鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーションについて

15年間引きこもって鬱と闘病した44歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を振り返っていきます。skipper1242でツイッターもやってます。

「命より大事な睡眠を邪魔するやつは絶対に許さねぇ!!!」(2006年8月・30歳)

皆さんこんばんはスキッパーです!今日も見に来て下さりありがとうございますm(_ _)m今日も皆さんに自分の話を読んで頂けるかと思うと嬉しい気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「微細な音が我慢できず、向かいの家にクレームを言いに行く(2006年8月・30歳)」の続きを書かせて頂きます。




[こちらの記事は、先程上げた記事(鬱が高校時代の18倍まで悪化(2006年8月・30歳))の続きではなく、昨晩上げた記事(微細な音が我慢できず、向かいの家にクレームを言いに行く(2006年8月・30歳))の続きになります。この記事から元の順番に戻ります。読み辛くなってしまい申し訳ございません。]




前回の記事は、引っ越し後の自分が、向かいの家から聞こえるドラム音に極度の怯えとムカつきを感じ、クレームを言いに行った、という話でした。すると向かいの家の人は「分かりました」と言ってくれましたが、その後もこのドラム音はちょくちょく聞こえてきていた記憶です。自分が音に対して感じる恐怖とムカつきは、東○荘事件(2006年3月)以降さらに病的になっていきました。何故なら東○荘事件によって自分の鬱はさらに悪化してしまったからです。振り返ってみますと、そもそも自分は引きこもっている時期(2004年9月〜2005年9月)から様々な音に怯えまくっていました。メインは隣の部屋の妹が響かせるドア音です。このドア音は「音」だけでなく「衝撃」も酷く、隣の部屋で寝ている自分は耳栓をしていても全くその衝撃を防ぐ事が出来ません。自分はドア音の音と衝撃に睡眠を妨害され、それへの恐怖と憎しみは凄まじい事になっていきました。そして、ドア音から始まった「音」への恐怖は次第に対象を拡大していき、しまいには睡眠を邪魔する可能性がない周りの生活音にまで怯え、怒りを感じるようになったのです。自分は高校時代に鬱を発症し、それは悪化の一途を辿っていったのですが、この引きこもりの時点でその鬱は6倍にまで悪化していました。そして、この鬱状態はその後の引っ越しを経てさらに3倍に悪化してしまいました。これは同時に音への過敏さも3倍悪化したと言って良いと思います。こうなるともう自分の全身が周りの音全てに極度に怯えているような状態でした。そう、全ての音が悪意を持って自分を攻撃しているような感じもありましたね。「攻撃」どころか「自分を殺しに来ている」くらいの凄まじい悪意を全ての音に対して感じていたような記憶です。要するに激しい「被害妄想」です。まぁでもそれも当時の鬱状態を考えれば仕方の無い事だったのだと思います。何故なら自分は両親が言い出した引っ越しと東○荘事件によって致命的なストレスを受ける事になったのですから。以下そのストレスの一覧になります。(いつものコピペです。以前から読まれている方は飛ばして下さい)



「引っ越し及び東○荘事件で受けた致命的なストレス一覧」



①15年間住み続けた愛着のあり過ぎる部屋を奪われる。


② 前年の記憶のサルベージ(言語化)によって、自分の学生時代が家庭環境によって滅茶苦茶に破壊されていた事が判明。その上親が言い出した引っ越しの為に自分がさらに時間やエネルギーを割かなければならない。


③引っ越しの情報を得る為に「殺しても殺し足りない」程憎い妹とコンタクトを取らざるを得なくなる。結果自分の中に凄まじいストレスの嵐が発生し、それは自我が崩壊する可能性を感じる程だった。自分は自我が崩壊するギリギリになったら、この世界から離脱できるよう首吊りの準備をしてから妹とのコンタクトに臨んだ。


④前年の記憶のサルベージによって自分の精神年齢の成長が小3で止まっているという事が判明。自分がまだ精神的によちよち歩きの状態だというタイミングの問題。


⑤「殺しても殺し足りない」くらい憎い家族と、これから先も一つ屋根の下で住み続けなければならない。


⑥東○荘事件により、家庭内での孤立無援感がさらにエグい事になり、眠りに就こうとすると「自分が眠っている間に激昂した父親が再び自分の部屋に突入してくるのではないか??」という凄まじい恐怖心に襲われるようになる。自分の睡眠はただでさえ「妹のドア音」によって劣化しまくっていたのだが、この凄まじい恐怖心によりさらに極限まで劣化する事に。結果慢性的な疲労感と眠気は果てしなく大きくなり、意識朦朧とした状態で日常生活を送る事になる。そんな中での心の支えは「自我が壊れそうになったら首吊り」という思いのみ。



