鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーションについて

15年間鬱と闘病した45歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

カウンセリングによる2つのポジティブな変化(過去編・2000年3月・24歳)

皆さんこんにちは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事鬱悪化のフローチャートも併せてどうぞ。では、前回の記事「「尿管結石事件」における父親の暴言の背景を考える(過去編・2000年3月・24歳)」の続きを書かせて頂きます。



前回の記事は、自分が2つ目の大学の休学を休学する際に起きた「土下座事件」とその3年後に起きた「尿管結石事件」についての話でした。「土下座事件」を端的に書きますと、自分は両親に2つ目の大学の休学を訴えたのですが、その最中に凄まじいストレスを感じ、父親を土下座させた、という事件になります。自分が父親を責めた際の言い分はこちらです。


「親父がこの家を滅茶苦茶に壊し続けたせいで、俺の人生も無茶苦茶になった!!」


そして、この土下座事件から1〜2週間後、この時の屈辱感が原因なのかは分かりませんが、父親は胃潰瘍で入院する事となりました。まぁでも幸いな事に命に別状はなく、1〜2週間で退院してきました。



このように自分は2000年の4月から大学を休学し始めたのですが(24歳)、ちょうどその頃に父親が入院して、家の中がバタバタした、という事になります。そして、父親が退院してからは、割合のんびりと休学期間を過ごしていた記憶です。そう、大学に行かなくて良いというのは、ホントに開放感がありました。前年の大学生活において、自分は友達の誰一人いない大学に通い続け、そこで被害妄想に苦しみまくりました。同時に鬱の諸症状による肉体的苦痛も酷かったですからね。以下いつものコピペ「大学空手部引退後の10個の鬱の諸症状」を貼らせて貰います。



「大学空手部引退後の10個の鬱の諸症状」


①空手部を引退後、『翌日の空手部の稽古が恐ろしくて眠れない』という状況は無くなった。しかし、空手部の3年間で受けた精神的ダメージは少なくとも「中指の拷問」2回分。これにより脳の一部が破壊された感がある。よって、空手部引退後も破壊された脳は元に戻らず、睡眠の不安定さはそのまま残った。(中指の拷問の詳細はこちら。記事の前半は読み飛ばして下さい。「そんな日々が3日程続いた後、、」という段落から始まります。)

②食欲の完全消失(大学時代の鬱の諸症状)

③酷いめまいと離人感(〜離人感と冷え性〜)

④酷い冷え性(〜離人感と冷え性〜)

⑤高校時代と比べて3倍酷くなった慢性的な疲労感と眠気。背中の疲労感は余りにも酷く、それは「疲労感」というより「激痛」という方が妥当。例えるなら「背中をナイフで刺され続けている感じ」。(〜慢性的な疲労感と眠気〜)

⑥自殺願望(〜自殺願望と救い〜)

⑦何が理由かは全く分からないのだけれど、大学にいる時の自分は、身体がいつも疲れ切っていて眠くて仕方なく、いつも泣きそうなくらい悲しい

⑧慢性的な口内炎

⑨自分は大学空手部の3年間でさらに「自分に対する自信」をさらに3倍失っていた。そして、自分の頭の中には依然として「トレーニング=体力が付く=自信が付く」という図式が色濃く残っており、この図式が自分にも当てはまると相変わらず信じていた。そこで、空手部を引退し、人間サンドバッグの恐怖が無くなったにも関わらず、「自分に対する自信」を回復させる為に自主練をを続けてしまった。(トレーニングの内容は、ランニング、坂道ダッシュ、縄跳び、筋トレなどで、1時間程度のトレーニング。頻度は週3回。)



しかし、空手部の頃と同様にトレーニングを積み重ねても一向に体力が増える実感が得られない。トレーニング翌日に体調が滅茶苦茶に崩れるだけ。翌日目が覚めると自分の身体はとても重くてダルく、身体は冷え切っていて、鼻水はダラダラ。食欲は当然全く無く、背中の疲労感は疲労感というより激痛。故にトレーニングすればする程、自分の中にはさらに「孤独感」「脱力感」「無力感」「虚無感」が増えていき、これが更なる自殺願望へと繋がっていった。そして当時の自分はトレーニングをすればする程心身が衰弱していく悪魔のからくりに全く気付いていない。体調が少し回復すると、またトレーニングをしてしまう。このトレーニング行為は「無意識的な全力の自傷行為」とも言える。

