鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。ツイッターを@skipper1242でやってましたが凍結されましたので、現在は@skipper954954でやってます。

鬱が高校時代の18倍まで悪化(2006年8月・30歳)

皆さんこんばんはスキッパーです!今日も見に来て下さりありがとうございますm(_ _)m今日も皆さんに自分の話を読んで頂けるかと思うと嬉しい気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「1日のうち18時間がベッドで磔(はりつけ)状態(2006年8月・30歳)」の続きを書かせて頂きます。




[今回の記事は、前回の記事の続きではなく、2つ前の記事(1日のうち18時間がベッドで磔(はりつけ)状態(2006年8月・30歳))の続きになります。アップする順番を間違えてしまいました。すみません。]



前回の記事は、引っ越し後の自分が生きる屍状態に陥り、1日のうち18時間くらいをベッドの上で磔(はりつけ)状態で過ごしていた、という話でした。そう、1日のうち18時間が眠りの為の時間です。自分は大体朝の5時にベッドに入って朝6時に寝付き、昼の12時頃に意識が覚醒して昼の13時頃ベッドから出る生活をしていました。そして、それ以外にも仮眠を3回程取らないと身体が持たなかったのです。仮眠は1回に付き1〜2時間ですが、仮眠の前後の1時間は、致命的なストレスの嵐がもたらす、甚大な精神的苦痛にひたすら耐えねばなりません。そして、ベッドのから出ている6時間も殺人的な疲労感と殺人的な眠気で意識朦朧としています。それらの苦痛は2ヶ月ほど前に起きた引っ越しと東○荘事件に由来していました。自分がそこで受けたストレスの一覧になります。




「引っ越し及び東○荘事件で受けた致命的なストレス一覧」



①15年間住み続けた愛着のあり過ぎる部屋を奪われる。


② 前年の記憶のサルベージ(言語化)によって、自分の学生時代が家庭環境によって滅茶苦茶に破壊されていた事が判明。その上親が言い出した引っ越しの為に自分がさらに時間やエネルギーを割かなければならない。


③引っ越しの情報を得る為に「殺しても殺し足りない」程憎い妹とコンタクトを取らざるを得なくなる。結果自分の中に凄まじいストレスの嵐が発生し、それは自我が崩壊する可能性を感じる程だった。自分は自我が崩壊するギリギリになったら、この世界から離脱できるよう首吊りの準備をしてから妹とのコンタクトに臨んだ。


④前年の記憶のサルベージによって自分の精神年齢の成長が小3で止まっているという事が判明。自分がまだ精神的によちよち歩きの状態だというタイミングの問題。


⑤「殺しても殺し足りない」くらい憎い家族と、これから先も一つ屋根の下で住み続けなければならない。


⑥東○荘事件により、家庭内での孤立無援感がさらにエグい事になり、眠りに就こうとすると「自分が眠っている間に激昂した父親が再び自分の部屋に突入してくるのではないか??」という凄まじい恐怖心に襲われるようになる。自分の睡眠はただでさえ「妹のドア音」によって劣化しまくっていたのだが、この凄まじい恐怖心によりさらに極限まで劣化する事に。結果慢性的な疲労感と眠気は果てしなく大きくなり、意識朦朧とした状態で日常生活を送る事になる。そんな中での心の支えは「自我が壊れそうになったら首吊り」という思いのみ。



⑦東○荘事件によって自分の人生に対する激烈な虚無感(無力感)と理不尽感と絶望感も発生。東○荘事件以前から自分はこれらを抱えて生きていたが、東○荘事件により倍増。そして、これらの倍増によってそれまで抱えていた「自殺願望」が「自殺企図」へと変化。また、慢性的な疲労感の激烈化の一因にもなった。



⑧自分の身体が「殺人的な疲労感」と「殺人的な眠気」に支配され、全く自分の思うように動かない。1日のうち18時間はベッドの上で過ごさねばならない生活。そして、起きている6時間も100kgの重りを背中に乗せられ、身体が床にぺちゃんこに潰されそうな感じ。自分の身体が乗っ取られているかのよう。その無力感と情け無さ。



⑨引っ越しと東○荘事件により、パチンコで稼いでいた時の希望に溢れたモチベーションが完全消失。これによりかなり大きな喪失感と虚無感が発生。



上記のストレスの嵐は殺人的な肉体的苦痛と殺人的な精神的苦痛を自分にもたらし、自分はその苦痛で意識朦朧とした状態で日々を送っていました。ですから、引っ越し後の自分の記憶ってすごくあやふやで捉え所が無いんですね。毎日何をやって過ごしていたのか、いまいちはっきり覚えていない。そりゃ1日18時間もベッドの上で磔(はりつけ)状態では仕方ありません。そして、起きている6時間も意識朦朧としていた訳ですからね。では自分は起きている6時間をどのように過ごしていたのかという話ですが、以前の記事でも書きました通り、ラジオを聞いたり、ガラケー2ちゃんねるを見たり、段ボールの中身を取り出したり、していた記憶です。また、仮眠を取った後には上記の疲労感や眠気の辛さが半分くらいまで減っている時もありましたから、そういう時は原付で外出し、新しい最寄駅周辺を探索したりしていました。そう、もはやパチンコ屋をリサーチする事は辞めてしまいましたが、単純に新しい最寄駅周辺がどんな場所なのか気になり、原付で色々見に行ったりしていましたね。引っ越し先の新しい最寄り駅は初めて使うJRの沿線でしたから、そのJR沿線の駅を一つ一つ見て回ったりもしました。知らない駅や知らない街を見て回るのは単純に興味深く、ちょっとした探検気分でしたね。それは致命的なストレスだらけの生活の中でささやかな気晴らしになっていた記憶です。懐かしいですねぇ。




