鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

パチンコ=期待値を積み重ねるだけのゲーム

皆さんこんにちは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表&鬱悪化のフローチャートも併せてどうぞ。では、前回の記事「カウンセリング&パチンコ生活が軌道に乗り始める(過去編・2005年9月・29歳)」の続きを書かせて頂きます。



前回の記事は、29歳の自分がパチンコ稼業を再開して1ヶ月が経ち、生活が軌道に乗り始めた、という話でした。時期的には2005年10月の話になります。この時の自分はカウンセリング代と生活費を稼ぐ為にパチンコ稼業を再開したのですが、再開して1ヶ月で30万円を稼ぐ事が出来ました。30万円あれば、カウンセリング代と生活費は十分賄えます。当時の自分はかなり安堵した記憶です。



なにせ自分はそれまでの1年間部屋に引きこもり続け、外出は月1回あるかどうかの生活を送っていました。体調は長年の鬱生活により、「鬱の廃人」×2倍状態に陥っていたのです。被害妄想は病的(×6倍)に酷く、とてもじゃないけどバイト生活を始めるのは無理な状態でした。ですから、パチンコで稼ぐという選択肢を選んだのです。ただし、これもまた当時の自分にはかなりハードな仕事でした。



そう、パチンコで稼ぐとなると朝から晩までパチンコを打ち続けなけれぼなりません。また、パチンコ屋の中は決して環境が良いとは言えず、騒音とタバコにまみれての12時間です。そして、なにより辛かったのは当時の鬱の諸症状の数々です。先程も書きましたように当時の自分の体調は、「鬱の廃人」×2倍状態に陥っていました。ですから、鬱が引き起こす様々な心身の苦痛に耐えながらのパチンコ稼業だったのです。



ではここで当時の自分がパチンコを打っている際、どのような鬱の諸症状に苦しんでいたのか、以前の記事から引用したいと思います。


「パチンコ稼業中の8個の鬱の諸症状(短縮ver)」

①被害妄想による寝付きの酷さ

②食欲消失

③酷過ぎる冷え性

④慢性的な背中の激痛と眠気

⑤自殺願望の悪化

⑥慢性的な口内炎

⑦散歩を30分しただけで翌日の体調がぶっ壊れる。

⑧「父親突入事件」絡みの精神的ダメージと被害妄想


(それぞれの症状の詳細はこちら)



さらに自分を苦しめたのは、パチンコで稼ぐ際の精神的な消耗です。そう、パチンコで稼ぐとなると様々な事に神経を使わねばならず、そこでの消耗もありました。以前の記事でその消耗の数々をまとめていますので、引用します。


「パチンコで稼ぐ際の7個の神経的消耗」


①釘読み&回転率管理

②保留3止め

③大当たり時の回転数を記録

④大当たり1回にかかる時間を計測し、そこから大当たり1回の出玉を計算

⑤確変中の玉の増減チェック

⑥確変中、電チューの開閉タイミングに合わせてパチンコ玉を打ち出す。上手くいけばここでも玉を増やせる。

⑦出玉遊戯になってからも計量カップで玉数を測りつつ、回転率管理



上記の7個の消耗を3個にまとめますと、


①回転率管理
②無駄玉減らし
③データ収集


という感じです。ですから、自分がパチンコを打っている際、常にこの3つを意識して打っていました。この3つに神経を張り詰めていましたね。そこにパチンコ本来の楽しさなど1ミリもありません。大当たりが続こうが、ハマろうが全く心は動きません。自分にとってパチンコはただただ期待値を積み重ねる作業になっていたのです。



そう、上記の3つを意識すれば、月単位で勝ち額が付いて来る事は過去の経験で学習済みでした。ですから、自分にとってパチンコはハラハラドキドキのギャンブルではなく、淡々と上記の作業をこなすだけの退屈なゲームになっていたのです。



今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!



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