鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーションについて

15年間引きこもって鬱と闘病した44歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を振り返っていきます。skipper1242でツイッターもやってます。

花粉症発症で発狂③(2007年3月・31歳)(2007年3月・31歳)

皆さんこんばんはスキッパーです!今日も見に来て下さりありがとうございますm(_ _)m今日も皆さんに自分の話を読んで頂けるかと思うと嬉しい気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「花粉症発症で発狂②(2007年3月・31歳)」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事は、自分が新しい家の裏山に杉林を見つけ怒り狂った、という話でした。そう、自分はこの新しい家に9ヶ月ほど前に引っ越してきたのですが、それによって花粉症を発症してしまったのです。これはホントに言葉では言い表せない程の怒りでした。何故なら引っ越し及び家庭環境によって自分は精神的・肉体的に2度殺されたも同然だったからです。ではではいつもの 「引っ越し及び東○荘事件で受けた致命的なストレス一覧及びそれらから派生した4つの現象」を貼らせて頂きたいと思います。




「引っ越し及び東○荘事件で受けた致命的なストレス一覧及びそれらから派生した4つの現象」



①15年間住み続けた凄まじく愛着のある部屋を奪われる。



② 前年の記憶のサルベージ(言語化)によって自分の学生時代が家庭環境によって滅茶苦茶に破壊されていた事が判明。その上親が言い出した引っ越しの為に自分がさらに時間やエネルギーを割かなければならない。



③引っ越しの情報を得る為に「殺しても殺し足りない」程憎い妹とコンタクトを取らざるを得なくなる。結果自分の中に凄まじいストレスの嵐が発生し、それは自我が崩壊する危険性を感じる程だった。自分は自我が崩壊するギリギリになったら、この世界から離脱できるよう首吊りの準備をしてから妹とのコンタクトに臨んだ。



④前年の記憶のサルベージ(言語化)によって自分の精神年齢の成長が小3で止まっているという事が判明。自分がまだ精神的によちよち歩きの状態だというタイミングの問題。



⑤「殺しても殺し足りない」くらい憎い家族と、その後も一つ屋根の下で住み続けなければならない。



⑥東○荘事件により、家庭内での孤立無援感がさらにエグい事になり、眠りに就こうとすると「自分が眠っている間に激昂した父親が再び自分の部屋に突入してきて、自分は殺されのでは??」という凄まじい恐怖心に襲われるようになる。自分の睡眠はただでさえ「妹のドア音」によって劣化しまくっていたのだが、この凄まじい恐怖心によりさらに極限まで劣化する事に。結果慢性的な疲労感と眠気は果てしなく大きくなり、意識朦朧とした状態で日常生活を送る事になる。そんな中での心の支えは「自我が壊れそうになったら首吊り」という思いだけだった。



⑦東○荘事件によって自分の人生に対する激烈な無力感と虚無感と理不尽感と絶望感も発生。東○荘事件以前から自分はこれらを抱えて生きていたが、東○荘事件によりこれは倍増。そして、これらの倍増によってそれまで抱えていた「自殺願望」が「自殺企図」へと変化。また、激烈な無力感は慢性的な疲労感の極限化の一因にもなった。



⑧「自分の身体」と「自分の時間」が「殺人的な疲労感」と「殺人的な眠気」に支配され、全く自分の思い通りに使えない。1日のうち18時間はベッドの上で過ごさねばならない生活。起きている6時間も100kgの重りを背中に乗せられ、身体が床にぺちゃんこに潰されそうな感じ。自分の身体と時間が乗っ取られているかのよう。その無力感と情け無さ。



⑨東○荘事件により、パチンコで稼いでいた時の希望に溢れたモチベーションが完全消失。これによりさらに大きな喪失感と虚無感が発生。また、月30万の現金収入も失い、両親に対して「殺しても殺し足りない」程の憎悪を感じる。



⑩幼い頃から疲労感や眠気に抗い(あらがい)続けて生きてきた結果、引っ越しや東○荘事件以後の殺人的な疲労感と殺人的な眠気に対して抗う気力が全く無くなる。これにより睡眠を取り覚醒した後、ベッドから動く事が全く出来なくなる。覚醒した後自分のまぶたや身体が鉛のように重いのだが、それ抗って起きようという気力が全く湧かない。この「疲労感や眠気に抗いたくない」という気持ちは、⑧の気持ちと矛盾している気持ちだが、当時の自分は「鬱の廃人」+「鬱の狂人」状態だったので仕方ない。これはたぶん両価性(アンビバレンス)という状態。両価性とは「相反する2つの価値基準が自分の中にある事」。詳しい意味はこちら→ https://kagaku-jiten.com/abnormal-psychology/ambivalence.html


11ベッドに入り目をつむると上記①〜⑩の致命的なストレスの嵐が一気に自分に襲いかかってくるので、その精神的苦痛で1時間全く寝付く事が出来ない。加えてその間❶❷の予期不安(予期憎悪)による甚大な精神的苦痛にも耐えねばならない。





[上記①〜⑩の致命的なストレスの数々が生んだ4つの現象]



❶寝付く際のストレスが原因の予期不安

引っ越し後の自分がベットに入り、まぶたを閉じると上記①〜⑨の致命的なストレスに一気に襲われてしまう。自分はその甚大な精神的苦痛に1時間耐えなければ寝付く事が出来なかった。故にその後の睡眠を妨害された時の憎しみは凄まじいものがあった。それは先程の甚大な精神的苦痛に耐えた1時間が無駄になってしまったから。だからこそ、ベッドに入り、目をつむると「この先寝付いた後何らかの音で起こされたら、どうしよう」と凄まじい予期不安にも襲われる事にもなった。また、逆に「この先寝付いた後何らかの音で起こされたら、凄まじくムカつくだろうな」という予期憎悪にも襲われていた。



