鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

予期不安も睡眠を妨害(2006年7月頃・30歳)

皆さんこんばんはスキッパーです!今日も見に来て下さりありがとうございますm(_ _)m今日も皆さんに自分の話を読んで頂けるかと思うと嬉しい気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「「俺が必死の思いで漕ぎ着けた睡眠を邪魔する音は絶対に許せない!!!」(2006年7月頃・30歳)」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事は、自分と「音」との戦いの歴史についてまとめてみました。そして、自分にとって「睡眠」とはなんだったのかまとめてみました。今回の記事では、まずは前回の記事の結論までの流れを改めて書いてみたいと思います。引っ越し後の自分が睡眠を取るまでには「音」と戦わねばなりませんでした。それはベッドに入った直後から始まり、入眠するまで続くものなのですが、自分の心はベッドに入った直後から様々なネガティブな感情に蹂躙され続け、その精神的な苦痛により、1時間くらいは寝付く事が出来ません。そして、その1時間で自分が受ける精神的なダメージは甚大でした。だからこそ、自分は寝付いた後に周りの音で起こされる事を病的に恐れ、憎んだのです。そう、あの1時間は「決死の1時間」でありました。ですから寝付いた後に起こされてしまうと、その決死の1時間が無駄になってしまいます。それが無駄になってしまう事はどうしても許せない事だったのです。




また、当時の自分は日常生活において、殺人的な疲労感と殺人的な眠気を背負い、意識朦朧とした状態で生きていました。椅子に座ってラジオを1〜2時間聞いただけでも超疲労困憊状態に陥ってしまい、回復の為にベッドに入らざるを得ません。そして、自分にとっては睡眠こそがこの殺人的な疲労感と殺人的な眠気を和らげる唯一の回復手段だったのです。故に睡眠への欲求は底無しで無限で激烈でした。「超睡眠依存症」と言っても良いかもしれません。だからこそ、自分は寝付いた後に周りの音で起こされる事を病的に恐れ、憎んだのです。自分にとっては命より大事な睡眠を邪魔される事はどうしても許せない事でした。




まとめますと、当時の自分にとって睡眠は「命より大事なもの」であると同時に、「寝付くまでに甚大な精神的苦痛を要するもの」だった、という事になります。これが前回の記事の結論ですね。ですから自分は寝付いた後に「音」で起こされてしまう事を病的に恐れ、憎みました。ただし、ここで発生している「病的な恐れや憎悪」、この感情自体が「次の睡眠」においてかなりの精神的苦痛になっていた所もあると思います。今回の記事は、ここら辺の所を掘っていこうと思います。そう、例えば引きこもり時代の「もしかしたらまた妹のドア音で起こされてしまうかもしれない」という膨大な恐怖感と憎悪。このネガティブな感情自体が次の睡眠において膨大な精神的苦痛を呼び起こし、寝付くまでの高いハードルになっていた部分もあると思うのです。そう、実際自分はベッドの中に入ると、それらの「予期不安」に襲われ、緊張と不安で汗がダラダラ流れ、全く眠る事など出来なかったのです。「予期不安」とは、ネットにこのように書かれています。



「予期不安とは、パニック発作を一度経験して、あの恐ろしい発作がまた起きるのではないかという不安感が生じることです。 パニック発作にはこの予期不安が必ず伴い、発作を繰り返すごとにこの不安がさらに強くなっていき症状を悪化させていきます。 予期不安にみられる症状には以下のようなものがあります。」

http://www.utu-net.com/panicr/about04.htmlより引用



なるほど〜、これまでの記事において、引っ越し後の自分はベッドに入ると致命的なストレスの数々に襲われ、その精神的ダメージでなかなか寝付く事が出来なかった、と書いてきました。その致命的なストレスの数々は以下の通りになります。いつものコピペになります。



「引っ越し及び東○荘事件で受けた致命的なストレス一覧」



①15年間住み続けた愛着のあり過ぎる部屋を奪われる。


② 前年の記憶のサルベージ(言語化)によって、自分の学生時代が家庭環境によって滅茶苦茶に破壊されていた事が判明。その上親が言い出した引っ越しの為に自分がさらに時間やエネルギーを割かなければならない。


③引っ越しの情報を得る為に「殺しても殺し足りない」程憎い妹とコンタクトを取らざるを得なくなる。結果自分の中に凄まじいストレスの嵐が発生し、それは自我が崩壊する可能性を感じる程だった。自分は自我が崩壊するギリギリになったら、この世界から離脱できるよう首吊りの準備をしてから妹とのコンタクトに臨んだ。


④前年の記憶のサルベージによって自分の精神年齢の成長が小3で止まっているという事が判明。自分がまだ精神的によちよち歩きの状態だというタイミングの問題。


⑤「殺しても殺し足りない」くらい憎い家族と、これから先も一つ屋根の下で住み続けなければならない。


⑥東○荘事件により、家庭内での孤立無援感がさらにエグい事になり、眠りに就こうとすると「自分が眠っている間に激昂した父親が再び自分の部屋に突入してくるのではないか??」という凄まじい恐怖心に襲われるようになる。自分の睡眠はただでさえ「妹のドア音」によって劣化しまくっていたのだが、この凄まじい恐怖心によりさらに極限まで劣化する事に。結果慢性的な疲労感と眠気は果てしなく大きくなり、意識朦朧とした状態で日常生活を送る事になる。そんな中での心の支えは「自我が壊れそうになったら首吊り」という思いのみ。



⑦東○荘事件によって自分の人生に対する激烈な虚無感(無力感)と理不尽感と絶望感も発生。東○荘事件以前から自分はこれらを抱えて生きていたが、東○荘事件により倍増。そして、これらの倍増によってそれまで抱えていた「自殺願望」が「自殺企図」へと変化。また、慢性的な疲労感の激烈化の一因にもなった。



⑧自分の身体が「殺人的な疲労感」と「殺人的な眠気」に支配され、全く自分の思うように動かない。1日のうち18時間はベッドの上で過ごさねばならない生活。そして、起きている6時間も100kgの重りを背中に乗せられ、身体が床にぺちゃんこに潰されそうな感じ。自分の身体が乗っ取られているかのよう。その無力感と情け無さ。



⑨引っ越しと東○荘事件により、パチンコで稼いでいた時の希望に溢れたモチベーションが完全消失。これによりかなり大きな喪失感と虚無感が発生。




そう、自分はベッドに入ると上記①〜⑨の致命的なストレスの数々に襲われ、その甚大な精神的苦痛により、寝付くまで1時間かかってしまう有様でした。そして、今回書いてみて分かったのは、上記①〜⑨に加えて「予期不安」という膨大な精神的苦痛も感じていた、という事です。そう、「もしかしたら寝付いた後あのドラム音に起こされてしまうかもしれない」という予期不安、これまた自分に膨大な精神的苦痛を与え、寝付くまでの高いハードルとなっていた部分があるのだと思います。




今日はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!m(_ _)m





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