鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

「鬱の廃人」+「鬱の狂人」状態(2006年7月上旬・30歳)

皆さんこんばんはスキッパーです!今日も見に来て下さりありがとうございますm(_ _)m今日も皆さんに自分の話を読んで頂けるかと思うと嬉しい気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「自分の身体が「殺人的な疲労感」と「殺人的な眠気」に支配され、全く自分の思うように動かない(2006年7月上旬・30歳)」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事は、引っ越し以降自分がますます「起きれなく」なっていった、という話でした。そう、引っ越し当日から2週間の間は、「引っ越し」という非日常感が高揚感を作り出していましたから、自分はなんとか動く事が出来ていました。しかし、その後は高揚感が収まっていき、再び東○荘事件以降の意識朦朧とした状態が戻っていたのです。前回に引き続き、当時の状態を過去記事から引用したいと思います。



『東○荘事件以降の自分はさらに寝付きが悪くなり、眠りの質も激烈に悪化しましたから、起きている時間も猛烈な疲労感と眠気に襲われ続け、常に意識朦朧としていました。肉体的にぶっ壊れまくってしまったのです。そして精神的にも果てしない不安感と孤独感と絶望感と憎しみと理不尽感と虚無感とでぶっ壊れまくっていました。もはや生きている事自体が滅茶苦茶な拷問状態でした。そんな状況では「自殺願望」が「自殺企図」に変わりますし、脳だってそんな状況は記憶したく無いでしょう。』(東○荘事件以降の記憶が半記憶喪失状態(2006年4月頃・30歳))




このように自分は起きている時間は「猛烈な疲労感」と「猛烈な眠気」に襲われ続けて意識朦朧としていました。そして起きてから1〜2時間も経つと疲労困憊状態に陥りますので、またベッドに入らざるを得ません。しかし、眠ろうとしてまぶたを閉じた途端に致命的なストレスの嵐に襲われ、全く眠る事が出来ないのです。以下そのストレスの一覧になります。




「引っ越し及び東○荘事件で受けた致命的なストレス一覧」



①15年間住み続けた凄まじく愛着のある部屋を奪われる。



② 前年の記憶のサルベージ(言語化)によって、自分の学生時代が家庭環境によって滅茶苦茶に破壊されていた事が判明。その上親が言い出した引っ越しの為に自分がさらに時間やエネルギーを割かなければならない。



③引っ越しの情報を得る為に「殺しても殺し足りない」程憎い妹とコンタクトを取らざるを得なくなる。結果自分の中に凄まじいストレスの嵐が発生し、それは自我が崩壊する危険性を感じる程だった。自分は自我が崩壊するギリギリになったら、この世界から離脱できるよう首吊りの準備をしてから妹とのコンタクトに臨んだ。



④前年の記憶のサルベージ(言語化)によって自分の精神年齢の成長が小3で止まっているという事も判明。自分がまだ精神的によちよち歩きの状態だというタイミングの問題。



⑤「殺しても殺し足りない」くらい憎い家族と、その後も一つ屋根の下で住み続けなければならない。



⑥東○荘事件により、家庭内での孤立無援感がさらにエグい事になり、眠りに就こうとすると「自分が眠っている間に激昂した父親が再び自分の部屋に突入してきて、自分は殺されのでは??」という凄まじい恐怖心に襲われるようになる。自分の睡眠はただでさえ「妹のドア音」によって劣化しまくっていたのだが、この凄まじい恐怖心によりさらに極限まで劣化する事に。結果慢性的な疲労感と眠気は果てしなく膨張し、意識朦朧とした状態で日常生活を送る事になる。そんな中での心の支えは「自我が壊れそうになったら首吊り」という思いだけだった。



⑦東○荘事件によって自分の人生に対する激烈な無力感と虚無感と理不尽感と絶望感も発生。東○荘事件以前から自分はこれらを抱えて生きていたが、東○荘事件によりこれは倍増。そして、これらの倍増によってそれまで抱えていた「自殺願望」が「自殺企図」へと変化。また、激烈な無力感は慢性的な疲労感の極限化の一因にもなった。




⑧ 自分の身体が「殺人的な疲労感」と「殺人的な眠気」に支配され、全く自分の思うように動かない。1日のうち18時間はベッドの上で過ごさねばならない生活。そして、起きている6時間も100kgの重りを背中に乗せられ、身体が床にぺちゃんこに潰されそうな感じ。自分の身体が疲労感と眠気に乗っ取られているかのよう。その無力感と情け無さ。





上記のストレスの嵐は自分の心を蹂躙し、甚大な精神的な苦痛を発生させます。自分はその精神的苦痛に必死に耐えねばなりません。そして、その苦痛に1時間程耐えていますとようやく眠気に襲われ、そこから1〜2時間仮眠を取る事が出来るのです。1〜2時間仮眠を取った後、自分の意識は覚醒するのですが、今度は「起きる」事が出来ません。そう、確かに意識は覚醒しているのですが、まぶたと身体がめちゃくちゃ重くて動かす事が出来ないのです。自分は仕方なくさらに1時間ほど横になっているしかありません。その間も①〜⑧のストレスが自分の心を蹂躙し、自分は精神的苦痛に耐え続けます。そして、1時間程経つとようやく自分の身体が温まっていき、自分のまぶたは開くのですが、その頃にはすでに「猛烈な疲労感」と「猛烈な眠気」が発生している、といった具合です。ですから、そこから1〜2時間後にはまたベッドに入らざるを得なくなり、また1時間くらい例のストレスの嵐に耐える、、というループです。引っ越し以降(東○荘事件以降)の自分はこのような仮眠を1日に2〜3回取らねばなりませんでしたし、朝6時〜昼12時の本眠においても前後1時間はベッドの上で磔(はりつけ)状態に耐えねばなりませんでした。1日のうち18時間はベッドの上にいる生活です。引っ越し以降の自分の心身の状態は「鬱の廃人」+「鬱の狂人」状態と言って差し支えないと思います。




そんな感じで引っ越してから2週間経った頃の自分の状態は、とりあえず引っ越し自体の大きな作業は終わって一段落している感じはありましたが、自分の心身が再び①〜⑧の致命的なストレスに襲われ続け、生きている事自体が無茶苦茶な拷問状態だった記憶です。ホント自分の背中の上に常に100kgの重りが乗っかっていて、それで常に身体が床にぺちゃんこに潰されているような感じです。それくらい引っ越しと東○荘事件が自分の心身に与えたダメージは甚大だったのでした。




今日はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!m(_ _)m





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