❷「超睡眠依存症」状態が原因の予期不安

引っ越し後の自分にとって睡眠は命より大事なものになっていた。何故なら眠っても眠っても殺人的な疲労感と殺人的な眠気が全く減っていかない為。しかし、それを減らす為の手段は睡眠しかあらず、それ故に睡眠への欲求が底無しで無限で苛烈になっていった。「超睡眠依存症」とでも言って良い状態。その睡眠を妨害された時の怒りは凄まじい。だからこそ、ベッドに入り、目をつむると「この先寝付いた後何らかの音で起こされたら、どうしよう」と凄まじい予期不安にも襲われる事にもなった。また、逆に「この先寝付いた後何らかの音で起こされたら、凄まじくムカつくだろうな」という予期憎悪にも襲われていた。



❸「首吊り企図の日常化」
「首吊り」という選択肢が、「今日何食べようかな」と同じくらいの日常的な選択肢になっている。


❹「放火妄想」
家に灯油をまいて、家族もろとも燃やしてやりたい、という妄想。家が燃え尽きたのを見届けたら、逃げるのも刑務所も面倒なので、裏山で首吊り。



引用終わり




そう、自分は引っ越しと東○荘事件によって致命的なストレスの数々を受けていましたし、❶〜❹の現象にも苦しみまくっていました。そこに来てさらに引っ越しのせいで花粉症が発症したのです。これはホントたまらないものがありました。ノートに何度「あいつらぶっ殺す!!!!」、と書いた事でしょう。自分の全身が果てしない怒りで燃え上がり、自分の心身をも凄まじい勢いで焼き尽くしていきました。自分はさらにその甚大な精神的苦痛に耐えねばなりません。当然この日はほとんど眠ることなんて出来ませんでした。



さて、次の日です。自分の中の果てしない怒りは全く収まっていませんでした。そして、ほとんど睡眠を取れなかったので、いつもよりさらに殺人的な疲労感と眠気がエグく、さらに意識朦朧としている状態です。もうこの日の自分は憎しみが凄過ぎて何をやっても手に付かなかった記憶です。そしてノートに何度も「あいつらぶっ殺す!!!!」と書きましたし、例の放火妄想を実行に移す事も考えた記憶です。そう、家に灯油をまいて火を放ち、新しい家と家族を一緒に燃やし尽くそうという妄想です。しかし、この日はそれを実行するような気力はありませんでした。何故ならいつもよりさらに殺人的な疲労感と眠気がエグい状態だったからです。もしその計画を実行するなら、達成に向けて綿密な行動計画が必要になると思いますが、その時の自分にはそのような綿密な思考は無理な状態でした。そして、家を燃やし尽くした後は裏山で首を吊る計画でしたが、まだその準備も全く出来ていません。もちろん家を燃やし尽くし後、まんまと警察に捕まり、刑務所に入るなんてのも絶対に嫌でした。「鬱の廃人」+「鬱の狂人」状態の自分が刑務所の厳しい生活に耐えられるはずが無いからです。



さて、そのような感じで自分はノートに果てしない怒りをぶつけていたのですが、全くその怒りが減る気配がありません。もちろん自分はこの怒りを両親には直接ぶつけていません。何故なら自分にとって両親は「殺しても殺し足りない」程憎い存在だからです。自分は彼らとすれ違うだけでもそのおぞましさに発狂していました。コミュニケーションなど絶対にあり得ない話だったのです。自分は8ヶ月前に母親に月6万円の生活費を要求し、そこから毎月6万円を受け取ってはいたのですが、そこでのやり取りは毎回「生活費」の一言だけでした。そう、生活費の為の一言ですから、自分にとってかなりの精神的負担だった記憶です。そして、生活費を補償されるようになったからと言って、そう簡単にこれまでの憎しみが減る様なものではありませんでした。




振り返ってみますと、東○荘事件以前の自分は家族に対するコントロール不能な暴力衝動を壁やドアにあたる事で発散する事が出来ていました。しかし、東○荘事件で家族3人から袋叩きに遭い、このやり方は使えなくなったのです。そうなると自分の中に残っている手段は、「ノートに書くか」か「妄想」しかありません。しかし、もはやこの手段を使ってもほとんど暴力衝動を減らす事は出来なかった記憶です。これまで自分はノートに散々その憎しみを書いてきていましたから、もはや憎しみに関する表現を書き尽くしつつある感じがありました。なんかもう憎しみがあまりにも大きくなり過ぎて、もはや表現しようも無い所にまで来てしまった感じです。妄想に関しても灯油をまいて家と家族を燃やし尽くす以上の殺害方法が出て来ず、もはや自分の憎しみをこれ以上殺害妄想に変換出来ない所まで来ていた感じです。自分の果てしない憎しみは、言語化や妄想が不可能な領域まで大きくなっていました。その果てしない憎しみの炎は、さらに苛烈に自分の心身をも燃やし尽くしていきます。自分は1日を終えベッドに入ったのですが、またもその甚大な精神的苦痛でほとんど眠る事が出来なかったのでした。




そして、3日目。自分はこの日ダメ押しの一撃を食らう事になるのです。




今日はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!m(_ _)m





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