手部引退を半年後に控え、少しだけ気持ちの余裕が出て来た、という話でした。大学3年生の10月頃の話になります。そう、空手部の夏合宿を乗り越える事が出来ましたし、大学に休学届けを出したので今後授業には出なくても良い状態です。自分的に空手部の中で一番辛いイベントが夏合宿でしたから、これが終われば恐怖感は徐々に右肩下りになっていくイメージでした。空手部引退まではあと半年。あと半年間に残されたイベントは、秋の通常稽古と春合宿のみです。ここに来て自分はようやく「空手部を『生きて』引退出来るイメージ」を持つ事が出来る様になっていました。ここまで来ればなんとか空手部に殺されずに引退出来そうです。このイメージによって自分の中に安堵感がけっこう発生していた記憶です。また、自分は週に1回大学内でカウンセリングを受け続けていましたから、その状況も自分的には嬉しい所でした。ですから自分は夏合宿が終わると、ストレス度合いが少し緩和してきた感じがありました。この4つの要因をまとめてみます。



①空手部で一番辛いイベント「夏合宿」をなんとか乗り越える事が出来て、空手部への恐怖感がピークを過ぎた。



②夢にまで見た空手部の引退がいよいよ半年後に近付いている。


③休学届けを出した事で授業に出なくて良くなった。


④大学内でカウンセリングを週1回受け続けている。



いや〜こうやって整理して書いてみますと、当時の自分の開放感がありありと甦ってきますねぇ。自分は上記の①②③に対して嬉しい気持ちを感じていましたし、④「大学内でカウンセリングを週1回受け続けている」事にも嬉しい気持ちを感じていました。そう、週1回カウンセリングの先生が自分の話を聞いてくれる事は、やはり自分の中で有り難い事でした。カウンセリングの存在が自分の中でちょっとした「心の安定剤」になっていた感じもありました。



ここからは改めて自分とカウンセリングの関わりを最初から振り返っていこうと思います。よろしくお願い致します。自分が大学内でカウンセリングを受け始めたのが、大学3年生の4月頃です。カウンセリングの初回、自分は号泣し続ける事しか出来ませんでした。そして、2回目以降、ホントにゆっくりと自分の日々の辛さを喋り始めたのです。カウンセラーの先生に喋った最初の話は「自分が大学空手部内で最上級生(3年生)になったものの、最上級生らしく振る舞う事が全く出来ず、とても辛い」、です。自分は空手部で副主将のポジションに就いてしまったものの、後輩達と何を喋れば良いのか、全く分かりませんでした。その後も「自分がゼミで完全に浮いている」話や、「自分が大学内で完全孤立している」話をしていきました。これらの話をする際、自分の中には常に「こんな話をしたら先生に馬鹿にされるのではないだろうか?」という葛藤が発生していました。しかし、自分がそれを乗り越えて自己開示すると、先生は暖かいリアクションを返してくれ、自分は安堵感を覚えたのです。そして、自分のネガティブ部分を言語化出来た事で解放感を覚えました。自分はカウンセリングの中で何度もこの「葛藤→解放」を繰り返していき、ほんとに少しずつですが、自分のカオス過ぎる記憶と感情を言語化していったのです。自分は1時間のカウンセリングを終えると、毎回と言っていいほど「暖かい解放感」を感じており、もはやカウンセリングは自分の生活の一部となっていました。そう、この頃になるとカウンセリングが自分の生活に絶対に必要なものとなっていましたね。毎週カウンセリングの日を楽しみに待っていました。



月日は進み、大学3年生の夏休み。自分はカウンセリングで空手部の夏合宿の恐怖について喋りました。しかし、これに関しては当時の自分が感じていた恐怖の1/50くらいしか表現出来ませんでした。当時の自分の表現力であの圧倒的過ぎる恐怖を表現出来るはずがありません。まだカウンセリングを受け始めて半年くらいしか経っていませんから、まだまだ表現力は「よちよち歩き」レベルです。現在の自分(2021年8月)が最近ブログ内でよく使っている「中指の拷問」という例え、こんな例えを当時の自分が出来るはずがありません。(「中指の拷問」の詳細はこちら。記事の前半は読み飛ばして下さい。「そんな日々が3日程続いた後、、」という段落から始まります。)
ですから、当時の自分はカウンセリングで夏合宿の「殺される」程の恐怖を喋ってはみましたが、その恐怖感はほとんど減りませんでした。さらに日にちは進み、9月の2週目。夏合宿直前のカウンセリングです。自分はここでも合宿の恐怖についてポツリポツリと喋りました。しかし、先程も書きました通り、その恐怖感はほとんど減る事がありませんでした。そして、その日のカウンセリングが終わり、自分と先生は来週のカウンセリングの日程を決めました。この時の自分の心の中はこんな感じです。


「次回のカウンセリングの予約を取ったけど、その時に果たして自分は生きているのだろうか???」


あれは暗澹とした気持ちでしたね。そして、夏合宿開始。自分は必死に必死に1週間の夏合宿を耐えました。夏合宿を終えると、自分はけっこうホッとした記憶があります。まずは「生きて」合宿を終える事ができました。そして、夏合宿が終われば、空手部においてこれ以上の恐怖のイベントはもうありません。空手部の引退を半年後に控え、残るイベントは秋の通常稽古と春合宿のみです。さらに大学に休学届けを出した事で、もう授業にも出なくて良いのです。これも開放感がありました。残りの半年間はカウンセリングを週1で受けつつ、恐怖感が緩和した中での空手部の稽古に耐えれば良いのです。自分の心の中にはけっこうな開放感が発生していました。




今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!





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