⑦東○荘事件によって自分の人生に対する激烈な虚無感(無力感)と理不尽感と絶望感も発生。東○荘事件以前から自分はこれらを抱えて生きていたが、東○荘事件により倍増。そして、これらの倍増によってそれまで抱えていた「自殺願望」が「自殺企図」へと変化。また、慢性的な疲労感の激烈化の一因にもなった。



⑧自分の身体が「殺人的な疲労感」と「殺人的な眠気」に支配され、全く自分の思うように動かない。1日のうち18時間はベッドの上で過ごさねばならない生活。そして、起きている6時間も100kgの重りを背中に乗せられ、身体が床にぺちゃんこに潰されそうな感じ。自分の身体が乗っ取られているかのよう。その無力感と情け無さ。



⑨引っ越しと東○荘事件により、パチンコで稼いでいた時の希望に溢れたモチベーションが完全消失。これによりかなり大きな喪失感と虚無感が発生。




そして、これらの致命的なストレスを受けた結果、自分の心身はさらにぶっ壊れていく事になったのです。その時の鬱状態は以下の通りになります。過去記事からの引用です。



『東○荘事件以降の自分はさらに寝付きが悪くなり、眠りの質も激烈に悪化しましたから、起きている時間も猛烈な疲労感と眠気に襲われ続け、常に意識朦朧としていました。肉体的にぶっ壊れまくってしまったのです。そして精神的にも果てしない不安感と孤独感と絶望感と憎しみと理不尽感と虚無感とでぶっ壊れまくっていました。もはや生きている事自体が滅茶苦茶な拷問状態でした。そんな状況では「自殺願望」が「自殺企図」に変わりますし、脳だってそんな状況は記憶したく無いでしょう。』(東○荘事件以降の記憶が半記憶喪失状態(2006年4月頃・30歳))




上記の引用の中に「眠りの質も激烈に悪化」と書いてあるのですが、改めて当時の睡眠状態について書いてみたいと思います。東○荘事件以降、自分は殺人的な疲労感と殺人的な眠気で常に意識朦朧とした状況で日常を過ごさざるを得なくなっていました。ですから、自分が起きて活動できる時間は1日6時間くらいで、残りの18時間はベッドの上で過ごさねばならなかったのです。そう、自分の身体を蝕む殺人的な疲労感と眠気を和らげる為にはベッドで眠るしかありませんでした。しかし、ベッドに入ったからと言って簡単には眠れません。自分がベッドに入り目をつむると上記①〜⑨の致命的なストレスが一気に自分に襲い掛かってきます。自分は様々なネガティブな感情(怒り、憎しみ、不安感、孤独感、孤立感、脱力感、虚無感、無力感、喪失感、理不尽感、絶望感)に心を蹂躙され、その甚大な精神的苦痛により全く眠る事が出来ないのです。



このように自分の精神がベッドの上で超神経衰弱状態に陥っている時に向かいの家からドラム音を聞こえてきたのです。そして、この音は自分が最も恐れている「耳栓をしていても聞こえてくる音」でした。超神経衰弱状態に陥っていた自分にとって、この音は「自分を殺しに来ているような音」に聞こえました。そう、超神経衰弱状態に陥っていた自分にとっては「睡眠」こそが唯一無二の「薬」だったのです。何故なら超神経衰弱状態を少しでも和らげる為には、睡眠を取るしかありませんでした。故に自分の心身は心の奥底から睡眠を欲していました。その睡眠欲は底無しで無限で激烈でした。だってどんなに睡眠をとっても殺人的な疲労感と眠気が自分を襲い続けてくるのですから。当時の自分にとって睡眠は自分の「命」よりも大事なものだった、と言っても過言ではありません。ですから、自分は少しでも睡眠を邪魔する可能性のある音が許せなかったのです。あれは「超睡眠依存症」と言っても良いかもしれません。妹の出すドア音は元より、耳栓越しの微細なドラム音さえも自分にとっては「殺人的な音」でした。そして、自分はその音に対して激烈な恐怖と激烈なムカつきを覚えました。「命より大事な睡眠を邪魔するやつは絶対に許せねぇ!!!」という感じです。そして、憎しみに我を忘れた自分は、近所を徘徊し、音の発生源を特定し、向かいの家にクレームを言いに行った、という流れになります。





今日はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!m(_ _)m





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