鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーションについて

15年間鬱と闘病した45歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

父親に対する被害妄想〜引きこもり中の鬱の諸症状⑨(過去編・2005年1月・29歳)

皆さんこんばんは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表&鬱悪化のフローチャートも併せてどうぞ。では、前回の記事「 サッカー日本代表戦絡みの被害妄想まとめ〜引きこもり中の鬱の諸症状⑧(過去編・2005年1月・29歳) 」の続きを書かせて頂きます。



前回の記事は、自分が引きこもり時期に感じていたサッカーの日本代表戦に対する凄まじい殺意をまとめてみました。当時の自分は29歳です。全ての社会生活と家族関係から脱落し、部屋に引きこもって過去の記憶をノートにひたすら書く日々を過ごしていました。自分がサッカーの日本代表戦に殺意を感じていた理由は以下の5つになります。



①ノートにひたすら過去のトラウマを書いていく事で感じるストレス。それは空手部時代を始めとする数々のトラウマを再体験するという事であり、これだけでも発狂もののストレス。


②当時の自分は母親と妹に対して「殺したい」程の憎しみを感じていた。そんな母親と妹が仲良さげにサッカーを見ている事が許せない。


③自分は全ての社会生活と家族関係から脱落して、ひたすらトラウマと向かい合っていた。一方、母親と妹はお気楽にサッカーを楽しんでいる。この格差に対する凄まじい憎しみ。


④深夜の時間帯(1時以降)に騒がれることに対する憎しみ。普段この時間帯は、他の家族は寝ていて、自分一人だけの落ち着く時間帯。その落ち着く時間帯を土足で荒らされているような激しい憎しみ。


⑤自分が全ての社会生活と家族関係から脱落し、ひたすら過去のトラウマをノートに書いている時に、日本全国が日本戦の話でお祭り騒ぎになっている。それに対する悲しさと孤立感と絶望感。



このように当時の自分はサッカーの日本代表戦に対して凄まじい殺意を感じていました。根本的な所で言いますと、当時の自分は病的(×6倍)な被害妄想に苛まれていましたから、この凄まじい殺意の大元の原因はそこにあったとも、言えます。



以前の記事でも書きましたが、自分が引きこもり中、最も被害妄想が酷かった時間帯が「寝付くまでの1時間」です。これがもうダントツでキツかった被害妄想です。そして、2番目にキツかったのが、このサッカー日本代表戦絡みの被害妄想です。さらに3番目に思い出すのが、父親絡みの被害妄想です。今回の記事はこの3番目の被害妄想について書いていこうと思います。



これがどういう被害妄想だったのかと言いますと、あれは部屋に引きこもってから半年くらい経った頃だと思います(2005年3月頃・29歳)。自分は相変わらず記憶のサルベージ(言語化)に没頭し続けており、そこに全ての時間とエネルギーを投入し続けていました。もちろんその間他人との接触は現実世界・ネット世界含めて皆無です。もちろん家族との接触も皆無です。自分はひたすら自分のトラウマと向き合い、それをノートに書き続けていました。



そんなある日の事、急に父親がドア越しに「〇〇(自分の名前)部屋で何やってるんだ???」と声を掛けてきたのです。もちろん、自分はその問いをガン無視しました。何故なら自分は父親に対して「殺したい」程の憎しみを抱いていました。尿管結石の際の血も凍る暴言を忘れるはずがありません。(事件の詳細はこちら)その時の自分の気持ちとしては、「何を父親ヅラして言ってやがるんだ???」って感じでしたね。その声を聞いた途端、はらわたが煮え繰り返るのを感じました。尿管結石の際の暴言を忘れるはずがありません。



また、仮にあの事件が無かったとしても、自分は幼い頃より父親に対して何の信頼も愛情も感じないまま、年齢を重ねてきました。うちの父親は幼い頃から全く自分に対して無関心な父親でしたからね。遊んで貰った記憶など一つもありませんし、父親との思い出自体が皆無なのです。自分にとって父親という存在は、一つ屋根の下に住んでいるにも関わらず、透明人間のような存在でした。うちの父親は自分に対して全く興味を示していませんから、自分の方も全く父親という存在に興味がありませんでした。



うちの父親は自分が小学校3年生の時に自宅で開業しました。ですから一応幼い自分は父親の働く姿を見てはいました。しかし、それを見て父親の職業に憧れるという事も皆無だったのです。なんというか、父親とは一つ屋根の下に住んではいましたが、実質的には父親不在の家庭で育ったようなものです。



さらにその頃からうちの父親と母親の仲が急激に悪化。ここから我が家は15年間に渡って戦争状態であり続けたのです。その原因はうちの父親が我が家にもたらした酷いトラブルの数々です。うちの母親はそれらのトラブルの尻拭いで振り回され続け、次第に心を病んでいきました。そして、自分は小学校3年生の頃からそんな家庭環境下で育ったのです。うちの両親はその頃から新規事業と夫婦喧嘩に全てのエネルギーと時間を投入し、消耗し切っていきました。その中で子供の自分が顧みられる事など皆無だったのです。




そもそもうちの両親は小学校3年生以前から子供の自分の事を放置しがちでした。先程も書きました通り、うちの父親は子供の自分に対して全く無干渉でしたし、母親もうちの父親と妹の世話でいっぱいだったからです。そして、その状態は小学校3年生以降激化し、自分は完全放置状態になっていったのです。そんな戦争状態&完全放置状態において、子供のコミュニケーション能力や自尊心が育まれるはずもなく、逆に自分はそれらをどんどん失っていったのです。また、我が家の周りには、両親が頼れる親類縁者や友達も皆無でした。つまり、自分の周りには自分に暖かい興味を示してくれる大人は皆無だった、という事です。




そして、それから18年後、自分は全ての社会生活と家族関係から完全脱落して、部屋に引きこもる事になりました。自分は部屋に引きこもって自分の過去のトラウマをひたすらノートに書き始めました。そうしますと、まさに先程書いた自分の人生の流れがおぼろげながら見えてきたのです。つまり、自分が小学校3年生の時に起こった「家庭環境の急激な悪化」、これが自分の人生における大きなターニングポイントとなっているのだな、と思いました。まさにこの家庭環境の悪化こそが、自分の人生を「鬱方向」に決定付けたのだと感じたのです。



さて、そんな感じで自分が部屋に引きこもって、ノートにひたすらトラウマを書いていますと、父親が急にドア越しに「〇〇(自分の名前)部屋で何やってるんだ???」と声を掛けてきたのです。自分はこれに対してホントにはらわたが煮え繰り返った記憶です。まずなによりも「尿管結石事件」の恨みが凄まじかったですし、それが無くとも先程書きましたように自分にとって父親は全く父親らしい事をしていない父親だったからです。そんな父親が偉そうに「〇〇(自分の名前)部屋で何やってるんだ???」と声を掛けてきたのですから、自分はブチ切れです。とは言っても最初はその声掛けをガン無視するに留めていました。




今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!




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