鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

記憶のサルベージの1年半をフローチャートでまとめてみる(過去編・2005年7月・29歳)

皆さんこんにちは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表&鬱悪化のフローチャートも併せてどうぞ。では、前回の記事「 記憶のサルベージ後半戦と終盤戦をまとめてみる(過去編・2005年7月・29歳)」の続きを書かせて頂きます。



前回の記事も、自分が1年5ヶ月に渡って取り組んでいた「記憶のサルベージ」がいよいよ終わろうとしていた、という話でした。当時の自分は28〜29歳です。「記憶のサルベージ」とは、自分が過去のトラウマをひたすらノートに書いていく行為を指しています。自分は28歳の4月頃からこの行為を始めまして、28歳の9月頃にはバイトを辞め引きこもり状態に陥りました。そこから、外出をほとんどせず、家族関係を始めとする全ての人間関係から孤立し、この記憶のサルベージに全ての時間を投下し続けました。そして、29歳の7月頃ようやく記憶のサルベージに終わりの気配が漂い始めました。もはや言語化していない記憶を探すのが難しくなってきていましたし、大満足で大納得な結論を導く事も出来ていたからです。



ここからは、前回の記事でまとめました記憶のサルベージの「後半戦」と「終盤戦」に関する項目を、フローチャートで繋げたいと思います。こんな感じになります。



2005年6月頃、記憶のサルベージの後半戦が終わる(29歳)。後半戦で言語化した記憶は、小学校3年生〜高校3年生までの記憶。ここでも自分に関する大きな発見が次から次に見つかっていった。後半戦で見つかった8個の発見はこちら



2005年8月頃記憶のサルベージの終盤戦が終わる(29歳)。ここで言語化した記憶は、小学校3年生以前の記憶と喘息に関する記憶。終盤戦で見つかった5個の発見はこちら



2005年8月頃、記憶のサルベージがいよいよ終わろうとしていた(29歳)。そもそも自分がこの記憶のサルベージを始めたきっかけは、以下の疑問の答えを心の底から欲していたからだった。

「何故に自分の人生はどこにも居場所が作れず、社会から脱落する羽目になってしまったのか??」


そして、自分は1年5ヶ月の間ひたすら自分の過去をノートに書き続け、上記の発見をしていった。そして、上記の発見の数々によって、上記の謎の答えが導かれていった。その答えとは


「小学校3年生以降、家庭環境が戦争状態に陥っていたから」。


自分はこの答えに大満足し、大納得していた。これによって自分は「自分に対する自信」を一部分大きく回復させる事となった。それはこのような感情によるものだった。


「自分の人生が28年目にして社会から脱落する羽目になってしまった原因は、『自分自身が生まれつき大幅に劣っている人間だったから』ではない!『小学校3年生以降家庭環境が戦争状態に陥ってしまったから』なんだ!!」



2005年8月頃、記憶のサルベージがいよいよ終わろうとしていた(29歳)。自分は大満足で大納得な答えを手にしていたし、もはやまだ言語化していない記憶が思い出せなくなっていた。すると自分の心の中に、この1年5ヶ月に及ぶ記憶のサルベージの内容をカウンセラーの先生に聞いて貰いたいという衝動が生まれた。そこで、自分はカウンセリング代と生活費をパチンコで稼ぐ生活を思い付いた。自分がこれまでの人生において唯一自信とプライドを持っていたのが、パチンコのスキルだったので、パチンコで稼いだお金でカウンセリングに通うというアイデアは、これ以上ないアイデアだった。自分はまず1年5ヶ月に及ぶトラウマまみれの生活から抜け出られる事が嬉しくてたまらなかったし、さらに新しい生活がカウンセリングとパチンコを組み合わせた生活である事も嬉しくてたまらなかった。



いいですね!では以前に作った記憶のサルベージの前半戦のフローチャートと上記のフローチャートを繋げたいと思います。かなり長いフローチャートになります。


「記憶のサルベージの前半戦、後半戦、終盤戦のフローチャート



2004年の4月頃、自分は最後の頼みの綱であった古本屋バイトからも脱落寸前になっており、いよいよ社会からの脱落が差し迫ってきていた(28歳)。そこで自分の中には以下の疑問が浮かび上がってきた。


「何故に自分の人生はどこにも居場所が作れず、社会から脱落する羽目になってしまったのか??」


自分はこの疑問の心の底から欲していた。そこで最初は親との会話の中でこの疑問を解こうと試みたが、すぐに挫折。そこで自分は過去の記憶をノートに書く事で上記の謎を解く事を思い付いた。ここから自分は、バイトと並行して記憶の言語化作業をしていく事とななった。当時の自分はこの作業を記憶のサルベージ(言語化)と呼んだ。



2004年9月、自分はいよいよ社会生活から脱落し、引きこもり状態に陥った(28歳)。そこで自分は起きている時間の全てを記憶のサルベージに費やし、この作業を進めていった。しかし、記憶のサルベージはトラウマの再体験を意味しており、自分のこれまでの人生はトラウマまみれ。よってトラウマの再体験が延々と続き、その精神的苦痛はまるで拷問のようだった。




