鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーションについて

15年間引きこもって鬱と闘病した43歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を振り返っていきます。skipper1242でツイッターもやってます。

失敗の経験を言語化する意味(2004年10月頃・28歳)

皆さんこんばんはスキッパーです!今日も見に来て下さりありがとうございますm(_ _)m今日も皆さんに自分の話を読んで頂けるかと思うと嬉しい気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事も併せてどうぞ。では、前回の記事「地獄の家族旅行(2004年10月頃・28歳)」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事は自分が思い付いた仮説についての話とそれにまつわる家族旅行の記憶についてでした。その仮説とは「経験というものはただ経験しただけではうすらぼんやりとした記憶としか残らず、喋ったり、書いたり、言語化しないと血肉の通った経験にならないのでは?」というものです。そう、自分は小学校、中学校、高校と学校生活を送る中で様々な失言、失敗を繰り返しているのですが、これらの記憶を言語化している時にこの仮説を強く痛感したんですよ。これまで書いていますように、子供の頃の自分は本を読んでも、RPGをしても「感想」が全く思い浮かばず、「感動」も全くしない子供でした。また、ファミコンを一緒にする友達はいましたが、彼らの性格や人となりを知る事も全くありませんでした。これは一重に自分に「共感能力」及び「他人への興味」が全く無かったからだと思われます。この「共感能力」及び「他人への興味」については次回以降の記事で説明させて貰うとしまして、これらが備わっていないが故に自分はいわゆる「空気が読めない」子供だったようなのです。そして、「空気が読めない」故に学校生活において失言、失敗を繰り返し、その精神的ダメージにより鬱が進行して行った事が徐々に明らかになっていきました。




そう、自分はそれら失敗の記憶を言語化する中で、「俺って学校生活において同じような種類の失言、失敗を何度も繰り返していたのだなぁ」と思いました。「同じような失言、失敗を馬鹿みたいに繰り返しているよ!」、と。そこで、何故同じような失敗が繰り返されたのかと考えてみますと、一つ一つの失敗が全く後の人生に生かされていなかった事に気付いたのです。そう、自分は学校生活において失敗をした後、その経験を喋ったり、書いたりして「言語化」するという事が、全くありませんでした。これまで書いています通り、幼い頃から親に対して学校生活における様々な出来事を喋った記憶がありません。また、「共感能力」及び「他人への興味」が全く無い子供でしたから、小、中、高、大学と親しい友達は皆無。当然友達に心を開いてあれこれ喋るという事も全くありませんでした。また、「喋る」という自己表現手段を全く身に付けていませんでしたから、「書く」という自己表現手段などは到底不可能な状況でもありました。このような状況の中で自分は学校生活における様々な失言、失敗に関しても全く言語化していなかった事も分かっていったのです。そう、何気ない日々の中で起こる何気ない出来事ですら自分は言語化する手段をまるで持ち合わせていませんでしたから、強い精神的ダメージの発生する失言、失敗の類いを言語化するなど到底無理な話だったのです。そして、それらの失敗は一切言語化される事なく、「モヤモヤしたネガティブな感情の塊」として記憶の底に沈んで行く事になりました。そうすると、それらの失敗から何かの学びや反省を抽出する事など全く出来ません。そう、記憶のサルベージを続けていく中で自分は「言語化」の効果についてこう考えるようになっていきました。「失言、失敗の経験を言語化する事でそれらがどのようなバックグラウンドから引き起こされたのか分析する事が出来る。また、言語化する事で失敗による精神的ダメージを消化する事も出来る。そして失敗を分析する事で、そこから反省や学びを抽出する事ができて、それを後の自分の人生に活かす事も出来る。つまり、失敗の類いの経験は『言語化』してこそ、血肉の通った経験になるのではないだろうか?」、と。




今日はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!m(_ _)m





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