鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

記憶のサルベージ(言語化)に終わりの気配が漂い始める(過去編・2005年7月・29歳)

皆さんこんにちは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表&鬱悪化のフローチャートも併せてどうぞ。では、前回の記事「自分の喘息=心因性説⑦(過去編・2005年7月・29歳) 」の続きを書かせて頂きます。



前回の記事も、自分が記憶のサルベージの中で「自分の喘息=心因性説」に確信を持っていった、という話でした。記憶のサルベージとは、自分が過去の記憶をひたすらノートに書いていく行為を指しています。この行為をしていた時の自分は29歳です。この頃の自分は全ての社会生活と家族関係から脱落し、部屋に引きこもって、記憶のサルベージ(言語化)を進めていました。



さて、2004年の4月頃から始まった記憶のサルベージですが、2005年の7月頃になりますと、いよいよ終わる気配が出てきていました。言語化していない記憶が徐々に見つからなくなってきたのです。自分はノートを書いていく中でそれを見つけようとするのですが、すでに言語化された記憶ばかりが思い出され、言語化されていない記憶がなかなか見つかりません。



当時の自分もようやくここで「あれ?もしかしてそろそろ記憶のサルベージが終わるのか??」と思い始めました。当時の自分はその気配を感じ取り、とても嬉しい気持ちになったのを覚えています。ようやくトラウマを再体験し続けるだけの日々が終わるのです。それはトラウマからの解放を意味していました。



しかし、そうは言っても記憶のサルベージが本当に終わるのかどうかは定かではありません。何せ1年と3ヶ月の間、書いても書いても全く記憶の底が見えて来なかったのですから。自分はその途中、先の全く見えない日々に何度途方に暮れたか分かりません。そう、自分は「この記憶のサルベージは永遠に終わらないのではないか?」、という恐怖にも怯えていたのでふ。



ですから、記憶のサルベージが終わりそうな気配が漂ってきても、自分は安易とそれを信じる事は出来ませんでした。自分は記憶のサルベージが終わりそうな気配を感じたものの、それがぬか喜びにならないよう、慎重にもなっていました。



さて、自分はそのような終わりの気配を感じつつも、これまで通り記憶のサルベージを進めていきました。しかし、やはり以前に言語化した記憶ばかりが出て来て、まだ言語化されていない記憶がますます見つかりにくくなっていきます。自分はさらに終わりの気配を感じ始めました。「やはり本当に記憶のサルベージが終わるのでは??」、と。



そう、思い返してみますと、この記憶のサルベージが始まったのは、2004年の4月頃です。この頃から自分は過去の記憶をひたすらノートに書き始めました。この行為にはとある目的がありました。その目的とは、以下の謎の答えが知りたかったからです。


「何故に自分の人生はどこにも居場所が作れず、社会から脱落する羽目になってしまったのか??」



自分はこの答えを心の底から欲していました。ですから、そのおよそ半年後の2004年9月にこの記憶のサルベージに専念する為に古本屋バイトを辞め、部屋に引きこもり始めたのです。自分は全ての社会生活と家庭関係から脱落し、この記憶のサルベージに全ての時間とエネルギーを投入し始めました。自分は自分の過去の記憶をひたすらノートに書いていきました。しかし、自分の過去の記憶はほぼ全てがトラウマと言っても良く、ノートを書きながら何度泣いたか分かりません。



また、当時の自分の体調は「鬱の廃人」状態×2倍状態に陥っていましたから、その状態の中で記憶のサルベージを進めていく辛さも半端ないものがありました。ではここで、引きこもりの期間の鬱の諸症状を振り返ってみたいと思います。以前の記事でまとめたものを引用します。滅茶苦茶長いコピペになります。


「引きこもり時期の9個の鬱の諸症状」


①当時の自分は睡眠を取っても取っても酷い疲労感が全く取れず、睡眠への欲求が底無しになっていた。自分にとって睡眠は、自分の生命と同じ価値を持っており、「睡眠を妨害される」=「生命を激しく傷付けられる」となっていた。故に自分の睡眠を妨害する可能性のある音に対して、「病的(×6倍)な怯え」と「病的(×6倍)な憎しみ」を感じる事に。


