皆さんこんばんは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事と 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「 自分の鬱状態に気付くまでに12年かかった話(2008年2月・32歳) 」の続きを書かせて頂きます。
前回の記事は、自分が記憶のサルベージ(言語化)をしていく中で、自分が12年間に渡って鬱状態にあった事に気付いた、という話でした。(記憶のサルベージとは、自分が28歳の時に行っていたセルフカウンセリングの事です。自分は大学を2つ中退した後28歳で部屋に引きこもり、過去の記憶をひたすらノートに書いていきました。詳しくはこちらの記事をご覧下さい。ノートによるセルフカウンセリング⇒記憶のサルベージ(2004年4月頃・28歳))そう、自分は記憶のサルベージの初期段階において、自分の食欲が高校1年生の頃から12年間完全消滅していた事に気付き、その異常性に気付きました。その後、「食欲が12年間完全消滅していたという事は、12年間鬱状態だったのでは??」という仮説を立てまして、それを立証していった、という流れになります。懐かしいですねぇ。そして、その流れの中で自分の健康状態についての気付きもあった、という事になります。その気付きとは、「あれ??俺って本当の意味での『健康』や『元気』という状態を知らずに生きてきたのでは???」、です。この気付きも衝撃的でした。
そう、自分は記憶のサルベージ(言語化)の中で、幼い頃からの自分の健康状態に関する記憶も全てノートに書いていきました。すると思った通り、幼い自分が「元気」だったり、「無邪気」だったりする記憶が皆無だったのです。幼い頃の記憶を紐解いてみると、幼稚園の頃には喘息を発症しており、その苦しさの中で日々を送っていたんですね。そうは言っても小学校3年生「以前」の記憶には楽しげな記憶も若干あったりするのですが、小学校3年生「以降」の記憶はボロボロです。この頃から自分の喘息は急激に悪化し、毎夜毎夜続く激しい喘息の苦しさで全く眠る事が出来ません。故に学校には週の半分しか通えませんでした。
ちなみに自分の小学校3年生「以前」の記憶と「以降」の記憶とでは明確な違いがあったりもしました。どういう事かと言いますと、小学校3年生「以前」の記憶には色が付いているのですが、「以降」の記憶からは全ての色が抜け落ち、灰色一色なのです。これも気付いた時に衝撃でした。
話は戻ります。この小学校3年生の時の喘息の急激な悪化の原因は「家庭環境の急激な悪化」です。毎度毎度の話になりますが、この頃に父親が開業した事で両親の仲が戦争状態に突入したのです。それに伴い子供の自分のメンタルも急激に悪化し、喘息も悪化したのでした。
このように自分の健康状態は小学校3年生の時点で壊れていたのです。毎夜毎夜の喘息のせいで、背中の疲労感や眠気は慢性的なものとなっていました。何故「背中」かと言いますと、喘息を発症すると呼吸がすごく難しくなるんですよ。息を吸っても吸っても酸素が全然足りず、苦しくて仕方ない。それで必死になって息を吸おうとしますから、背中の筋肉をすごく使うのです。しかも喘息の苦しさは一晩中続きますから、背中の筋肉も一晩中使い続ける事になりまして、結果背中の筋肉が酷使され、滅茶苦茶疲れるのです。そして、喘息は毎夜毎夜発症し続けました。その間自分は眠る事が出来ません。そりゃ背中の疲労感が取れずに慢性的になっていくってものです。
自分はこのブログにおいて、「慢性的な疲労感」という言葉をよく使っていますが、その疲労感とは主に「背中」の疲労感を意味しています。例えば「引っ越し及び東○荘事件」(2006年・30歳)後の慢性的な疲労感。自分はこの時の慢性的な疲労感を「殺人的な疲労感」と表現し、さらに「背中に常に100kgの重りを背負っているような状態。その重さで身体が床にぺちゃんこに潰されてるようなイメージ」とも表現しています。やはり背中を中心とした疲労感なんですね。ですから、自分が小学校3年生の時に感じていた「喘息が原因の背中の疲労感」、これが全ての始まりだと言って良いと思います。この背中の疲労感が20年かけて鬱の悪化と共にどんどん酷くなっていった結果が「殺人的な疲労感」なのです。
え〜っと、突然すみません。現在(2021年7月25日)のスキッパーです。このブログの本筋としましては、2008年3月にランニングを始めた話が最新の本筋なのですが、そこから「運動」や「健康」のキーワードを切り口にして、過去の方に話が広がっています。実は2008年の自分は2008年の5月頃から「鬱歩き(仮称)」という新たな試みを始める事になります。これは週に3回、1回平均4時間、ただひたすらに街を歩き回るという行為です。この行為はとにかく「歩く」事が重要で、「身体」を酷使する行為でありました。ですから、現在の自分(2021年7月)としましては、この話に入る前に自分の身体が過去どのように壊れていったのか、改めてその歴史を確認してみたいという欲求に駆られています。という訳で、ここからしばらくは本筋を離れまして、以下の切り口で過去の記憶を改めて書いていきます。
・自分の身体が鬱でどう壊れていったのか
・当時の自分は鬱で壊れていく身体をどれくらい認識出来ていたのか
実はすでに今のこの記事から40記事程ストックしている状態なのですが、未だに本筋には戻れていない状況です。長い脱線になりますが、お付き合いの程よろしくお願い致します。
今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!
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