皆さんこんばんは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事と 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「自転車通学という名の無意識の自傷行為(過去編・1993年・17歳)」の続きを書かせて頂きます。
前回の記事は、自分の高校時代のメンタルヘルスを考えてみました。当時していた自転車通学が自分にとっては「無意識の自傷行為」になっていた、という話です。今回の記事も高校時代のメンタルヘルスから考えていきます。と、その前に、まずは自分が幼い頃から高校時代に至るまでにどのようにして「自分という存在に対する自信」を失っていったのか、フローチャートで示したいと思います。各項目の後ろの数字は自分の中の「自分という存在に対する自信」を数値化しています。(この数値をメンタル数値と呼んでいます)
3歳くらいの時に起きたとある事件により、親に対して自分の感情や欲求を言うのを諦める(プラスマイナス0)
(とある事件の概要は こちら)
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小学校3年生の時の家庭環境の急激な悪化(マイナス5)
(詳細はこちら)
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小学校3、4年生の時のスイミングスクールにおける離人感(マイナス5)
(詳細はこちら)
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小学校6年生の時の「A先生怒られ事件」 (マイナス8)→ 被害妄想発症
(概要はこちら)
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中学入学時の「自己紹介事件」(マイナス10)
(概要はこちら)
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中学校3年間の「ゲームボーイ依存」(マイナス10)
(概要はこちら)
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中学校のクラスにおける「被害妄想的ないじめの予期不安」(マイナス10)
(概要はこちら)
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高校入学時に起こった「歓迎会逃亡事件」(マイナス11)
(概要はこちら)
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高校1年生の秋に起こった「暴言事件」(マイナス16)
(概要はこちら)
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高校1年生の3月に起きた「寄せ書き事件」(マイナス21)
(概要はこちら)
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高校2年生の4月に起きた「ホルンパートでの自己紹介事件」(マイナス22)→ 鬱を完全発症
(概要はこちら)
このように自分は幼い頃から「自分に対する自信」を失っていく一方の人生を送っていました。その結果、高校2年生の4月に起きた「ホルンパートでの自己紹介事件」によって鬱を完全発症してしまいました。その時のメンタルヘルスは以下の通りになります。
「高校時代のメンタルヘルス」
「高校時代(『ホルンパートでの自己紹介事件』後)のポジティブな感情」
無し
「高校時代(『ホルンパートでの自己紹介事件』後)のネガティブな感情」
❶家庭内における自分という存在のかなりの不安定さ
❷一晩中続く喘息の苦しさ
❸背中の慢性的な疲労感(かなりの痛み)
❹喘息のせいでスポーツが全く出来ず、スポーツ系のクラスメートに引け目を感じる
❺小学校6年生の時の「A先生怒られ事件」による「被害妄想的な恐怖感」+この事件を誰にも喋る事が出来ない孤独感
❻中学校入学時の「自己紹介事件」による「やらかした感」と「恐怖感」+ この事件を誰にも喋る事が出来ない孤独感
❼高校入学時の「歓迎会逃亡事件」による「やらかした感」と「恐怖感」+ この事件を誰にも喋る事が出来ない孤独感
❽高校1年生の夏に起こった「暴言事件」による凄まじい「被害妄想的な恐怖」+ この事件を誰にも喋る事が出来ない孤独感
❾高校1年生の3月に起こった「寄せ書き事件」による凄まじい「被害妄想的な恐怖」+ この事件を誰にも喋る事が出来ない孤独感
10 高校2年生の4月に起こった「ホルンパートでの自己紹介事件」による「やらかした感」と「恐怖感」+ この事件を誰にも喋る事が出来ない孤独感
