鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

こちらの過去話に対する母親のリアクション②(2008年2月・32歳)

皆さんこんばんは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「 息子の過去話に対する母親のリアクション(2008年2月・32歳)」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事は、自分が母親に「暴言事件」を喋った際の話でした。「暴言事件」とは自分が高校1年生(16歳)の時に起きた性的要素を多分に含む舌禍の事です。詳細はこのブログの初期(2019年10月)の記事に書いてあります。そう、自分はこの事件をきっかけに鬱を発症しまして、それはこの時(32歳)に36倍にまで悪化していました。つまり、この事件は自分の鬱の「起点」となっている事件なんですね。ですから、この事件を喋らずして自分の鬱は語れない、という事になります。




それでこの話をした際の母親のリアクションなのですが、「ノーリアクション」だった、という話も前回させて貰いました。そう、「驚く」でもなければ、「大変だったねぇ」でもない。そして、「軽蔑」した様子でもない。「ノーリアクション」です。そして、この態度はこの話に限った話ではありません。自分が過去の話を喋っている時、母親はず〜っとノーリアクションだったのです。ただただ黙って話を聞いているだけ。いや〜、これは滅茶苦茶虚しかった記憶です。自分が必死に母親に対する「殺しても殺し足りない」以上の憎悪を抑えて、過去の恥を晒しているというのに、母親のリアクションは「ノーリアクション」なのですから。なんじゃそりゃって感じでしたねぇ。ただ自分は喋り始めの頃はそんな母親のノーリアクションに対して「いづれ話が進むにつれて、リアクションしてくるだろう」期待していたんですよ。ですが、過去の記憶が終わりに近付いてきても母親のリアクションは全く無く、結局リアクションが無いまま、自分の過去の記憶の話は終わっていったのです。話が終わったのは、喋り始めてから3〜4ヶ月後くらいだったと思います。あれはマジで虚しかった。




何度も書いてますが、自分が母親と喋り始めたきっかけは「犬の吠え声で苦しくて堪らない気持ちを母親に理解させる為に、自分のこれまでの31年間の歴史を全て母親に喋ってみる」、ですからね。自分は母親に対して「理解」や「共感」を求めていました。しかし、この3〜4ヶ月の間、母親が自分の過去話に「理解」や「共感」を示すリアクションは1個も無かったのです。そう、自分は以前の記事の中で、「母親と喋り始めてからも自分の中の殺人的な疲労感や眠気が減る事は無かった」と書いたのですが、その原因はこの母親のノーリアクションにあると思っています。だって自分が「殺しても殺し足りない」以上の憎悪を乗り越えて、必死に自分の過去を喋っているにも関わらず、そこに対して母親は一切「理解」や「共感」は示さなかったのですから。だから自分は母親と喋り終わると毎回「燃え尽きた」ような虚無感を覚えていたのです。そりゃそうですよ、「首吊り」覚悟で必死に母親と喋っているにも関わらず、自分の望んでいるものは何一つ得られていないのですから。あれは虚しかったなぁ。




あ、思い出したのですが、例外パターンもありました。それは自分が深夜アニメのストーリーを詳細に喋った時です。あの時だけは「〇〇は話をするのが上手い。」と褒めてくれました。母親が自分の事を褒めたのは後にも先にもあの時だけのような気がします。また、「過去話」以外の日常の雑談に関しては普通にコミュニケーションは取れていました。





今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!





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