鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーションについて

15年間鬱と闘病した45歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

「承認欲求の飢餓状態」が様々な舌禍を引き起こしていた(過去編・2005年3月・29歳)

皆さんこんにちは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表&鬱悪化のフローチャートも併せてどうぞ。では、前回の記事「「もし自分の周りに信頼出来る大人がいたら、こんな無惨な人生にはならなかったのでは??」という仮説(過去編・2005年3月・29歳)」の続きを書かせて頂きます。


前回の記事は、自分がカウンセリング初回の記憶をノートに書いて行った時の話でした。当時の自分は29歳です。全ての社会生活と家族関係から脱落し、部屋に引きこもって過去の記憶をノートにひたすら書く日々を過ごしていました。そして、ノートを書き始めてから1〜2ヶ月後くらいに大学時代のカウンセリングの話を書き始めました。当時の自分は21歳ですから、8年前の記憶をノートに書き始めたという事になります。



自分はノートを書く中で、当時の自分がカウンセリングの初回に号泣し続けていた事を思い出しました。当時の自分はカウンセリング初回に「暖かい衝撃」を受け、それによって涙が溢れて止まらない状態になったのです。その理由は以下の2つになります。


①自分はそれまでの21年間全く日々の出来事を言語化していなかった。故に膨大な孤独感や恐怖感や挫折感や虚無感がそのまま記憶の海の底に残っており、それがカウンセラーの先生の暖かい問いに触れ、涙となって溢れ出した。


②自分はそれまでの21年間他人から「安心」や「暖かさ」を感じる事が皆無だった。特に親からはそれを全く感じなかったし、逆に親によって「自分に対する自信」を奪われている感すらあった。故にカウンセラーの先生から感じる「安心」や「暖かさ」が良い意味で衝撃で、それによって涙が止まらなくなった。



自分は上記の理由をノートに書きながらこう思いました。


「もし子供の頃に自分の周りにこのような『安心』して『暖かな』な居場所があったならば、自分の人生は全く違ったものになったのでは??」


と。これはこの時点では仮説でしたが、間違ってはいなさそうな手応えがありました。そう、この仮説は裏を返せば「実際には自分の周りには『安心』できて『暖かい』居場所は皆無だった。」という事です。



その後自分は幼い頃の家庭内の思い出をざっくり思い出してみたのですが、幼い自分が両親に対して信頼や愛情を感じた記憶は皆無だったのです。そして、両親以外の大人にそれらを感じた記憶も皆無です。自分がカウンセリング初回に感じたような『安心』や『暖かさ』を両親を始めとする周りの大人に感じた記憶が皆無だったのです。


自分はここからは常に上記の仮説を頭の片隅に置きながら、記憶の言語化を進めていく事になりました。そして、具体的に小学校時代の記憶を言語化していったのです。するとやはり自分の家庭内には『安心』や『暖かさ』なと皆無だった事が明らかになっていきました。自分の育った家庭環境は自分が小学校3年生の時には戦争状態に突入していました。自分は小学校3年生近辺の記憶をサルベージしていき、その中で以下の発見をしていく事となりました。「記憶のサルベージ中の7つの大きな発見(前半戦)」から①〜③を抜粋します。



①小学校3年生を境目にして、記憶の色が明らかに変わっている。小3「以前」の記憶には鮮やかな色が付いているのだが、小3「以降」の記憶は「灰色」一色。記憶から色が完全に剥げ落ちている。


②記憶の色の変化の原因は、当時の家庭環境の急激な悪化にあった事が判明。それに伴いメンタルが急激に悪化し、持病の喘息も急激に悪化。学校を休みがちになり、半不登校児になっていた事も思い出す。


③小3の時に通っていたスイミングスクールで離人症を発症していた事が判明。小3で精神疾患を発症していた事を知り、自分の人生の先行きの暗さに愕然とする。



自分は①〜③を言語化してみまして、上記の仮説にさらなる手応えを感じました。やはり、自分の家庭には「安心」や「暖かさ」は皆無だったのです。そしてそれを他の大人に感じる事も皆無でした。



