鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーションについて

15年間引きこもって鬱と闘病した43歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか過去を振り返っていきます。skipper1242でツイッターもやってます。

空手部引退後の話

皆さんこんばんはスキッパーです!見に来て下さりありがとうございますm(_ _)m今日も皆さんに自分の話を読んで頂けるかと思うと嬉しい気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来た頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事も併せてどうぞ。では、前回の記事「〜鬱と青春〜大学時代の鬱の諸症状⑤」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事は「空手部時代の思い出は鬱な思い出しかないものだったけど、あれはあれで自分の青春だった」、という話でしたね〜。正直な事言うと、あの記事書きながら自分泣いていましたwあの涙の理由はなんだったんでしょうね〜。当時の鬱のしんどい記憶自体はすでに心の中で消化しきれていると思うので、辛くて泣いた訳ではないと思うんですよ。思い出してみると、あ〜やって空手部時代の自分の事を認められるようになったのはここ5年くらいの話なんですね。そうそう、あれは5年くらい前にその空手部時代を過ごした母校を訪れていた時の事なのですが、いつものように道場やカウンセリングルームを巡り「あぁあの頃はホントしんどかったなぁ」って感慨にふけっていたんですね。そしたら不意に「あぁそうか、あの空手部時代はホント孤独と絶望と恐怖感しかなく、ただひたすら不毛な3年間だったけど、あれはあれで自分の全エネルギーと全時間を捧げた自分なりの青春時代だったんだな」と感じてしまい、そこで泣いてしまったんですwですから前回の記事を書いた際に5年前のその感動が心に蘇ってしまい、それで泣いてしまったのではないかな、と思います。そして、もう一つ思うのが、5年前といえばまだまだ自分の鬱も回復途上ですから、その時思い付いた「あれはあれで青春時代だった論」を聞いて貰ったのはうちの母親ぐらいだったと思うんですよ。しかしあれから5年経ち、今はこうやってネットという開かれた空間で、ブログを読んで下さる多数の皆さんにもこの「論」を聞いて貰えましたから、その部分での感動もあったのではないかな、と思います。改めてブログを読んで下さる皆様ありがとうございますm(_ _)m




さてさて、そんな感じでここ5〜6回の記事は自分の高校〜大学時代の鬱の症状についてがっつり書かせて貰いまして、大学の空手部がどのような部活だったのかについても5記事程書かせて貰いました。まぁなんというかこれまで読んで頂いた通り、空手部時代の記憶は「あれはあれで青春時代だった」と、ある種「美化」する事に成功している訳ですが、空手部を引退して以降の記憶は「美化」する事もできないくらいただただ陰鬱な学生生活が続いていった感じですwここからは空手部引退後の自分がどうなっていったのか、何故2つ目の大学に入ったのか、そして2つ目の大学に入ったもののそこでの学生生活にも適応できずもがき続ける様を見て頂けたらな、と思います。



さて、ここで空手部引退後の自分を語る上で欠かせないエピソードがありますので、時計の針を一旦空手部3年生の頃に巻き戻しさせて貰います。大学3年生になった自分は「ゼミ」というものに所属しなければならなかったんですね。「ゼミ」は、少人数の教室で勉強するテーマを絞って時には討論をしながら、テーマを深めていくというものだと思います。(ネタバレになりますが、このゼミは入って3ヶ月程でやめる事になりましたので、このゼミの認識が正しいのかどうか自信はありませんw)それまでの大学の授業は大きな教室で大人数の学生達が先生の話をただひたすら聞くだけという「一方的」な授業がほとんどだったのですが、このゼミはそれとは違い、学生がそれぞれに自主的に学びたいテーマを設定し、その学んできた内容を少人数のゼミ生の前で発表していき、その中で討論をしていき中身を深めていく、という「双方向」でコミュニケーション能力が求められるものでした。そのようなコミュニケーション能力を強く求められる場に、2年間に渡る人間サンドバッグの恐怖で身も心もボロボロになっている自分が入ったらどうなってしまったのか、、その結末は火を見るよりも明らかだったと言えるでしょうw




今日はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございましたm(_ _)m







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