皆さんこんばんはスキッパーです!今日も見に来て下さりありがとうございますm(_ _)m今日も皆さんに自分の話を読んで頂けるかと思うと嬉しい気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事も併せてどうぞ。では、前回の記事「記憶のサルベージ関連の記事についての話(2021年1月)」の続きを書かせて頂きます。
前回の記事は、このブログを読んで下さる方々へのお礼と、実際のサルベージの流れについてでした。このブログにおいては大まかに「大学時代→小3〜6時代→中学時代→高校時代→小3以前の時代」という流れで書かせて貰いましたが、実際のサルベージの流れはこんなに整然とはしていなかったのです。一つの時代についてずっ〜と書き続ける事はしていませんでした。中学校時代のとある出来事を少し書いたと思ったら、その出来事から連想される大学時代の出来事を書き始めて、という風に連想されるがままに色んな時代の記憶を少しずつ言語化していったのです。そうやって色んな時代を行ったり来たりしつつ言語化しているうちに、段々と時代時代の自分の姿が見えてくる、といった感じでした。懐かしいですねぇ。さて、話は自分がポジティブな記憶を言語化し終えた時期に戻ります。2005年の夏頃の話になります。そう、ネガティブな記憶を一通り言語化し終えた自分は、ポジティブな記憶の言語化にとりかかったのですが、それは2〜3週間もすると終わってしまったんですね。ネガティブな記憶の言語化に1年以上かかった事を考えると、圧倒的に少ない時間で終わってしまいました。そこで自分は改めてネガティブな記憶にスポットライトを当てて、記憶の言語化を進めようとしました。ところが、ここら辺から段々と筆が進まなくなってきたのです。前述の通り自分は記憶を連想させる事で次から次に記憶を言語化させて行ったのですが、この時期になると「あれ?この出来事やこの事象って前に書いたよなぁ、、」という事が増えてきていました。そこでその出来事を掘り下げる事を諦め、そこから連想される別の出来事を書き始めてみても「あれ?この出来事も前書いたなぁ、、」という感じでして、言語化されていない記憶を見つける事が段々と難しくなってきたのです。それでも自分は何度も連想を繰り返し、手付かずの新しい記憶を見つけようとするのですが、なかなか出てきません。ここに来てようやく自分は「あれ?これもしかして記憶のサルベージが終わろうとしているのでは??」と思うようになりました。時系列を戻りますと、自分が記憶のサルベージを始めたのが2004年4月で、バイトを辞めそれを本格化させたのが2004年9月になります。そこから自分は気が遠くなる程膨大な量の記憶を言語化してきました。書いても書いても先が見えない言語化に何度嫌気が差したかわかりません。しかし、2005年の8月頃、ようやく記憶の底が見えてきたという事になります。最初の頃は「あれ?もしかしてそろそろ記憶のサルベージが終わるのか??」と期待する気持ちもありましたが、一方では「いやいや、どうせまだまだ書く事はあるんだろ?」という感じで半信半疑だったのを覚えています。だってホント気が遠くなるほど長い時間自分は延々と書き続けていましたから、それは一生続くのではないかと錯覚する程だったのです。しかし、どんどん「あれ?この出来事前にも書いたなぁ」と思う頻度は増えていき、「これは本当に記憶のサルベージが終わろうとしているのかもしれない」と考えるようになっていきました。
自分は記憶のサルベージがあまりにも長く続くものですから、これが一生続くかもしれないくらいの覚悟していたのです。しかし、ようやくゴールらしきものが見えてきた事で徐々に嬉しい気持ちになってきたのを覚えています。「これでようやくこのノート地獄から解放される!!」、と。そう、自分は2004年9月にバイトを辞めて、部屋に引きこもって以降、1年間に渡って、睡眠とご飯と仮眠の時間以外の全ての時間をこの記憶のサルベージに充てていましたからね。家族を含めた全ての人間とのコミュニケーションを断ち、ただひたすらノートに向かい続けていたのです。我ながらあれは正気の沙汰ではありませんでした。しかし、それもようやくゴールが見えてきたのです。1年間の間には気が狂いそうになる事も多々ありました。そう、そもそもこの記憶のサルベージという行為自体が多大な精神的ダメージを発生させる行為でしたからね。思い出すのもおぞましいトラウマ級に辛かった記憶や、トラウマそのものをひたすら言語化していきましたから、そのたびに自分の心は悲鳴を上げていました。あれは心の傷をナイフでえぐり出して、その上に塩を塗り込んでいくような行為だったのです。実際サルベージの最中何度泣いたか分かりません。
それに加えてしんどかったのが同居する家族への憎しみです。このサルベージに入る前の記事で書きましたが、当時の自分の家族への憎しみは「殺したい程憎い」まで膨れ上がっていたのです。(尿管結石事件により鬱が6倍に悪化(2003年11月・27歳))その憎しみの大きさは記憶のサルベージを進めていっても全く減る事がありませんでした。むしろ増えていったぐらいかもしれません。サルベージの最中自分はただひたすらに孤独でしたから、周りの家族に対する敵意もものすごいモノになっていました。そうそう、自分が記憶のサルベージをしている最中、両親は妹の受験勉強の世話を色々していたんですが、自分はそれがもう目障りで仕方なかったのです。だって、自分は全ての社会生活から脱落した挙句、ただひたすら孤独に自分のトラウマと向き合い続けているというのに、妹は両親を巻き込んで受験勉強ですからね。クソ生温い事をしている妹や両親への憎しみはものすごいものがありました。もちろんこの記憶のサルベージの最中、自分は家族に自分が部屋にこもって何をしているのかは話していませんでした。そもそも自分は家族とはすれ違うだけで反吐が出るような状況でしたから、会話は到底無理な状況だったのです。自分は家族に対して絶望しきっていましたから、自分のやっている事(記憶のサルベージ)を知らせる義理も無いと思っていました。また、自分自身もこの記憶のサルベージを進めていく事でどのような事が起こるのか、全く分からない状態でやっていましたからね。そして、この作業がいつ終わるのかも全く分からない状況でやっていました。ですから仮に親に対して「記憶のサルベージ」という作業について説明しようとしても説明しようがなかった、という事情もありました。さらに、記憶のサルベージを進めていけばいく程、自分の人生が滅茶苦茶にぶっ壊れた原因は我が家の家庭環境にあった事が分かっていきましたからね。これでは自分の家族に対する憎しみは増える事はあっても減る訳がありません。
今日はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!m(_ _)m
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