そして、実際に自分が睡眠を取ろうと布団の中に入ると、瞼を閉じた途端、上記の怯えと憎しみに襲われてしまい。全く眠る事が出来ない。実際にはまだ「睡眠を妨害する音」は発生していないのだが、その発生を先取りして考えてしまい、予期不安(予期憎悪)が発生。これにより自分の身体は恐怖と緊張でガチガチに強ばり、冷や汗ダラダラで覚醒してしまう。睡眠を取る際には毎回1時間、この恐怖と緊張に必死に耐え続けないと、寝付く事が出来なかった。


また、当時の自分は睡眠への欲求が底無しになっており、身体が無限に睡眠を要求していた。しかし、いざ実際に睡眠を取ろうとすると、上記の如く「病的(×6倍)な怯え」と「病的(×6倍)な憎しみ」に襲われ、全く寝付く事が出来ない。身体は無限に睡眠を欲しているにも関わらず、いざ睡眠を取ろうとすると、耐え難い精神的苦痛に襲われてしまう。これは自分の身体の中で起こっていた「激し過ぎる自己矛盾」であり、これによるメンタルダメージも甚大だった。



②引きこもり中も相変わらず食欲は完全消失していた。記憶のサルベージ(言語化)によって言語化される記憶のほとんどはトラウマであり、「記憶のサルベージ」=「トラウマの再体験」と言って良い。そして、トラウマを再体験すればする程、自分の胃は10kgの鉛を飲んだように重くなっていった。こんな状態で食欲が湧くはずがない。


③酷い冷え性は大学空手部時代と比べてさらに2倍悪化。それ故異常に風邪を引きやすくなっており、風呂にも入れない。頭がどうしても痒くなった時に月に1度シャンプーするくらい。湯船に入る体力は無い。また、眠る時には服を5〜6枚重ね着し、布団を6〜7枚掛け、さらにその上にいらない服を6〜7枚載せないと寒くて眠る事が出来ない。しかもこの状態で①の精神的苦痛に襲われ続け、1時間耐えねばならなかった。


④ 大学空手部時代と比べて慢性的な背中の激痛と眠気は2倍に悪化していたのだが、これらは部屋に引きこもっている1年間はそれほどの苦痛にはならなかった。本当にこれらがキツかったのは引きこもり明けのパチンコで稼いでいる時期。パチンコを打っている間、これらの肉体的苦痛がホント辛くて仕方なく、その肉体的苦痛で意識朦朧としながらパチンコを打っていた。


⑤自殺願望も大学空手部時代に比べて2倍悪化していた。社会生活と家族関係から完全脱落し、体調も「鬱の廃人」×2倍状態に陥っている自分にとって、ますます自殺願望だけが唯一の心の支えとなっていた。

ただし一方では「記憶のサルベージ(言語化)を終わるまでは絶対に死ねない!!」との思いも強かった。自分はこの疑問の答えを心の底から切実に欲していた。


「何故に自分の人生はどこにも居場所が作れず、社会から脱落する羽目になってしまったのか??」


故に「記憶のサルベージ(言語化)が終わるまでは死んでも死に切れない」との思いもあった。つまり当時の自分は自殺願望に関しても両価的(自己矛盾)だったと言える。


⑥慢性的な口内炎


⑦自分は空手部引退後の6年間、トレーニングに対しても挫折し続けていた。やってもやっても体調を壊すばかりだった為、次第にトレーニングの強度は落ちていった。引きこもり期間に入ると、もはやそれはトレーニングではなく、30分間の散歩になっていた。しかし、それでも翌日の体調は壊れてしまう。自分はその状態にかなりの情けなさを感じていた。


⑧当時の自分は、サッカーの日本代表戦に溢れ返る殺意を感じていた。その理由は以下の5つ。


❶ノートにひたすら過去のトラウマを書いていく事で感じるストレス。それは空手部時代を始めとする数々のトラウマを再体験するという事であり、これだけでも発狂もののストレス。


❷当時の自分は母親と妹に対して「殺したい」程の憎しみを感じていた。そんな母親と妹が仲良さげにサッカーを見ている事が許せない。


❸自分は全ての社会生活と家族関係から脱落して、ひたすらトラウマと向かい合っていた。一方、母親と妹はお気楽にサッカーを楽しんでいる。この格差に対する凄まじい憎しみ。


❹深夜の時間帯(1時以降)に騒がれることに対する憎しみ。普段この時間帯は、他の家族は寝ていて、自分一人だけの落ち着く時間帯。その落ち着く時間帯を土足で荒らされているような激しい憎しみ。


❺自分が全ての社会生活と家族関係から脱落し、ひたすら過去のトラウマをノートに書いている時に、日本全国が日本戦の話でお祭り騒ぎになっている。それに対する悲しさと孤立感と絶望感。



