鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーションについて

15年間引きこもって鬱と闘病した44歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。skipper1242でツイッターもやってます。

妹に対する激しい憎しみ(過去編・2003年7月・27歳)

皆さんこんにちは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表&鬱悪化のフローチャートも併せてどうぞ。では、前回の記事「妹に対する激しい劣等感(過去編・2003年7月・27歳) 」の続きを書かせて頂きます。



前回の記事は、自分が妹に対して激しい劣等感を感じるようになっていった、という話でした。時期的には、自分が2つ目の大学の復学に失敗し、古本屋バイトにおいても挫折を重ねている頃です。自分は幼い頃から「自分に対する自信」をどんどん失い続けており、この頃になるとそれは「マイナス88」まで失われていました。これは病的(×3倍)な被害妄想を発症している状態でもありました。よって劣等感も極度に感じ易くなっていたのです。



そして、先程書きましたように、自分は2つ目の大学の復学に失敗し、その後古本屋バイトにおいても「被害妄想」や「鬱の諸症状」に苦しみまくっていました。ところがその頃の妹の人生の方は、海外へのホームステイが成功したり、新しい彼氏が出来たりで順調に進んでいました。そこで自分は妹に対して「格差」を感じ、激しい劣等感を感じるようになった、という流れになります。



また、これまで書いていますように、この時期に自分は妹に対して激しい憎しみも感じるようになっていきました。それは妹が母親とコミュニケーションを取り続けていたからです。一方自分の方は、この頃になると母親に対して「殺したい」程の憎しみを感じており、もはや母親とのコミュニケーションなど無理な状態に至っていました。そんな母親とコミュニケーションを取り続ける妹の事が信じられなかったですし、許せなくなっていったのです。



そう、当時の自分は母親の事をホントに許せなくなっていました。何故ならうちの母親は15年以上に渡って一方的に父親の事を激しく糾弾し続けていたからです。母親がいつまで経っても家の中を戦争状態に陥らせているせいで、自分はいつまで経っても家の中に「安心」や「暖かさ」を感じる事が出来ませんでした。



この時の自分は数々の挫折の果てに「鬱の廃人」状態に陥っており、ホントに切実に家の中にそれらを求めていました。しかし、小学校3年生の頃から延々と続いている戦争状態は、15年経っても終わる気配がありません。以前の記事で書きましたように、自分は大学を休学している時期に両親の仲裁に乗り出した事もありました。無いエネルギーを振り絞って、です。しかし、母親は全く自分のとりなしを聞き入れず、糾弾の手を緩めません。自分は徐々に仲裁に無力感を感じていき、その無力感は母親への憎しみへと変化していきました。



その後自分はさらに外の世界で挫折し続け、さらに家の中に「安心」「暖かさ」を求めるようになっていました。しかし、家の中は相変わらず母親のせいで戦争状態です。自分の中の母親に対する憎しみはどんどん増大していき、「殺したい」程の憎しみになっていきました。そして、そんな母親とコミュニケーションをとり続ける妹に対しても激しい憎しみを感じるようになっていったのです。



今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!




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