鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

「自己紹介事件」を誰にも喋れない(過去編・1989年・13歳)

皆さんこんばんは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「中学入って早々の「自己紹介事件」(過去編・1989年・13歳)」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事は、自分が中学に入学した時に起こった「自己紹介事件」について書いてみました。事件の概要としましては、自分は中学入学と同時に吹奏楽部に入部しました。そして、新入生としての自己紹介の時に、受け狙いで先輩を揶揄してしまい、大滑り。その日の帰り道は精神的ショックで周りの景色が灰色に見えました。大滑りした事もショックでしたし、今回の事件で周りの先輩達が自分の事を「生意気なやつ」と認識し、最悪いじめられたりするのではないかと考えたのです。そこまで想像すると、自分は恐ろしくて仕方なくなりました。「最悪だ、、」って感じでしたね。(事件の詳細はこちらの記事に書いてあります。〜中学吹奏楽部におけるやらかしエピソード②〜高1で鬱病を発症するまでの具体的エピソード⑨)




しかもこの時の自分の心の中には半年前の「A先生怒られ事件」による精神的ショックがまだまだ生々しく残っていました。(「A先生怒られ事件」の概要はこちらです。)この状態でさらに大きな精神的ショックが追加された、という事になります。あれもキツい事件でしたねぇ。そして、「A先生怒られ事件」同様、自分はこの事件に関しても、親や友達に喋る事が全く出来ません。相談相手は皆無でしたからね。ですから、この事件に関しても自分は精神的ショックを何一つ消化する事が出来ませんでした。




この事件によって自分の心の中には「やらかした感」や「恐怖感」が発生しましたが、これらの感情は全く消化されないままです。それによって「孤独感」も発生していたと思います。また、誰にも喋れていませんから、この事件の事実関係を整理し、そこから教訓や学びを抽出する、なんて事も当然出来ませんでした。この事件も「A先生怒られ事件」同様、何一つ整理整頓されず、何一つ消化されず、記憶の海の底に沈んでいく事となったのです。




ではここで、この「自己紹介事件」後の自分のメンタル状態をまとめてみたいと思います。❻を新たに付け加えてあります。



「中学時代(『自己紹介事件』後)のポジティブな感情」


①学校の勉強が得意


「中学時代(『自己紹介事件』後)のネガティブな感情」


❶家庭内における自分という存在のかなりの不安定さ

❷一晩中続く喘息の苦しさ

❸背中の慢性的な疲労

❹喘息のせいでスポーツが全く出来ず、スポーツ系のクラスメートに引け目を感じる

❺「A先生怒られ事件」によるかなりの虚無感+この事件を誰にも喋る事が出来ない孤独感

❻「先輩揶揄事件」による「やらかした感」と「恐怖感」+ この事件を誰にも喋る事が出来ない孤独感



(❶〜❹は小学校3年生時点ですでに発生)



いいですね!よくまとまりました!







今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!





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