鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーションについて

15年間引きこもって鬱と闘病した44歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を振り返っていきます。skipper1242でツイッターもやってます。

パチンコ生活が軌道に乗り始める(2005年9月・29歳)

皆さんこんばんはスキッパーです!今日も見に来て下さりありがとうございますm(_ _)m今日も皆さんに自分の話を読んで頂けるかと思うと嬉しい気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事も併せてどうぞ。では、前回の記事「カウンセリングの素晴らしかった所」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事は、自分がカウンセリングを8年間受け続けて感じた事を色々書いてみました。さて、話は2005年9月に戻ります。自分はカウンセリングの初回を終えた後、かなりの満足感を得た記憶があります。引きこもり明けにカウンセリングに行く選択をしたのは大正解でした。自分の中には先生に聞いてもらいたい話が山程ありましたから、それをこれからも聞いて貰えると思うと、嬉しくてたまらないものがありました。次の予約は1週間後でしたが、自分には1ヶ月後に思える程待ち遠しい気持ちだったのです。そして、カウンセリングがこんなにも充実しているという事は、自然とカウンセリング代を稼ぐ為のパチンコにもさらなるやり甲斐を感じた記憶です。「もうこれは絶対にカウンセリング代をパチンコで稼くぞ!!」、と。自分はそれまでの28年間で何かに対してやり甲斐を感じる事など全く無い人生を送ってきていました。自分の人生は自分の意志など全く無い中、ただひたすらに恐怖と孤独の濁流に流され続けるモノだったのです。ですから自分は28歳にして生まれ初めて「やり甲斐」というものを自分の中に感じていた、という事になります。このやり甲斐を2つの文に言い換えますと、



「自分が受けたくて仕方がないカウンセリングの為に、得意なパチンコを使って稼ぐ。」


「得意なパチンコで稼いだお金を、自分が受けたくて仕方がないカウンセリングの為に使う。」


となります。2つの文は前後が逆になっていますが、前後が逆になっても自分は同じくらいの喜びを感じる事が出来ました。そう、「カウンセリング」と「パチンコ」が相乗効果でより価値を上げ、キラキラ輝いていたのです。




さて、そんな良い気分の中、自分はパチンコ屋A店に戻りました。自分の中はますますパチンコで稼ぐ事への意欲に満たされていましたから、A店での実戦もより充実感に満たされていた記憶です。そして都合の良い事にA店はグランドオープン以降、ずっと良い状態で釘を残し続けてくれたのです。さすがにグランドオープン2日目のような28回/1000円の台は無くなってしまいましたが、25回/1000円くらいの台は簡単に見つける事が出来、台選び、店選びには苦労しない状況が1ヶ月ほど続きました。また、このA店は自分の家から原付で20分の所にありましたから、通いの時間で体力、時間を消費しなくて良いのも有り難い所でした。この頃の自分の体調は相変わらずズタボロでしたから、なるべくそのような消費は抑えたい所だったのです。ただでさえ、朝から晩までパチンコ台の前に座り続ける行為はしんどい作業でしたからね。先程、28回/1000円の台と25回/1000円の台の話をしましたが、2つの台を丸1日打った場合の期待値は


28回/1000円→50000円

25回/1000円→30000円


ぐらいだった記憶です。期待値50000円の台はかなりのお宝台で、滅多にお目にかかる事はなく、期待値30000円でも充分打つに値する台でした。そして、そんな高期待値の台を朝から晩まで打ち続けていると徐々にトータル利益は増えていき、最初の1ヶ月で30万程稼げていた記憶です。自分はパチンコ生活が軌道に乗り始めてホッとした記憶かあります。「これでカウンセリングを続けられる。」、と。





今日はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!m(_ _)m





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