鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーションについて

15年間引きこもって鬱と闘病した44歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を振り返っていきます。skipper1242でツイッターもやってます。

どうして学校生活において同じような挫折を繰り返し続けたのか(過去編・1998年3月・22歳)

皆さんこんにちは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「高校時代にも無意識の自傷行為(過去編・1998年3月・22歳)」の続きを書かせて頂きます。



前回の記事は、自分が高校時代においても「無意識の自傷行為」をしていた、という話でした。そう、自分は高校に行く時は自転車通学をしていたのですが、その帰り道にけっこうな坂道を登らなければなりませんでした。大体立ち漕ぎで15分くらいの距離です。自分は時にはあえて長くて急な坂道のルートを選び、30分くらいずっと立ち漕ぎをしている事もありました。30分も必死に立ち漕ぎをしていると喘息はゼーゼー苦しいですし、汗もダクダクで最後は疲労困憊状態だった記憶です。そして、当時の自分はこの日々の自転車通学をトレーニングとして捉えていたんですね。「トレーニング=体力が付く=良い事」という図式です。そのような図式をイメージしながら、自分は3年間に渡って毎日毎日一生懸命自転車を漕ぎ続けました。しかし、それで体力が付いたという実感はまるで得られなかったのです。何故なら自分は高校1年生の夏に鬱を発症し、以下の4つの諸症状に苦しんでいました。



「高校時代の4つの鬱の諸症状」


①食欲の完全消失

②日曜夜ごとの激しい喘息

③慢性的な疲労感と眠気

④学校生活中の激しいめまい



そして、自分はこれらの症状に苦しみながら、毎日自転車通学をし続けました。しかし、上記の諸症状が良くなる事は一切無かったのです。高校の3年間、自分の心身はずっとこんな感じでしたからね。


「何故だか分からないけど、高校にいる時の自分の身体はいつも重くて、疲れている。そして何故かいつも悲しい。」


ですから、自転車通学で鬱の諸症状が良くなる事は一切無かったですし、むしろ、「③背中の疲労感と眠気」と「④学校生活中の激しいめまい」に関しては、この自転車通学の疲労感によって悪化していた可能性が大きいです。これは大学空手部時代にお馴染みの例のパターンです。「良かれと思ってやっていたトレーニングが実は逆効果だった」、っていう「無意識の自傷行為」ですね。別名「悪魔のからくり」。




さらに考えてみますと、自分が高校3年間の自転車通学を終えて感じていた思いと、大学空手部を引退した後の気持ちはそっくりです。そう、自分は高校3年間を終えると、「自分は自転車通学を3年間続けたのだから、体力が付いたはず!!!」という思いを持っていました。そして、自分は大学空手部引退後にも「自分は大学空手部の過酷過ぎる3年間を耐えたのだから、体力がかなり付いたに違いない!!」と思いたがっていました。う〜ん、歴史は繰り返すってやつですね。



振り返ってみますと、自分は小学校3年生以降全く日々の経験や感情を言語化をしなくなり、自己認識能力が皆無の人生を送る事になりました。(この場合の「言語化」とは、「喋る事」もしくは「書く事」を指しています。)ですから、学校生活において同じような舌禍を何度も何度も繰り返してきたんですね。以下時系列順に書いてみます。


・小学校6年生の時のA先生事件

・中学1年生の時の自己紹介事件

・高校1年生の時の歓迎会逃げ帰り事件

・高校1年生の時の暴言事件



これらの事件の詳細は過去記事に書いてありますので、興味のある方はお読み下さい。そう、このように自分は自己認識能力が皆無でしたから、失言、暴言をしても全く反省する事が出来ず、同じような失敗をし続けたのです。そして、今回の記事を書いてみて分かったのは、「トレーニング」に関しても同じような失敗をし続けていた、という事です。そう、高校時代、大学時代の自分は「トレーニングをして体力を付けたい」と思い、トレーニングに取り組んでいました。しかし、どちらにおいてもその目的は達成されず、それどころか、心身をさらに壊す結果になっていたのです。う〜ん、不毛。失言、暴言の連続についても、トレーニングの失敗の連続についても、その根本の原因は「自分が日々の生活を全く言語化してこなかった事」にあります。自分は小学校3年生以降日々の経験や感情を全く喋らなくなりました。(小学校3年生以前だって大して喋っていませんが。)これにより、日々の経験や感情は全く言語化される事なく「カオス状態」で記憶の海の底に沈んでいく事となったのです。そして、「カオス状態の記憶」は他の「カオス状態の記憶」と混ざり合い、「超カオス状態の記憶」になってしまいました。人生における全ての記憶がぐちゃぐちゃに混ざり合った結果、後からその記憶を思い出す事が実質不可能になってしまったのです。ですから、自分は学校生活において過去の失敗を全く生かせず、同じような失敗を懲りもせず起こし続けてしまったのです。




そう、当時の自分が失敗を起こした時点でその事件を「安心して素直に」誰かに喋っていれば、同じような過ちを犯さなかった事でしょう。失敗を「安心して素直に」誰かに喋る事が出来れば、その時感じたネガティブな感情を消化する事が出来ます。そして、そこから時系列と事実を整理する事も出来ます。さらにそこから反省点と教訓を導き出す事も出来ます。これが出来ていれば同じ失敗を何度も繰り返す事はなかったはずなんですよ。しかし、当時の自分の周りには「安心して素直に」自分の失敗を喋れる場は皆無でした。小学校3年生以降我が家は戦争状態に陥り、子供の自分が「安心して素直に」日々の出来事を喋れるような場では無くなってしまったからです。そして、小学校3年生「以前」から、我が家はそのような場ではありませんでした。また、周りに祖父や祖母もいませんでしたし、先生に可愛がられた記憶もありません。故に自分の日々の経験や感情は全く言語化される事なく、記憶の海の底に沈んでいく事になりました。日々の経験や感情すら全く喋っていない自分が、失言事件や暴言事件といった、「激しい恥」や「激しい挫折感」を伴う事件を誰かに自己開示できるはずがありません。かくして、それらの記憶もまた全く言語化されず、心の傷が全く癒えないまま、記憶の海の底に沈んでいく事となったのです。そして、自分はそれらから反省点や教訓を学ぶ事も全く出来ませんでした。故に同じ過ちを何度も繰り返していく事となったのです。もちろん、トレーニングに関する失敗も同様です。





今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!





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