よって、子供の頃の自分は大人からの「承認」に飢えていました。両親は自分の事を完全放置し、新規事業と夫婦喧嘩に全ての時間とエネルギーを奪われ、消耗し切っていました。自分は自分という存在がこの家庭内においてとても不安定な立場にある事を無意識に認識していたと思います。そして、それは甚大なメンタルダメージとなって自分の喘息を急激に悪化させたのです、また、両親以外の大人が自分に目を向けてくれる事も皆無でした。自分は大人からの承認に飢えていました。飢餓状態にあったと言ってもよいと思います。



そこで、自分はそれを満たす為に小学校5年生で中学受験の塾に入りました。自分は学校の勉強は出来ていましたから、塾の先生にそれを褒めてもらいたかったのです。しかし、1年半後その目論見は「A先生怒鳴られ事件」によって最悪の形で崩れ去りました。「承認欲求」は満たされるどころか、逆に自分は「自分に対する自信」を大きく失う事となったのです。


そして、それから半年後またも事件は起きます。「自己紹介事件」です。自分はこの事件でもかなりの精神的ダメージを負う事となりました。



自分は「A先生怒鳴られ事件」と「自己紹介事件」をノートに書いてみまして、自分の「成長しなささ」にも驚いてしまいました。「A先生怒鳴られ事件」の原因は、自分が空気を全く読めず授業中に騒ぎ続けた事にありました。原因は「空気の読めない言動」です。そして、「自己紹介事件」の原因も全く一緒の「空気の読めない言動」でした。自分は当時の自分が「A先生怒鳴られ事件」から何も反省や学びを得ていなかった事に気付きました。



そう、当時の自分の周りには「安心」して自分の事を喋れる「暖かな」居場所が皆無でした。ですから、自分は「A先生怒鳴られ事件」について誰にも相談する事が出来ていなかったのです。故に事件で受けた精神的ショックは何一つ消化されませんでしたし、事件に関する事実関係や人間関係や時系列を整理する事も全く出来ていませんでした。これではいつまで経っても事件を客観的に見る事は出来ません。そして、事件を客観的に見れなければ「事件の原因」を突き止める事など出来はしません。さらに「事件の原因」が分からなければ、そこから「反省」や「学び」を得る事などもっと出来ません。



もう1度先程の仮説を思い出したいと思います。


「もし子供の頃に自分の周りにこのような『安心』して『暖かな』な居場所があったならば、自分の人生は全く違ったものになったのでは??」



そう、自分は「A先生怒鳴られ事件」と「自己紹介事件」を言語化してみまして、ますます上記の仮説に手応えを感じました。やはり子供の頃の自分の周りにはそのような居場所は皆無であり、それ故に強い精神的ショックを伴う事件を起きても(「A先生怒鳴られ事件」)、それを誰にも相談出来なかったのです。故に事件の記憶はいつまで経っても「カオス状態」であり続け、そこから「反省」や「学び」を得る事など到底出来なかった。


そして、半年後自分は同じような舌禍を起こしてしまいました(「自己紹介事件」)。そりゃそうです。「A先生怒鳴られ事件」から自分は何も「反省」や「学び」を得ていなかったのですから。


自分は上記の仮説に徐々に自信を深めていきました。これは今後の話になりますが、自分は高校時代にも全く同じような舌禍を無反省に繰り返し続け、とうとう鬱を発症する事となりました。ここまで言語化が進みますと、上記の仮説に対する自信は確信に変わっていったのでした。



今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!




にほんブログ村 メンタルヘルスブログ うつ病(鬱病)へ
↑クリックして頂くとランキングアップ&アクセス数アップします。ご協力よろしくお願いします。











PVアクセスランキング にほんブログ村