鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

親の金を総額いくら盗んだのか計算してみる(過去編・1989年・13歳)

皆さんこんにちは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「家庭内で日常的な会話が皆無なので、非日常的な辛さを誰にも喋れない(過去編・1989年・13歳)」の続きを書かせて頂きます。



前回の記事は、自分が「自己紹介事件」によってますます現実世界が虚しくなった、という話でした。この事件は自分が中学に入学すると同時に起こった事件です。事件の概要はこちらです。そして、話は半年前に戻ります。この時自分は小学校6年生で季節は夏。自分はこの時にもとある事件によってかなり大きな精神的ショックを受けていました。その事件とは「A先生怒られ事件」です。事件の概要はこちらです。この事件によって自分は現実世界の何もかもが虚しく、何もかもが物悲しくなってしまいました。これにより事件以降の自分は以下の問題行動が続いたのです。



①親の金を盗んでゲームセンター


②本屋で万引き


③親に何も伝えず無断外泊



ちなみに「①親の金を盗んでゲームセンター」ですが、ちょっとここで自分が総額どれくらいのお金を盗んだのか考えてみたいと思います。当時うちの両親は住んでいる家の1階で開業をしていまして、うちの母親も1階の窓口でそれの事務を手伝っていたんですね。それで窓口ではお金を扱いますから、お釣り用の小銭が沢山用意してあったのです。そして、自分はそのお釣り用の小銭をちょくちょく盗んでいました。そう、50円玉が50枚ずつまとまって棒になっているやつとか、100円玉が50枚ずつまとまって棒になっているやつとか、500円玉のやつも盗んでましたね。500円玉のやつなんて50枚だと25000円ですからね。500円玉の棒を盗んだ後はなんだかリッチな気分になったのを覚えています。




50枚ずつまとまった棒です。いわゆるシュリンクで巻かれている小銭ですね。


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自分はこの盗んだお金を使って、塾をサボっている最中にゲームセンターで時間を潰していました。そして、ゲームセンターって50円玉とか100円玉を使ってゲームをするんですよ。ですから、お釣り用の50円玉や100円玉がまとまった棒は、ゲームセンターで使うのにはホントにおあつらえ向きでした。それで自分はこの棒をちょくちょく盗んでいたのです。主に50円玉や100円玉でしたが、たまに500円玉のも盗んでましたね。大体2週間に1度くらいのペースで50円玉1本、100円玉1本だったような気がします。んで1ヶ月に1度くらいのペースで500円玉1本。つまり、1ヶ月に4万くらい盗んでいたという事になります。そして、自分は塾を3ヶ月間くらいサボり続けました。つまり、その間に12万円くらい盗んでいた、という事になります。まぁそれ以外にも母親の財布から直接お札を盗んでいた記憶もありますね。




そして、親の金を盗んでいる時の自分の気持ちですが、親に対する「罪悪感」はこれっぽっちも無かった記憶です。何故なら幼い頃より両親は自分に対して全く無関心でしたし、自分も両親に対して自分の感情や欲求を表現する事を諦めていました。そして、自分が小学校3年生の時に両親は新規で事業を始め、ますます自分は放置状態になっていきました。両親は新規事業と激しい夫婦喧嘩に全ての時間とエネルギーを注ぎ込み始めたのです。




家の中は戦争状態に陥り、自分の存在はますます省みられる事がありません。自分の心はどんどん荒廃していきました。それによって喘息もどんどん悪化していきましたから、自分は小学校3年生と4年生の2年間のうち、半分くらいは学校を休んでいました。この喘息の苦しさによって自分の心がますます荒廃していった部分もあると思います。ですから、小学校6年生の自分は親の金を盗んだってなんの罪悪感も無かったのです。自分は両親に対して何の愛情も信頼も感じていませんでしたし、ただただ親に対して冷め切っていたのです。




小学校3年生以降、自分の目の前では両親が新規事業の事で朝から晩まで死ぬ程忙しそうにしていました。加えて、親族問題が原因で激しい夫婦喧嘩を連日繰り広げていました。自分はそんな両親の姿を凄まじく冷めた目で見ていた記憶があります。「あぁなんかまたドタバタやってんな」くらいの感じです。自分は両親の大変そうな姿を見ても何一つ心が動かなくなっていました。そうそう、当時うちの母親は「お父さんと離婚したい、離婚したい」とよく泣いていたのですが、自分はそれを見ても何も感じませんでした。だってうちの母親は幼い頃から自分に無関心でしたし、開業後はますます自分の事を省みなくなっていたからです。あ、でもうちの母親は料理や掃除などの家事はとても一生懸命する人ですので、そういう部分に関しては一生懸命して貰ったと思います。ちなみにうちの父親の方は母親以上に子供に冷淡な人間でした。




ですから、自分は「A先生怒られ事件」後、釣り銭用の小銭を盗んでも何の罪悪感も感じなかったのです。この時期に自分は親に無断で知り合いの家に外泊したのですが、それに関しても罪悪感は皆無です。むしろ、自分の事を放置し続けている両親に対して「少しは心配させたれ」的な当て付けの気持ちもあった記憶です。





これらの問題行動は半年間続き、自分は中学生になりました。そして、入学直後に「自己紹介事件」が起こり、さらに自分の心の中は荒廃した、という感じです。事件後の自分のメンタルは以下の通りです。




「中学時代(『自己紹介事件』後)のネガティブな感情」



①学校の勉強が得意




「中学時代(『自己紹介事件』後)のネガティブな感情」




❶家庭内における自分という存在のかなりの不安定さ

❷一晩中続く喘息の苦しさ

❸背中の慢性的な疲労

❹喘息のせいでスポーツが全く出来ず、スポーツ系のクラスメートに引け目を感じる

❺「A先生怒られ事件」によるかなりの虚無感+この事件を誰にも喋る事が出来ない孤独感

❻「自己紹介事件」による「やらかした感」と「恐怖感」+ この事件を誰にも喋る事が出来ない孤独感



(❶〜❹は小学校3年生時点ですでに発生)




う〜ん、辛い。そりゃ、ゲームの世界に現実逃避するってものです。そして、自分はゲームの世界に完全に現実逃避しましたので、現実世界での問題行動の数々はピタッと止まったのでした。





今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!





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