2005年1月、記憶のサルベージが折り返し地点に到達(29歳)。この時点で大学空手部時代と小学校3年生の頃の記憶はほぼ言語化完了。しかし、当時の自分は折り返し地点に到達している事に全く気付いておらず、先の見えない戦いに絶望感を感じていた。一方それまでの記憶のサルベージにおいて、自分に関する重大な発見が次々に見つかり、自分はその一つ一つに目から鱗な感動と知的興奮を感じていた。(記憶のサルベージ前半戦における9個の発見はこちら)



2005年1月頃、「父親突入事件」発生(29歳)。父親が無理矢理自分の部屋に突入してこようとしてきて、自分は被害妄想による凄まじい精神的ダメージを受ける事となった。また、引きこもり中には、ワールドカップの日本代表戦が行われ、自分はそれを観戦する母親と妹に対して凄まじい殺意を感じていた。この2点を含む、引きこもり中の9個の鬱の諸症状はこちら



2005年6月頃、記憶のサルベージの後半戦が終わる(29歳)。後半戦で言語化した記憶は、小学校3年生〜高校3年生までの記憶。ここでも自分に関する大きな発見が次から次に見つかっていった。後半戦で見つかった8個の発見はこちら



2005年8月頃記憶のサルベージの終盤戦が終わる(29歳)。ここで言語化した記憶は、小学校3年生以前の記憶と喘息に関する記憶。終盤戦で見つかった5個の発見はこちら



2005年8月頃、記憶のサルベージがいよいよ終わろうとしていた(29歳)。そもそも自分がこの記憶のサルベージを始めたきっかけは、以下の疑問の答えを心の底から欲していたからだった。

「何故に自分の人生はどこにも居場所が作れず、社会から脱落する羽目になってしまったのか??」


そして、自分は1年5ヶ月の間ひたすら自分の過去をノートに書き続け、上記の発見をしていった。そして、上記の発見の数々によって、上記の謎の答えが導かれていった。その答えとは


「小学校3年生以降、家庭環境が戦争状態に陥っていたから」。


自分はこの答えに大満足し、大納得していた。これによって自分は「自分に対する自信」を一部分大きく回復させる事となった。それはこのような感情によるものだった。


「自分の人生が28年目にして社会から脱落する羽目になってしまった原因は、『自分自身が生まれつき大幅に劣っている人間だったから』ではない!『小学校3年生以降家庭環境が戦争状態に陥ってしまったから』なんだ!!」



2005年8月頃、記憶のサルベージがいよいよ終わろうとしていた(29歳)。自分は大満足で大納得な答えを手にしていたし、もはやまだ言語化していない記憶が思い出せなくなっていた。すると自分の心の中に、この1年5ヶ月に及ぶ記憶のサルベージの内容をカウンセラーの先生に聞いて貰いたいという衝動が生まれた。そこで、自分はカウンセリング代と生活費をパチンコで稼ぐ生活を思い付いた。自分がこれまでの人生において唯一自信とプライドを持っていたのが、パチンコのスキルだったので、パチンコで稼いだお金でカウンセリングに通うというアイデアは、これ以上ないアイデアだった。自分はまず1年5ヶ月に及ぶトラウマまみれの生活から抜け出られる事が嬉しくてたまらなかったし、さらに新しい生活がカウンセリングとパチンコを組み合わせた生活である事も嬉しくてたまらなかった。




いいですね!素晴らしい。よくまとまりました。次に各項目ごとのメンタル数値を考えたいと思います。この「鬱悪化のフローチャート」には各項目ごとにメンタル数値を表記しています。メンタル数値の説明は以下の通りです。


各項目後ろの数字は、自分の中の「自分という存在に対する自信」を数値化しています。この数値を「メンタル数値」と呼んでいます。この数値が下がれば下がる程、自分が「自分に対する自信」を失った事を示します。同時に「被害妄想の悪化」と「体調の悪化」と「両親への信頼感の喪失」も意味しています。



と、記憶のサルベージ時代のメンタル数値を考える前に、その直前の「尿管結石事件」のメンタル数値を思い出しておきたいと思います。


2003年10月のある日、尿管結石が発症し、あまりの痛みに父親に助けを求めるが、父親から「こんな時だけ頼りやがって!!」という血も凍るような暴言を吐かれる(27歳)。その後病院に担ぎ込まれ、そこでも甚大な精神的・肉体的苦痛を受ける事となった。(マイナス132)(ダメージの詳細はこちら)



なるほど。記憶のサルベージの直前に起きた「尿管結石事件」が原因で、メンタル数値は「132」まで落ちたのでした。さて、ここからメンタル数値がどう変化していったのか、という話になりますが、次回の記事でそこら辺を考えてみたいと思います。


今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!




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