鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

何故3歳の時点で親に対する感情表現を諦めてしまったのか?(過去編・2005年3月・29歳)

皆さんこんばんは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表&鬱悪化のフローチャートも併せてどうぞ。では、前回の記事「3歳にして親に対する感情表現を諦める(過去編・2005年3月・29歳)」の続きを書かせて頂きます。



前回の記事も記憶のサルベージの終盤戦の話でした。記憶のサルベージとは自分が28〜29歳の時にしていた記憶の言語化作業の事です。当時の自分は全ての社会生活と家族関係から脱落し、部屋に引きこもって、ひたすら自分の過去の記憶をノートに書く日々を送っていました。そして、部屋に引きこもってから9ヶ月後、記憶のサルベージが終盤戦に入ろうとしていました。



自分は終盤戦に入ると小学校3年生「以前」の記憶を言語化していきました。するとその後の鬱人生を暗示しているかのような鬱屈エピソードが次から次に言語化されていきました。そして、最も驚いたのが3歳の時の記憶です。そう、これは自分の記憶の中で最も古い記憶でした。そして、この記憶もまた将来の鬱人生を暗示しているような鬱屈エピソードだったのです。ではそのエピソードを前回の記事から引用したいと思います。前回の記事をお読みの方はスルーして下さい。


『前回記事からの引用』


それは自分が3歳の頃の記憶です。ちょうどその頃に妹が産まれています。そんなある日の事、自分と母親と妹の3人で外出する事がありました。母親は妹を背負い、自分の手を引いていました。そして、その日の用事が終わり、帰路についたのですが、帰りの電車の中で事件は起こったのです。その日の電車はかなり混んでいまして、席に座れない状態でした。自分と母親は満員の電車内で立って過ごしていました。するとここで自分は急に電車の席に座りたくなったのです。自分はその場でぐずり出し、「座りたい座りたい」とわがままを言いました。すると、席に座っていた優しい大人が席を譲ってくれたのです。母親は恐縮していましたが、自分は喜んでその席に座りました。



そして、電車は進み、いよいよ最寄駅まであと1駅という所まで来ました。すると急に母親が自分の腕を掴み、その駅で降りてしまったのです。自分は不思議でなりません。まだ最寄駅には着いていないのですから。すると母親は駅のホームの端っこに自分を連れていき、血相変えてこう叫びました。


「わがまま言うなら、もうここに置いていくから!!」


自分はびっくりしました。母親はかなりの剣幕で怒っているのです。そして、自分の中には悲しい気持ちは全く無かったのですが、泣かないとこの場が収まりそうにないので、なんとか頑張って泣きました。そして、母親に謝った記憶です。すると母親は気が収まったのか、自分と再び電車に乗り、帰っていったのでした。



さて、この事件で最も重要なのは母親に怒られた直後の自分の気持ちになります。自分は母親に怒られた後、とりあえず泣いてその場を収めたのですが、その後にこんな気持ちになった記憶があるのです。それは、


「あぁ、もうこの母親に自分の感情や欲求を伝えるのは一切辞めよう。」


です。そう、この時の自分は母親の怒る様子を見て、自分の感情や欲求を表現する事を諦めてしまったのです。なんというか、当時の自分はこの時の母親の様子に母親のエネルギーや気力の限界を感じた記憶です。そこでこれ以上母親を困らせないよう、一切の感情表現を辞めてしまおうと決めたのです。



29歳の自分はこの記憶をサルベージしてみて驚きました。まさか自分の中の最も古い感情の記憶が「感情表現を辞めようと決めた」記憶だとは。


『引用終わり』


なるほど〜。このように自分の中の最も古い記憶は、「もう感情表現は辞めよう」と決意した記憶なのです。これには29歳の時の自分もノートを書いてみて驚きました。そして、29歳の時の自分は想像しました。あの時の母親は父親の世話と妹の世話でかなり消耗していたのではないか?、と。そして、そのような余裕の無さが、あの怒りに繋がったのでは?、と。




そう、うちの父親はとにかく超人嫌いで神経質で体力の無い人間です。それは当時も今も変わりありません。ですから、当時の母親がその父親との生活にかなりの神経を使っていたであろう事は容易に想像出来ました。




実際、現在の自分(2022年1月)は両親とたびたびこの頃の話をしているのですが、母親はその当時仕事で消耗し切って帰ってくる父親に対してかなり神経を使っていた、と話していました。とにかくうちの父親は睡眠に関しても超神経質でしたから、うちの母親はそんな父親に遠慮して、友達を全く家に呼ばなかったそうです。そう、うちの母親は何度か友達を連れてきた事もあったそうですが、その友達に対して父親はかなり冷淡だったそうなのです。それで母親は友達を連れて来なくなったそうです。

もちろんうちの父親は子供である自分に対しても全く関心を示しませんでした。自分の中には幼い頃に父親と遊んで貰った記憶はありません。



また、自分の記憶の中には幼い頃から体を動かして楽しく遊んだ記憶がありません。もちろん自分は幼い頃から喘息に苦しんでいましたから、運動が出来なかったのは当然です。ただ、もしかしたら神経質な父親に遠慮して家の中では大人しくしていた、という側面もあったのかもしれません。



このようにうちの母親はまずうちの父親に対してかなり神経を使わされていましたし、さらにこの頃妹が産まれました。当然うちの母親は妹の世話と父親の世話でてんてこ舞いです。うちの両親の周りには頼りになる親類縁者は皆無でしたからね。こんな状況下で先程の事件が起こりました。そして、幼い自分が事件後に感情表現を諦めてしまったのには、このような状況がかなり影響しているのではないか、と29歳の自分はノートを書きながら思ったのです。




そう、この事件における母親の怒り自体は至極真っ当なものでした。自分は満員電車の中でわがままを言って、席を譲って貰ったのですから。あのような母親の怒り方は理解出来るものがありました。しかし、3歳の自分は母親のそんな怒りに対して「感情表現を一切諦める」という過剰とも言える反応をしてしまったのです。これは上記の状況が影響しているのではないかと、29歳の自分は考えたのです。



今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!




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