⑨部屋に引きこもってから半年後くらいに「父親突入事件」が発生。この事件によりさらに甚大な精神的ダメージを受ける事となった。その精神的ダメージの内訳は以下の5つ。

「父親突入事件で受けた5個の精神的ダメージ」


❶そもそも自分は事件前から父親に対して「殺したい」程の憎しみを感じていた。1年半前に起きた「尿管結石事件」、その事件における父親の言い放った血も凍る様な暴言を忘れるはずがない。(事件の詳細はこちら)また、自分は幼い頃から父親に対して何の愛情も信頼も感じないまま年齢を重ねていた。父親は幼い自分に対してひたすら無関心であったので、自分の中に遊んで貰った記憶や楽しかった記憶が皆無。自分にとって父親は「お金を稼いでくる透明人間」だった。



❷部屋に引きこもってから半年後くらい経つと、父親がドア越しに「〇〇(自分の名前)部屋で何やってるんだ???」と声を掛けてきた。自分は問い掛けを聞き、はらわたが煮え繰り返った。その理由は❶の通り。自分にとって父親は幼い頃から「父親」ではなく「お金を稼いでくる透明人間」であったし、「尿管結石事件」での暴言によって「殺したい」程の憎しみを感じる相手になっていた。そんな父親が父親ズラして自分に問い掛けてくるのが、はらわたが煮え繰り返って仕方がない。自分は当然の如く問い掛けをガン無視。



❸その父親からの問い掛けは日を置いて3〜4回続き、自分はその度ごとにはらわたが煮え繰り返っていた。ある日自分は憎しみが限界を超え、問い掛けに対して「うっせぇ!!!俺は俺でやってるんだからほっとけ!!!」と怒鳴った。それに対して父親も怒鳴り返してきて、3〜4回怒鳴り合いが続いた。すると、父親は「お前はホントに何をやってるんだ!!!」と怒鳴り、ドアを開けて、自分の部屋に突入してこようとした。もちろん父親を部屋に入れる訳にはいかない。自分は必死にドアを押さえ、父親が入って来れないようにした。そんなドア越しの押し合いが5分程続き、結局父親は諦めて去っていった。



❹事件後の自分の心の中は超パニック状態に陥った。まず発生したのは、凄まじい殺意の嵐。事件前から自分にとって父親は「殺したい」程憎い存在だったのだが、そんな父親が無理矢理自分の部屋に入ろうとしてきたのだ。その行動に対する殺意の衝動は凄まじいものがあった。


❺一方自分の心の中には、凄まじい恐怖感も発生していた。今回の事で父親のそういう邪悪な意志が確認出来た以上、いつまた同じ様な事態が発生するか分からない。今後もしかしたら自分が寝ている時に父親が部屋に突入してくるかもしれない。さらに当時の自分は被害妄想が病的(×6倍)に激しくなっていた為、物事を究極的に悪く考える癖が付いていた。よって寝ている時に父親が部屋に突入してきて、自分は殺されるのではないか、という被害妄想が発生した。ただでさえ自分は①の被害妄想により、布団に入ってから寝付くまでに1時間かかるようになっていた。そこに加えてさらに新たな被害妄想が発生した為、寝付くまでの時間が1時間から1時間半に伸びた。また、寝付けたとしても極度に睡眠は浅く、ほとんど疲労感が取れていない状態。




なるほど〜。当時の自分は上記の鬱の諸症状の数々に耐えながら、記憶のサルベージを進めていった、という事になります。我ながらよくやりましたねぇ。そして、その中で自分は自分に関する発見を見つけていきました。この発見はどれも自分にとっては目から鱗な発見ばかりでした。自分はノートを書きながら、何度「なるほど〜〜!!」と感嘆したか分かりません。



そこには知的な興奮がありました。それまで全く知らなかった自分に関する重大な事実が次から次に言語化されるのですから、面白くないはずがありません。それはまるでミステリー小説です。記憶を無くした主人公が自らの記憶を見つけていくミステリー小説。しかもその主人公は「自分」ですからね。そりゃ面白いはずです。



ですから、記憶のサルベージ(言語化)という作業はとてつもなく辛い作業であると同時に、とてつもなく面白い作業でもありました。そして、その中で自分は自分に関する発見を次から次に見つけていったのでした。次回の記事では、記憶のサルベージにおける数々の発見をまとめてみたいと思います。




今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!




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