鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーションについて

15年間引きこもって鬱と闘病した44歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を振り返っていきます。skipper1242でツイッターもやってます。

2年間のカウンセリングの最終回(過去編・1998年11月・22歳)

皆さんこんにちは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「記憶がカオス状態に陥り、自分の健康状態すら把握できない(過去編・1998年11月・22歳)」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事は、自分がカウンセリングにおいて、自分の鬱の諸症状をまるで喋れていなかった、という話でした。そう、自分は大学3年生の4月から大学内でカウンセリングを受け始めたのですが、その時点で11個の鬱の諸症状を併発していました。以下そのコピペになります。


「大学空手部時代の11個の鬱の諸症状」


①大学空手部のとある練習メニューが自分には厳し過ぎて、その「殺される」程の恐怖感で夜眠る事が出来ない。(空手部時代の話②)
②食欲の完全消失(大学時代の鬱の諸症状)
③激しいめまい・離人感(〜離人感と冷え性〜)
④酷い冷え性(〜離人感と冷え性〜)
⑤高校時代と比べて3倍酷くなった慢性的な疲労感と眠気。背中の疲労感は余りにも酷く、それは「疲労感」というより「激痛」という方が妥当。例えるなら「背中をナイフで思い切り刺され続けている感じ」。(〜慢性的な疲労感と眠気〜)
⑥限定的な難聴(〜慢性的な疲労感と眠気〜)
⑦自殺願望(〜自殺願望と救い〜)
⑧何が理由かは全く分からないのだけれど、大学にいる時の自分が、身体がいつも疲れ切っていて眠くて仕方なく、いつも泣きそうなくらい悲しい
⑨慢性的な口内炎
10空手部の稽古中の喘息
11空手部のとある練習メニューの恐怖を乗り越えようと、自主練を繰り返すも、翌日の体調が滅茶苦茶に崩れるだけで一向に体力が増える実感を得られない。そのうちに自分の中には「孤独感」「脱力感」「無力感」「虚無感」がどんどん増えていき、これが自殺願望へと繋がっていった。これは「無意識の自傷行為」とも言える。
(大学空手部時代の虚し過ぎる自主練)



おまけ①:空手部の稽古中の様子

『空手部の稽古中の自分は、喘息は苦しいわ、めまいは酷いわ、背中の慢性的な疲労感は酷いわ、眠気は酷いわ、酷い冷え性で鼻水ズルズルだわ、滅茶苦茶でした。自分の意識はこれらの症状に攻撃され続け、その肉体的苦痛で頭が狂いそうでした。その苦痛量は心の許容量をオーバーしていましたから、稽古中にも「離人感」を発症していたのです』
(大学空手部時代の虚し過ぎる自主練)


おまけ②:大学空手部を辞めれなかった理由についてはこちら


おまけ③:自主練翌日の体調

『自主練の翌日の体調は、昨日の疲労感がエグく残っており、身体はとてもダル重く、冷え性も酷くて真夏でも鼻水がズルズルだったのです。もちろん食欲なんて当然ありませんし、背中の疲労感も滅茶苦茶です。背中をナイフで刺され続けているような痛みでしたからね。こんな状態で体力が付いたという実感を得られる訳がありません。』




自分は大学生活においてこれらの鬱の諸症状に苦しみまくっていました。しかし、当時の自分はこれらの諸症状をまるで認識出来ていなかったのです。当時の自分は自分の健康状態すら把握出来ない程、自己認識能力が皆無でした。認識出来ていないのですから、カウンセラーの先生に上記の辛さを訴える事がほとんど出来ていませんでした。上記の鬱の諸症状の中で、自分が訴える事が出来た辛さは、全体の1%くらいだったと思います。う〜ん、悲しい。ただし、自分が先生に訴える事が出来た辛さもありました。それは「自分が大学内の人間関係において完全に孤立している」という状況です。これについてはホントに少しずつですが、カウンセラーの先生に喋る事が出来ていました。これは自分の人生において革命的な進歩ではありました。




さて、そんな感じで自分は大学内で2年間に渡って週に1時間のカウンセリングを受け続けました。しかし、肝心の鬱の諸症状の辛さについてはほとんど喋れていなかった、という話になります。無念。ただし、先程も書きましたが、革命的な進歩もありました。そう、自分はこのカウンセリングにおいて、自己表現や自己開示の仕方を生まれて初めて学んでいったのです。自分はそれまでの21年間全く自己表現や自己開示をしないで生きてきたのですが、ようやくこのカウンセリングでそれを学び始めたのです。これはホントに革命的な進歩でした。このカウンセリングがあったからこそ、空手部引退後に空手部の3年間を評価する意欲が湧いたのです。そう、そこで自分は生まれて初めてノートに自分の気持ちを書き、そして、生まれて初めて俯瞰的な思考に挑戦する事が出来ました。さらにその後自分は空手部同期の「A」に「空手部を辞めたい」と自己主張したのですが、これもカウンセリングを受けていたからこその自己主張だったと思います。



そして、当時の自分はカウンセラーのS先生が自分の話に対してアドバイスや意見を言ってくれない事に対しては物足りなさを感じていました。自分は自分の人生に苦しみまくっていましたから、それに対するアドバイスに飢えていたのです。しかし、まぁ今から考えるとそれは仕方のない事だったと思います。意見やアドバイスをしてしまいうとカウンセラーの先生に責任が生じてしまいます。また、例えアドバイスが貰えたとしても、自分の人生はあの時点ですでにそのようなアドバイスが全く届かない程の漆黒の闇に染まっていたとも思います。何より自分は当時自分が最も辛く感じていた鬱の諸症状について、ほとんど先生に喋れていませんでしたからね。これでは先生もアドバイスの仕様がありません。



さて、このような感じで2年間に渡る自分のカウンセリング生活が幕を閉じようとしていました。自分は2年間に渡って大学内でS先生のカウンセリングを週1回受けていました。そして、この大学を4年生の3月で中退し、4月に新しい大学に入学し直す事が決まっていました。カウンセリングの最終回、自分の心の中には寂しい気持ちがあった記憶です。担当のS先生には2年間本当にお世話になりました。自分はS先生にカウンセリングという素晴らしい世界を教えて貰いました。自分の知らないポジティブな世界を教えて貰った感じでしたね。自分は来月には新しい大学に入り直しますので、もうS先生のカウンセリングを受ける事は出来ません。ですから、とても名残惜しい気持ちがありました。




結局自分はこの1つ目の大学に4年間在籍したのですが、4年生の3月で中退する事になりました。単位が全然取れていませんでしたから、当然卒業は出来ません。しかし、当時の自分はこの大学のカウンセリングセンターを卒業する気持ちになったのを覚えています。そう、このカウンセリングセンターには2年間みっちりお世話になりましたからね。ですから自分の現実的な肩書きは「〇〇大学中退」になってしまいますが、心情的には「〇〇大学カウンセリングセンター卒業」って感じの気持ちになったのを覚えています。自分は最後にS先生に2年間お世話になったお礼を言い、握手をして貰って、S先生とお別れしました。S先生も「新しい大学でも頑張ってね!!」と励ましてくれました。自分の涙腺は少し緩んでいたかもしれません。自分はS先生の見送りを受けて、カウンセリングセンターを後にしました。自分の心の中は「よし!新しい大学で新しい大学生活を頑張ろう!!」、と意欲に溢れていたのでした。




今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!



不定期おまけコーナー:この前出掛けた時の格好


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ジョーダン1×バルビン。ピンクのソールが可愛い。




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