鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーションについて

15年間引きこもって鬱と闘病した44歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を振り返っていきます。skipper1242でツイッターもやってます。

尿管結石の痛みが治まった後の自己矛盾(2007年12月・31歳)

皆さんこんにちは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「尿管結石事件を中指の拷問で例えてみる(2007年12月・31歳)」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事は、改めて尿管結石事件を思い出してみました。そう、あの事件を「中指の拷問」の例えを使って再検証してみたいと思ったのです。(「中指の拷問」の詳細はこちら→ 「花粉症発症→ぎっくり腰事件」を別のモノで例えてみる(2007年3月・32歳))改めて前回の記事を振り返らせて頂きます。まずは2003年(27歳)の秋に自分は尿管結石が発症したのですが、その直後自分は父親から信じられない暴言を食らったんですね。(〜痛みに悶える自分に父親が言い放った破壊的暴言〜尿管結石にのたうち回った1日②)この時点で自分は父親に対して「殺したい」程の憎しみを抱いてました。そして、自分は病院に運ばれたのですが、尿管結石の痛みが余りにも酷かったものですから、その父親に頼らざるを得ない状況に陥ったのです。そう、自分は「殺したい」程父親を憎んでいたにも関わらず、その父親にお腹をさすって貰ったり、水を飲まして貰わざるを得なかった。これは後から考えると「屈辱」なんて言葉ではとても表現できないくらいの「汚辱」でした。しかし、尿管結石の痛みはそれ程までに酷かったのです。あれは「自我をぶっ壊す程の痛み」でした。ですから、あの時の自分は一時的に「殺したい」程の憎しみをあえて忘れ、父親に頼ってしまった。これは後から考えるとホント汚辱以外の何者でも無かったですし、ここで自分が食らった精神的なダメージ量は「中指の拷問」に近い所があるような気がします。




さて、まだ苦難は続きます。病院に運ばれて2〜3時間も経つととりあえず痛みは引いていき、自分はとても安堵しました。この時には自分が尿管結石になった事を理解していましたから、「尿管結石の痛みが引いてホントにホントに良かった。」って感じでした。そして、少し落ち着いてきた自分は父親とその凄まじい安堵を分かち合った記憶です。そう、本来なら自分にとって父親は「殺したい」程憎い人間でしたが、この時はその安堵を分かち合いたい気分の方が勝っていました。ホント尿管結石の痛みは自我がぶっ壊れる程の痛みでしたから、そこからの解放による喜びも半端無かったのです。ただし、父親と安堵感を分かち合いつつも、自分の本当の気持ちはかなり複雑だったのを覚えています。何故なら痛みが収まってきた事で、自分の中には自我が復活し、先程の父親の暴言への凄まじい憎しみも蘇っていたからです。そう、ですからこの時の自分の精神状態は非常に両価的だったと思います。一方では父親に対して凄まじい憎しみを感じつつも、一方では父親と安堵感を分かち合っている訳ですからね。あれは見事に心が真っ二つに引き裂かれてました。凄まじく自己矛盾を起こしている状態でしたねぇ。




今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!m(_ _)m





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