鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーションについて

15年間引きこもって鬱と闘病した44歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。skipper1242でツイッターもやってます。

妹に対する激しい劣等感(過去編・2003年7月・27歳)

皆さんこんばんは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表&鬱悪化のフローチャートも併せてどうぞ。では、前回の記事「テレビの取材を受けてきました。(番外編・2021年12月23日)」の続きを書かせて頂きます。



前回の記事は、番外編として自分が引きこもりのテレビ取材を受けてきた、という話でした。今回の記事はまた過去の話に戻ります。前々回の記事は自分が2つ目の大学の復学に失敗した後、妹に対して劣等感と憎しみを募らせていった、という話でした。また、いつも貼っているフローチャートに新たな項目を付け加えました。ではいつものフローチャートを貼りたいと思います。以下フローチャートの説明とフローチャートになります。いつもお読みの方はスルーして下さい。



このフローチャートは、自分が幼い頃よりどのようにして「自分に対する自信」を失っていったのかを示したモノです。では新しい項目を付け加えたフローチャートを今回も貼りたいと思います。各項目後ろの数字は、自分の中の「自分という存在に対する自信」を数値化しています。この数値を「メンタル数値」と呼んでいます。この数値が下がれば下がる程、自分が「自分に対する自信」を失った事を示します。同時に「被害妄想」と「体調の悪化」も意味しています。



「鬱悪化のフローチャート


3歳くらいの時に起きたとある事件により、親に対して自分の感情や欲求を表現するのを諦める(プラスマイナス0)
(とある事件の概要は こちら)

小学校3年生の時の家庭環境の急激な悪化(マイナス5)
(詳細はこちら)


小学校3、4年生の時のスイミングスクールにおける離人(マイナス5)
(詳細はこちら)



小学校6年生の時の「A先生怒られ事件」 (マイナス8) 被害妄想発症
(事件の概要はこちら・被害妄想についてはこちら)



中学入学時の「自己紹介事件」(マイナス10)
(概要はこちら)

中学校3年間の「ゲームボーイ依存」(マイナス10)
(概要はこちら)

中学校のクラスにおける「被害妄想的ないじめの予期不安」(マイナス10)
(概要はこちら)

高校入学時に起こった「歓迎会逃亡事件」(マイナス11)
(概要はこちら)

高校1年生の秋に起こった「暴言事件」(マイナス16)
(概要はこちら)



高校1年生の3月に起きた「寄せ書き事件」(マイナス21)
(概要はこちら)

高校2年生の4月に起きた「ホルンパートでの自己紹介事件」(マイナス22) 鬱を完全発症
(事件の概要はこちら・8個の鬱の諸症状はこちら)



大学に入学後空手部に入部し、そこでの稽古の厳しさを乗り越えようと必死に自主練を繰り返すが全く体力が付かない。自分の中で無力感がどんどん増えていき、「被害妄想」がさらに悪化。それにより、空手部の稽古に対して「死の恐怖」を感じるようになり、夜眠れなくなってしまった。この生活を3年間続けた結果、鬱がさらに3倍に悪化。「鬱の廃人」状態に突入。(マイナス66)
(この時代の12個の鬱の諸症状はこちら)



大学3年生でカウンセリングを受け始めるも、鬱の諸症状の辛さをほとんど喋る事が出来ず、短期的には何のポジティブな効果も得られず。(マイナス66)(詳細はこちら)



大学空手部引退後も、トレーニングという名の「無意識の自傷行為」を続けてしまい、鬱が全く回復しない(マイナス66)(詳細はこちら・大学空手部引退後の「鬱の廃人」状態はこちら)



大学空手部引退後、自分の居場所を作ろうと、ロックダンス教室、タップダンス教室、ファミレスバイト、自動車教習所にチャレンジするも、全く周りとコミュニケーションが取れず、全て挫折。(マイナス71)(概要はこちら)



1つ目の大学を中退し、2つ目の大学で大学生活をやり直す。しかし、半年でクラスと手品サークルの人間関係から脱落。その後タップダンス教室や大学の体育の授業でも人間関係を作れず、大学生活が破綻。(マイナス76)(概要はこちらこちら)



大学を1年間休学し、比較的穏やかに過ごす。(マイナス76)
(概要はこちら)