(❶〜❹は小学校3年生時点ですでに発生)
う〜ん、ネガティヴな感情山盛りです。確実に心を病んでいます。そして、自分の身体の方も上記のメンタルヘルスを反映し、以下の鬱の諸症状を発症していました。
「高校時代の6つの鬱の諸症状」
①食欲の完全消失
②日曜夜ごとの激しい喘息
③慢性的な背中の疲労感(痛み)と眠気
④学校生活中の激しいめまい
⑤激しい被害妄想
⑥自転車通学による無意識の自傷行為
(「③慢性的な背中の痛み」と「⑤激しい被害妄想」は相関関係にある。慢性的な背中の痛みが酷くなっていくと、被害妄想も酷くなっていった。)
さて、今回の記事でピックアップしたいのは、「⑤激しい被害妄想」です。この「被害妄想」によって、自分の精神は長年根底からグラグラに揺るがされ続けたと言って良いと思います。これはホントにキツかった。まず自分自身が「自分という存在」を全く信じられなくなっていったのです。「自分という存在」が立っている地面が常に滅茶苦茶不安定にグラグラに揺れており、いつその地面が割れて、その下に落ちていくか分からない、そんな恐怖のイメージです。そして、そのイメージは、「自分に対する自信」を失うにつれて、どんどんどんどん強くなっていきました。
そして、自分自身が「自分という存在」を全く信じられていませんから、「他人から見ても自分という存在は軽んじられても仕方ない存在なのだろう」、と感じてしまうのです。そして、その感覚はどんどん悪化していき、「自分という存在は、いつ他人から『からかい』や『いじめ』の対象になってもおかしくない人間なのだ。」となっていったのです。そう、これが「被害妄想」です。正確には「被害妄想的な予期不安」ですね。自分は過去にいじめられた経験は無いのですが、その「予期不安」にホントに怯えていたのです。自分は中学時代からその「被害妄想的な予期不安」に怯え始め、常にビクビクオドオドしながら、学校生活を送るようになっていきました。
少し時系列を遡りまして、自分の人生の中で最初にその「被害妄想」が現れた事件が、小学校6年生の夏の「A先生怒られ事件」です。事件の概要はこちらです。自分はA先生に怒鳴られて以降、この先A先生が自分に対して理不尽に厳しく接してくるのではないか、と怯え、A先生の授業に出れなくなってしまいました。この時の思考はまさに「被害妄想的な予期不安」だったと思います。まだ、実際に厳しくされた訳でもないのに、そうされるような気がして、恐ろしくてたまらなくなったのです。自分はこの事件の精神的ショックを誰にも喋る事が出来ませんでしたから、この「被害妄想的な予期不安」は酷くなる一方でした。結局自分は事件後A先生の授業に1度も出る事なく、塾を辞めてしまったのです。
その半年後に自分は中学生になりました。しかし、入学早々「自己紹介事件」が起こり自分はまたもやらかしてしまいます。自分は吹奏楽部の自己紹介の際に、ウケ狙いで先輩を揶揄するような事を言ったのですが、それが大滑りしてしまったのです。事件後の自分はまず大滑りした事がかなりショックでした。恥ずかしい気持ちでいっぱいでした。
その次に自分の心の中には「被害妄想的な予期不安」がどんどん大きくなっていったのです。その予期不安とは「あの発言で先輩達は自分の事を生意気なやつと認識し、明日からいじめの対象になるのではないか??」、です。自分はこれを考えると恐ろしくて仕方ありませんでした。そして、自分はこの件に関しても誰にも相談出来ませんでしたから、「被害妄想的な予期不安」は大きくなる一方だったのです。
その結果自分は事件後先輩達に対して必要以上に下手に出るようになっていました。これ以上生意気な奴と思われるのを避ける為です。その行動が正しかったのか、それとも先輩達が優しかったのか、それとも先輩達が気にして無かったのかは分かりませんが、その後先輩達が自分をいじめたりするような事は起こりませんでした。
しかし、だからと言ってこの「自己紹介事件」で出来た心の傷が癒える事は全くありませんでした。自分はこの事件を誰にも喋る事がありませんでしたから、この事件の時系列や背景や原因は全く整理される事なく、記憶の海の底に沈んでいったのです。同様にこの事件で出来た「心の傷」も全く癒える事はなく、血をダラダラ流した状態で記憶の海の底に沈んでいく事となりました。
「心の傷が全く癒える事が無かった」という事で言えば、小6で起きた「A先生怒鳴られ事件」も同様です。自分はこの事件に関しても誰にも相談する事が出来ませんでしたから、この事件の記憶もまた全く整理されず、血をダラダラ流した状態で記憶の海の底に沈んで行く事となったのでした。
今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!
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