鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーションについて

15年間引きこもって鬱と闘病した43歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を振り返っていきます。skipper1242でツイッターもやってます。

鬱とスクールカースト(2000年4月頃)

皆さんこんばんはスキッパーです!今日も見に来て下さりありがとうございますm(_ _)m今日も皆さんに自分の話を読んで頂けるかと思うと嬉しい気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事も併せてどうぞ。では、前回の記事「我が家のゴタゴタの歴史20」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事は、もしうちの近所に母親方の祖母が住んでくれていたら自分の人生は全く違うものになったのでは?、という話と、1999年4月〜2000年4月までの鬱的な出来事をまとめさせて貰いました。さてそんな感じで自分は2000年4月から大学を休学し、週1回大学内のカウンセリングルームに通う事になりました。自分はこの週1回のカウンセリングが毎週楽しみだったのですよ。担当してくれたH先生はいつもとても優しく自分に接してくれましたから、ホントリラックスして色々話す事ができました。ですから結果このH先生にはこの2つ目の大学のカウンセリングルームで4年間、さらに街のカウンセリングルームでも2年間程お世話になったんですね。この6年の間自分の鬱は酷くなっていく一方だったのですが、そんな自分の鬱話を先生はいつも優しく聞いてくれました。もう先生とはあれから15年くらいお会いしていないのですが、このブログを書いていたら久しぶりに会いに行きたくなりましたので、昨日予約を取りました。15年前(2005年)と言えば自分の鬱が一番酷かった時期なのですが、この15年間で自分がどのように鬱から回復していったのか先生には色々話を聞いて貰おうと思っています。また、直近の3年はネットであれこれお金を稼いでるって話とか、去年12月から自分は韓国に3回行っているのですが、それが楽し過ぎるって話なんかもしたいですね。とにかく先生には自分が元気になった姿を見て貰いたい。




さて話は2000年4月に戻りまして、うちの大学は東京都心にあったものですから、カウンセリングを受けた後秋葉原をブラブラするのも好きでした。2000年当時の秋葉原は「電気の街」から「オタクの街」に徐々に変化している途中って感じで、自分もゲームソフトを探してウロウロしたものです。そうそう、以前自分はこの記事( 空手部での大失敗を認められるようになるまで6年間かかった話 )の中で、空手部の練習が自分には余りにも過酷だったが故にその3年間の大失敗を認める事ができず、「自分は空手部のあの辛い練習を3年間耐えたのだから、体力がついた筈だ!」という「願望から発生した強い錯覚」を持つようになっていたという話をしました。これに付随した話なのですが、この錯覚は同時に「自分は空手部の練習を3年間耐え切った体育会系の人間なのだから、アニメやゲームをするようなオタク系の人よりも優れた人間なのだ」という、差別的思考を生んでいました。何故このような思考を持つようになってしまったのかという話ですが、まず自分が大学で空手部に入った動機にその原因があります。高校時代の自分が部活でのとある暴言がきっかけでが鬱を発症したという話はこれまで何度もさせて貰っていますが(高1で鬱を発症するきっかけとなったとある暴言①〜⑧)、その頃から周りのクラスメート達と全くコミュニケーションが取れなくなってしまったんですよ。ですから、休み時間になると喋る友達がおらず、寝たフリをしたり、読みたくもない本を読んだりして時間を潰していまして、クラス内で完全に透明人間化していました。そんなクラス内ヒエラルキーの最底辺からクラスの中を見ていますと、クラス内で面白い事を言ったり、人気者だったり、クラス内を仕切っていたりするのは大抵体育会系のクラスメートだったんですね。そう、小、中、高を通じてクラス内ヒエラルキーの頂点にいるのは大抵サッカー部や野球部やラグビー部やバスケ部のクラスメートでした。まぁ今から25年程前の当時は「クラス内ヒエラルキー」とか「スクールカースト」って言葉はなかったのですが、最底辺の自分はそれを実感として感じていた記憶です。(スクールカーストについてのwikiこちら)当時の自分の中でのスクールカーストのイメージは上位から「体育会系」→「文化系」→「帰宅部系」→「オタク系」→「いじめられ系、透明人間系」という感じでした。「オタク系」が下から2番目なのですが、自分がこのようなイメージ持つようになったのには当時の風潮も影響しているかな、とも思います。今から25年前は今よりも全然オタク系の方々の社会的な立場がかなり弱かったですからね。32年前に起こった「宮崎勤事件」の影響も大きかったと思います。ちなみに自分は当時からゲームが大好きでファミコンやらスーパーファミコンやらゲームボーイやらを毎日2〜3時間やりまくっていたのですが、いわゆる「ゲームオタク」ではなかった印象なんですよ。何故かと言うと自分には「オタク友達」が一切いなかったから。そう、視力を大幅に落とす程ゲームをやりまくり、ゲームが大好きだったにも関わらず、そのゲームを通して友達を作る事が一切出来なかったのです。何度も書いていますが、自分は大学3年でカウンセリングを受け始めるまで「自我」が全くなかったですから、どんなに面白いゲームをしても「感想」や「感動」が全く浮かんでこなかったのです。ですから「感想」や「感動」をゲーム友達と共有するという事が全くできなかった。特にその傾向は高校時代以降顕著に現れていました。結局その頃の自分は「ゲームが大好き」というよりも「ゲームを使って『現実逃避』をするのが大好き」になっていたという事なのでしょう。「ゲームオタク」になれなかった「ゲーム好き」の末路です。さて、そんな感じでクラス内ヒエラルキー最底辺だった自分はクラス内で自信に満ち溢れた様子で楽しそうに学生生活を送っている体育会系のクラスメートの姿を見て「自分もあぁなりたい!」と強く思い、大学で体育会の空手部に入りました。




それでまぁ大学の空手部の3年間を終えた自分は「自分は空手部の練習を3年間耐え切った体育会系の人間なのだから、アニメやゲームをするようなオタク系の人よりも優れた人間なのだ」という歪んだ思考を持つようになってしまった訳です。ですからカウンセリング後秋葉原をブラブラしていると「体育会系の俺がオタクの街を歩いているぜ」的な醜悪な優越感を抱いていた記憶です。逆説的に言うとそのような醜悪な優越感を持たないと精神を保てないくらい、空手部の3年間で自分の心身はぶっ壊れてしまった、という事になります。(大学入って鬱が3倍酷くなった話 )




今回の記事の最後は自分が好きな歌「もうそう★こうかんにっき」のyou tubeのurlを貼って終わります。自分は2006年から2017年まで深夜アニメを浴びるように見ていたのですが、その中で唯一「スクールカースト」について触れている歌がこれでして、初めて聞いた時「アニメでスクールカーストについて触れるとはすごい歌詞だな!」と感銘を受けました。歌詞はこんな感じ。


この歌詞を書いたのは前山田健一さんことヒャダインさんなのですが、天才だなと思いました。



https://youtu.be/7ww5Q_0M-Yo




今日はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!m(_ _)m





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