皆さんこんばんは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事と 人生年表&鬱悪化のフローチャートも併せてどうぞ。では、前回の記事「 カウンセリング初回の記憶をサルベージ(過去編・2005年3月・29歳) 」の続きを書かせて頂きます。
前回の記事は、自分がカウンセリングの記憶を初めて言語化した際の話でした。自分がカウンセリングを初めて受けたのは大学3年生の4月頃です(21歳)。当時の自分は鬱をさらに悪化させ、大学内で孤立状態に陥っていました。自分の大学生活は完全に破綻していました。そこで自分は大学内のカウンセリングセンターに駆け込んだ、という話になります。そして、カウンセリングの初回、自分は1時間半号泣し続け、何も喋る事が出来なかったのでした。
前回の記事では、この時の号泣の理由を考えてみました。その理由は以下の2つになります。前回の記事をまとめてみます。
①自分はそれまでの21年間全く日々の出来事を言語化していなかった。故に膨大な孤独感や恐怖感や挫折感や虚無感がそのまま記憶の海の底に残っており、それがカウンセラーの先生の暖かい問いに触れ、涙となって溢れ出した。
②自分はそれまでの21年間他人から「安心」や「暖かさ」を感じる事が皆無だった。特に親からはそれを全く感じなかったし、逆に親によって「自分に対する自信」を奪われている感すらあった。故にカウンセラーの先生から感じる「安心」や「暖かさ」が良い意味で衝撃で、それによって涙が止まらなくなった。
いいですね!素晴らしい。このように自分は大学のカウンセリングで良い意味での衝撃を受けました。あの衝撃によってその後の自分の人生が大きく変わったと言っても過言ではありません。とは言いましてもカウンセリングは短期的には何のポジティブな効果もありませんでした。自分はカウンセリングを受け始めてからも全く周りとコミュニケーションが取れませんでしたし、鬱の諸症状も悪化する一方だったのです。
さて、話を記憶のサルベージの初期に戻ります。この時の自分は28歳の4月頃です。大学でカウンセリングを受け始めてから10年経っています。自分は古本屋バイトと並行して、記憶のサルベージ(言語化)を開始していました。この頃の自分は社会生活から脱落寸前の状態でした。そして、サルベージを開始してから1〜2ヶ月後に上記のカウンセリングの記憶を言語化する事となったのです。自分は10年前に受けたカウンセリングの暖かい衝撃をノートに書いていきました。もしかしたら、書きながら泣いていたかもしれません。
これによって28歳の自分は、カウンセリングが自分の人生にいかに大きな影響を与えていたのかを認識しました。そう、実際自分はここから6年間、大学でカウンセリングを受け続ける事となります。自分はノートを書きながら上記①、②を認識していきました。そして、「やっぱりカウンセリングって素晴らしいものだったのだな」、としみじみ実感したのです。
そこで自分はふと思いました。「もし幼い頃に自分の周りにカウンセラーの先生のような大人がいたなら、自分の人生は全く違ったものになっていたのでは??」、と。この思いはこの時点では仮説でした。単なる思い付きに過ぎません。しかし、自分はこの仮説が正しいような予感がしていました。
そう、自分はカウンセリング初回の思い出をノートに書きながらこう思いました。
「もし仮に幼い頃から自分の周りに『安心』と『暖かさ』を感じられる居場所があったなら、自分の人生がこんな無惨にならずに済んだのでは??」
と。これは逆に言いますと「実際には、自分の周りには幼い頃から『安心』や『暖かさ』が全く無かった」と言う事になります。自分はたぶんそうだったのだろうと思いました。この時点ではまだ幼い頃の記憶を言語化はしていませんでしたが、ざっと思い出した限り家庭内や周りの大人達にそのようなものを感じた記憶は皆無だったからです。
自分は上記の仮説を検討してみようと思いました。そこで、 常にこの仮説を頭の中に置きつつ、記憶のサルベージを進めていく事となったのでした。
今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!
↑クリックして頂くとランキングアップ&アクセス数アップします。ご協力よろしくお願いします。