10 大学空手部の3年間で「自分に対する自信」がさらに3倍失われた事で、「被害妄想」もさらに3倍悪化。自分は大学生活の中で何をしていても全く自信が持てず、常に他人の視線を気にし、病的(×3倍)に「ビクビク」「オドオド」している状態。もはや自分にとって「自分という存在の価値」は、髪の毛一本より軽くなっている感じで、いつ他人から軽んじられ、無根拠に攻撃されても全くおかしくないような、そんな凄まじい緊張感の中で日々を送る羽目に。こんな状態では、完全に社会生活は不可能。


おまけ:サークル活動を始めとする様々なモノに挑戦している時の自分の体調


『こんな状態(鬱の廃人状態)じゃどこ行ったって、グダグダです。どこ行っても、「背中をナイフで思い切り刺され続けている感じ」の激痛が自分を襲ってくるのですから。加えて、冷え性も酷くて鼻水ダラダラ、めまいも頻発です。自分の意識の95%はそれらの精神的・肉体的苦痛に占領されており、集中力や意欲の欠片もありません。この状態は特に上記⑨のトレーニングの翌日が酷かった記憶です。』



う〜ん、しんどい。自分は2つ目の大学生活において上記の諸症状に苦しみまくっていました。特に被害妄想は酷く、見ず知らずの学生の視線にも怯えまくって過ごしていたのです。そんな大学生活を1年過ごした後、自分は大学を休学しました。休学期間が始まると、自分はカウンセリングの日以外はほとんどの日を家で過ごしました。家で過ごす分には上記の鬱の苦痛は半分くらいで済んでいた記憶です。そう、休学中も自分は背中の疲労感を始めとする鬱の諸症状に苦しんではいました。しかし、その辛さは大学にいる時の辛さに比べれば半分くらいだった印象です。家にいれば、見ず知らずの学生の視線に怯える事はありません。



さて、このような感じで休学中の日々は流れていきました。「1つ目の大学の空手部の3年間」や「その後の2年間」に比べれば、比較的穏やかな気分で過ごせましたね。大学に行かなくて良いのは、ホントに気が楽でした。さらには週に一回カウンセリングを受けれる嬉しさもありました。カウンセリングでは、自分が見ている小説や映画の話をしていた記憶です。また、カウンセリングが終わった後は近くの秋葉原をブラブラして、好きなゲームを探すのも面白かった記憶です。当時くらいから秋葉原が「オタクの街」として認知され始めていたような。ただし、秋葉原をブラついている時も自分の意識は、背中の激痛や眩暈に襲われていた記憶です。



さて、自分がカウンセリングで小説や映画の感想を喋っていたという話ですが、自分は1つ目の大学でカウンセリングを2年間受け続け、その中で「自分の気持ちを安心して素直にノートに書く」という行為を学んでいました。自分はそれまでの人生において自分の気持ちや感情を全く言語化して来なかったのですが、21歳にしてようやくそれを学ぶ事が出来たのです。また、自分はカウンセリングを受けるまでは本や映画を見ても何一つ心が動かないない人間だったのですが、カウンセリングを受け始めてからは「感動」する様になっていたのです。これもポジティブな変化でした。



ですから、2つ目の大学を休学中の自分は、本や映画を見まくりまして、そこで湧き上がる自分の感情をノートに書きまくっていました。そうやって自分が何かに「感動」する事自体が生まれて初めての経験で新鮮でしたし、さらにその感動を言語化して、ノートに書くという行為も生まれて初めてで刺激的だったのです。自分は自分が何かに「感動」している事が嬉しかったですし、さらにその「感動」をノートに書く事も嬉しかった記憶です。この2つの大きなポジティブな変化は、カウンセリングの賜物だったと思います。



今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!





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