大学休学中、家の中に「居場所」「安心」「暖かさ」を求め、15年間続く両親の喧嘩の仲裁に動く。しかし、母親の心の中には15年間に渡って蓄積した「父親への不信感」が膨大に存在し、説得が全く通じない。自分は次第に仲裁を諦め、無力感を感じるようになっていった。そして、いつまでも父親の糾弾を続ける母親に対して、憎しみがどんどん増えていった。(マイナス78)(概要はこちら)

2つ目の大学に復学し、和楽器サークルに居場所を作ろうとするも、やはり周りの学生と全くコミュニケーションが取れず、3ヶ月で大学生活から脱落。(マイナス83)(概要はこちら)



2つ目の大学の復学に失敗後、再起をかけて古本屋バイトに取り組むも、「被害妄想」と「鬱の諸症状」が酷く、1年半で支店を撤退。その後、残った本店での人間関係もどんどん厳しくなっていった。(マイナス88)(概要はこちら)



大分長いフローチャートになってきましたwこのように自分の中の「自分に対する自信」は年齢を重ねるごとに失われていき、2つ目の大学への復学失敗後は、「マイナス88」まで失われていました。これは言い換えますと、「劣等感」が「マイナス88」まで増えた、という事です。そして、「劣等感」の話で言いますと、自分は2つ目の大学への復学を失敗後、妹に対する劣等感も酷くなっていきました。それは、妹が自分と比べてコミュニケーション能力が高いように思えたからです。妹の過去の話を聞いていますと、妹は小、中、高と「趣味友達」や「異性関係」に恵まれていました。それらは自分が喉から手が出る程欲しかったものです。



また、現実世界においても、自分は妹に対して劣等感を感じるようになっていました。自分は2つ目の大学の復学に失敗後、再起をかけて古本屋バイトに週3で入っていました。しかし、そこでも「被害妄想」と「鬱の諸症状」に苦しみまくり、撤退を余儀なくされました。一方妹の方は、同時期に海外へのホームステイを成功させていましたし、新しい彼氏も出来たという話でした。この現実における格差が自分を打ちのめしました。その劣等感はこんな感じです。


「自分と妹は同じ家庭環境で育っているにも関わらず、何故にこんなにもコミュニケーション能力に差があるのか。やはり自分という人間は生まれながらにして劣っている人間なのだ!!」


ここで重要なのは、自分はこうやって妹に対して激しい劣等感を抱く前から、幼い頃から外の世界で挫折し続け、すでに膨大な劣等感を抱えていた、という事です。そう、上記のフローチャートにありますようにその劣等感はこの時点ですでに「マイナス88」まで膨らんでいたのです。ですから、この時の自分は極度に劣等感を感じやすくなっていたと思います。



そして、この状態で自分と妹との間に現実格差が生まれました。振り返ってみますと、自分と妹は、自分が大学を休学していた1年間は共に「引きこもり状態」にあり、似たモノ同士でした。ですから、自分は妹の過去の話を聞いてもそこまで劣等感を持つ事もありませんでした。しかし、その後自分と妹の人生のベクトルは180度真逆に開いていった、と言えます。自分は大学復学に失敗し、再起をかけた古本屋バイトでもさらに外の世界で挫折していきました。



一方、妹の方は海外へのホームステイを成功させたり、新しい彼氏が出来たりで充実しているようでした。そして、先程書きました通り、あの時の自分は極度に劣等感を感じやすくなっていました。ですから妹に対しても激しい劣等感を抱いたのです。




自分はそれまで外の世界で散々劣等感を感じてきましたが、「家族」に対して劣等感を感じるというパターンは、これが始めてであり、これはホントにキツかった記憶です。



何故なら自分が「外の世界」で激しい劣等感を感じ精神的にキツくなった場合ですが、この場合はそこを撤退すれば、それ以上劣等感は感じずに済みます。例えばこれまで自分はダンス教室やバイトや大学生活等で散々劣等感を感じてきましたが、辛くなればその場所を辞めてしまえば、とりあえずその場所で劣等感を感じる事はなくなりました。




しかし、一つ屋根の下に住む家族だとそうはいきません。妹は自分の隣の部屋に住んでいましたから、自分は激しい劣等感を延々と感じなければならなくなったのです。もちろん一人暮らしの選択肢なんてありません。「鬱の廃人」状態の自分にそんな選択肢などありませんでした。



今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!





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