鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーションについて

15年間引きこもって鬱と闘病した44歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を振り返っていきます。skipper1242でツイッターもやってます。

果てしない肉体的苦痛と精神的苦痛で意識朦朧な毎日(2006年7月上旬・30歳)

皆さんこんばんはスキッパーです!今日も見に来て下さりありがとうございますm(_ _)m今日も皆さんに自分の話を読んで頂けるかと思うと嬉しい気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「大きな物置の引っ越し完了(2006年7月上旬・30歳)」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事は、自分が大きな物置の引っ越しを終えた、という話でした。引っ越しの前夜、自分はこの引っ越しによって、自分が親とやりとりせねばならなくなる事態が発生する可能性を感じ、もしそれが現実化したとなると自分の心の中に致命的なストレスの嵐が吹き荒れる事は間違いない状況でした。自分はそうなってしまう事態を極度に恐れ、前夜は一睡も出来なかったのですが、引っ越しはなんとか親とやりとりする事なく終わってくれまして、ホッとしたのを覚えています。そして、持ってきた物置が目論見通り自分の新しい部屋にピッタリ収まった事にも大満足していた記憶です。あれは気持ち良かった。また、一度は業者さんに断られたこの物置の引っ越しを、最終的には可能に出来た嬉しさもありました。そんな感じで、自分はこの物置の引っ越しに関してだけは、かなりポジティブな気分になれました。物置の引っ越し後2〜3日はその気分が続いた記憶です。ちょっとここで引っ越し初日からの自分の行動をまとめてみたいと思います。



引っ越し初日(2006年6月26日)


・新しい部屋の扉に鍵を付ける。


・段ボールの中から生活必需品を取り出す。


・電子レンジを買う事にする。


・大きな物置の引っ越しにもう1度チャレンジしてみる事にする。


(・初日かどうかは定かでは無いが、引っ越し早々に首吊りの準備をした。)



引っ越し2日目(2006年6月27日)


・原付で電子レンジを買いに行く。


・2階のトイレに便座を付けるよう、妹を通じて親に要求する。



引っ越し3日目(2006年6月28日)


・大きな物置の引っ越しの下見と見積もり



引っ越し10日目(2006年7月初旬)


・大きな物置の引っ越し



初日から10日目まではこんな感じです。引っ越し10日目に大きな物置の引っ越しが終わりまして、とりあえず自分はホッとした記憶です。引っ越しの大きな動きが一通り終わったからです。後は段ボールの中のモノを本棚や引き出しに入れていく作業が残るだけです。しかし、引っ越しが一段落してみると、相変わらず自分の心身は「果てしない精神的苦痛」と「果てしない肉体的苦痛」により大きな悲鳴を上げ続けており、自分は息をしているだけでも耐え難い苦痛に襲われているような状態でした。振り返ってみますと、引っ越し初日から2週間目くらいまでは、引っ越しによる「非日常感」が出現し、自分の中には「高揚感」が発生していたように思います。そう、脳内からアドレナリンが出ていたような感じでして、それにより上記の苦痛は多少緩和されていましたね。その効果で電子レンジを原付で運べたり、大きな物置の引っ越しもできた感じです。しかし、引っ越しから2週間もすると「非日常感」も薄れてきまして、脳内の興奮状態も収まってきました。同時に大きな物置の引っ越し成功の余韻も薄れてきていましたね。そうなると自分は再び耐え難い苦痛に襲われ始めまして、段ボールの荷開け作業もなかなか進みません。そう、この頃から再び自分は「起きれなく」なっていった記憶です。振り返ってみますと、自分はこの引っ越しにより致命的なストレスを受けました。以下その一覧になります。



「引っ越し及び東○荘事件で受けた致命的なストレス一覧」



①15年間住み続けた凄まじく愛着のある部屋を奪われる。



②前年の記憶のサルベージ(言語化)によって、自分の学生時代が家庭環境によって滅茶苦茶に破壊されていた事が判明。その上、親が言い出した引っ越しの為に自分がさらに時間やエネルギーを割かなければならない。



③引っ越しの情報を得る為に「殺しても殺し足りない」程憎い妹とコンタクトを取らざるを得なくなる。結果自分の中に凄まじいストレスの嵐が発生し、それは自我が崩壊する可能性を感じる程だった。自分は自我が崩壊するギリギリになったら、この世界から離脱できるよう首吊りの準備をしてから妹とのコンタクトに臨んだ。