そんな感じで自分は1日の大半の時間はベッドの上で過ごしつつも、たまには外出するという生活が続いていきました。ベッドで磔(はりつけ)状態の時は、致命的なストレスの嵐が自分の精神を凄まじい勢いで削っていき、甚大な精神的苦痛を自分にもたらしていきました。さらに自分はエアコンを一切つけず、窓も開けない生活をしていましたから、7月、8月、9月は室温が45度くらい上がっていたのです。この季節は甚大な精神的苦痛に加え、灼熱地獄の苦しみも相当なものがありました。ホント毎日意識朦朧とした状況で過ごしていましたね。もうなんかこの頃になると自殺する気力すら無くなっていたような気もします。




そう、自分は引っ越しという超一大イベントを終え、燃え尽きてしまったようでした。何せ自分はあの引っ越しと東○荘事件で致命的なストレスを食らったのです。自分はそのストレスの嵐により自分の自我が崩壊してしまう危険性を感じ、首吊りの準備しなければなりませんでした。そして自分の精神をそこまで追い込んだ引っ越しがようやく終わりました。自分はそんな引っ越しが終わり、茫然自失状態になっていた所もあったと思います。引っ越しと東○荘事件において、自分はただただ一方的に暴力を振るわれ、一方的に致命的なストレスを受け続けなければならなかったからです。その理不尽感と絶望感と両親への怒りと憎しみは凄まじいものがありました。そして、その憎しみの漆黒の炎は自分の心身をも凄まじい勢いで焼いていき、その精神的な苦痛も甚大なものがありました。そしてとうとう自分の心身は燃え尽きてしまい、燃えカスだけが残った、そんな感じです。自分の中にはもう何の希望もありませんでした。そして、自殺する気力すら失ってしまったような気もします。




「自殺する気力」という所で思ったのですが、自分は今回の引っ越しにおいて、首吊りの準備をせねばならなかった訳ですが、とりあえずその引っ越しはなんとか終わり、結果首吊りはしないで済みました。自分はこの引っ越しの準備中ずっと首吊り願望だけを心の支えにして頑張ってきたのですが、ここに来てようやく引っ越しが終わり、ホッとした所もあったと思います。そう、引っ越しが終わった以上、しばらくは首吊り願望の事を忘れても良いのでは、と。もちろんこの先また引っ越しのような大きなトラブルが巻き起こった場合は、またそれの出番が来るでしょうが、とりあえずは一段落だな、みたいな。




「首吊りの準備」=「生命の危機」と言い換えれると思うのですが、自分はまさにこの引っ越しにおいて生命の危機を迎えていました。首吊りの準備もそうですし、「寝ている時に家族に殺されるかも」という恐怖心もありましたからね。それらの恐怖によって自分はますます眠れなくなっていき、睡眠の質もさらに激しく劣化していく事になりました。そうなると、自分の鬱もさらに悪化していきまして、「鬱の廃人」+「鬱の狂人」状態に陥ってしまった。自分は今回の引っ越しと東○荘事件によって、鬱がさらに3倍に悪化したと思っています。そう、1年前の引きこもり明けの鬱状態からさらに3倍に悪化です。ではこの時点で自分の鬱が高校時代の何倍にまで悪化したのか、計算してみたいと思います。



1992年 高校1年生で鬱発症

1995年〜1999年 1つ目の大学の空手部で鬱が3倍に悪化(鬱の廃人状態)

1999年〜2005年9月 2つ目の大学と尿管結石と1年間の引きこもりでさらに鬱が2倍に悪化(鬱の狂人状態)



2005年9月〜2006年6月 引っ越しと東○荘事件によりさらに鬱が3倍に悪化(「鬱の廃人」+「鬱の狂人」状態)




という訳で3×2×3=18ですから、高校時代より18倍悪化したという事になります。う〜ん、悪化しましたねぇ。ちなみに毎度毎度ですが、1つ目の大学空手部時代の鬱の諸症状のコピペはこちらです。



・大学空手部のとある練習メニューが自分には厳し過ぎて、その恐怖感で夜眠る事が出来ない。(空手部時代の話②)
・慢性的な食欲消失(大学時代の鬱の諸症状)
離人感(〜離人感と冷え性〜)
・酷い冷え性(〜離人感と冷え性〜)
・慢性的な疲労感と眠気(〜慢性的な疲労感と眠気〜)
・限定的な難聴(〜慢性的な疲労感と眠気〜)
・自殺願望(〜自殺願望と救い〜)
・常に訳もなくず〜っと悲しい。
・慢性的な口内炎



ですから、自分が今回の引っ越しを終えた時の鬱の諸症状の状態は、上記の大学空手部時代の鬱の諸症状が6倍悪化した状態、という事になります。そりゃベッドの上から動けなくなる訳です。




今日はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!m(_ _)m





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