④記憶のサルベージによって自分の精神年齢の成長が小3で止まっているという事が判明。自分がまだ精神的によちよち歩きの状態だというタイミングの問題。



⑤「殺しても殺し足りない」くらい憎い家族と、その後も一つ屋根の下で住み続けなければならない。



⑥東○荘事件により、家庭内での孤立無援感がさらにエグい事になり、眠りに就こうとすると「自分が眠っている間に激昂した父親が再び自分の部屋に突入してきて、自分は殺されるのでは??」という凄まじい恐怖心に襲われるようになる。自分の睡眠はただでさえ「妹のドア音」によって劣化しまくっていたのだが、この凄まじい恐怖心によりさらに極限まで劣化する事に。結果慢性的な疲労感と眠気は果てしなく大きくなり、意識朦朧とした状態で日常生活を送る事になる。そんな中での心の支えは「自我が壊れそうになったら首吊り」という思いだけだった。



⑦東○荘事件によって自分の人生に対する激烈な無力感と虚無感と理不尽感と絶望感も発生。東○荘事件以前から自分はこれらを抱えて生きていたが、東○荘事件によりこれは倍増。そして、これらの倍増によってそれまで抱えていた「自殺願望」が「自殺企図」へと変化。また、激烈な無力感は慢性的な疲労感の極限化の一因にもなった。





これらの致命的なストレスの数々が原因で、自分は極度の睡眠不足に陥り、起きている間中ずっと「果てしない精神的苦痛」と「果てしない肉体的苦痛」に苦しみ続ける事になったのです。あんなのは生き地獄以外の何物でもありません。そんな自分にとっての心の支えは「首吊りをすればこの耐え難い苦痛から解放される」という思いだけでした。このように自分は「鬱の廃人」であり、「鬱の狂人」でもある状態でしたから、「起きる」事も出来なくなっていきました。そもそも自分の生活はパチンコを辞めた頃から急速に昼夜逆転が進みまして、ベッドに入るのは大体深夜4〜5時でした。そして、そこから寝付くまでに1〜2時間はかかるのです。そう、ベッドに入り、目を瞑ると上記のストレス①〜⑦が一気に襲ってきますからとても眠るどころではありません。悶々としながら甚大な精神的な苦痛に耐えていますと、1〜2時間経ち、ようやく眠気が出てきて眠れるといった感じでした。ただし、眠りはとても浅く、疲労感は全然取れていません。ですからそこから6〜7時間眠ったとしても、自分は起きれないんですよ。そう、大体昼の12〜13時に意識は覚醒するのですが、まぶたや身体がとても重く、全く動かす事が出来ないのです。そうそう、この現象は東○荘事件以降(厳密には記憶のサルベージ中から)起こり始めた現象ですが、ここから4〜5年間続いた記憶です。そして、ベッドの上で1時間くらいじっとしていると身体が温まってきまして、ようやくまぶたが開き、身体を起こせる、といった感じです。もちろんその1時間も自分は上記のストレス①〜⑦の嵐に耐えねばなりません。そこからようやく自分はベッドから出るのですが、起きた直後から身体は超だるかったですし、鼻水も出まくっていた記憶です。余りにも鼻水が止まらないものですから、鼻の穴にティッシュを詰め込んで生活していましたからね。鼻をかみ過ぎて鼻の下におできが出来た事もありました。ここから自分は慢性的な疲労感と眠気で意識朦朧とした状態でラジオを聞いたり、ケータイをいじって過ごします。ところが1〜2時間もするとまたすぐに疲労感と眠気でぐったりしてしまうのです。そう、起きて1〜2時間経っただけで疲労困憊状態です。そうなると自分はまたベッドに入らなければなりません。そして、そこからまた1時間くらいはストレスの嵐との戦いです。それが終わると自分はようやく寝付き1〜2時間の仮眠を取ります。そして意識は覚醒するけど、また1時間起きれない、、という繰り返しです。自分はこんな仮眠を1日2〜3回取らねばなりませんでした。





ですから東○荘事件後の自分は1日24時間のうち18時間くらいはベッドで過ごしているような生活だったイメージです。そりゃ段ボールの中身を取り出す作業がなかなか進まないはずです。




今日はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!m(_ _)m





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