鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

母親と1日4〜5時間喋る生活(2007年12月・31歳)

皆さんこんばんは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「尿管結石事件まとめ〜尿管結石事件12(2007年12月・31歳)」の続きを書かせて頂きます。



前回の記事は、尿管結石事件とは何だったのか、まとめてみました。自分はこの事件によって8個の精神的・肉体的ダメージを受けたのですが、その8個は以下の通りになります。長いコピペになります。



[尿管結石事件で受けた8つの精神的・肉体的ダメージ]



①自分は2つ目の大学生活もバイトも何もかもが上手く行かず、鬱をさらに悪化させていた。当時27歳。寝ても寝ても慢性的な疲労感と眠気は改善していかず、逆に悪化していく一方。すると睡眠に対する渇望感がどんどん増していき、「睡眠を妨害する音」に対する過敏さがどんどん酷くなっていった。この一番の標的になったのが「隣の部屋の妹の出すドア音」。2007年10月のある日、自分は怒りの限界を迎え、妹にクレームを言いに行くも妹も反論してきて、激しい口論に。15分程で自分は疲労困憊状態に陥り、自分の部屋に戻るも怒りは全く収まらない。そこで自分は妹が出て行く音を聞いたのだが、ここで以下の被害妄想が発生。「妹はあの後彼氏の元に向かい、先程の激しい口論の話をするに違いない。そしたら、彼氏が怒り狂い、自分の部屋にバットを持って殴り込みに来るのではないか??」そして、自分はこの被害妄想を信じ込み、それに備えて部屋にバリケードを作り、武装したのであった。この妹との激しい口論で発生した激しい「怒り」と「疲労感」と「被害妄想」。これらの深い精神的・肉体的ダメージの数々が尿管結石発症のきっかけになったように思う。



②部屋にバリケードを作った直後、夕食を食べていたら、謎の下腹部の痛みが発生。その痛みはどんどん酷くなっていったので、父親を頼っていくと、父親から「こんな時だけ頼りやがって!!!」という信じられない暴言を食らった。(詳しい話はこちら→〜痛みに悶える自分に父親が言い放った破壊的暴言〜尿管結石にのたうち回った1日②)これによって父親に対する憎しみが「殺したい」程に膨れ上がる。


③尿管結石の凄まじい痛みで病院へ担ぎ込まれる。


④尿管結石の痛みが余りに凄まじいので「殺したい」程憎い父親に看病を頼らざるを得ない。後から考えるとこれは「屈辱感」という言葉ではとても言い表せない程の「汚辱感」。


⑤尿管結石の痛みが収まってくると自分の中で凄まじい安堵感が発生し、その安堵感を父親と共有してしまった。一方、痛みが収まってきた事で自我が復活し、父親に対する「殺したい」程の憎しみも復活していた。つまりこれは、「殺したい」程憎い父親と安堵感を共有してしまった、というかなり両価的な状況。自分の心は真っ二つに引き裂かれ、そこでも精神的ダメージが発生。



⑥ ①〜④のダメージで衰弱し切っていた自分には「父親とは喋るけど、母親とは喋らない」というねじれた行動を取る気力は残っていなかった。特に③、④は自分の中に猛烈な自己矛盾の嵐を巻き起こしており、もはや自己矛盾の嵐が1個発生しようが、2個発生しようが、変わらないだろう、というヤケクソな気持ちも。しかし、やはり自分にとっては母親も「殺したい」程憎い存在。その母親と喋るという事は自分の中に強烈な自己矛盾の嵐を発生させた。(何故「殺したい」程の憎しみを抱くにいたったのかはこちら→)




⑦自分は1年ぶりに母親と喋る上で以下の2つを母親に期待していた。



・母親はついさっきまで尿管結石の痛みでのたうち回る自分の姿を見ていた訳だから、自分に対して病人に接するような優しい態度で接してくるのではないか。



・母親と没交渉だった1年の間に、「母親が父親の事を10年以上に渡って責め続けている」件について、母親が少しは反省してくれたのではないか。


しかし、母親と喋り始めてみると、喧嘩腰で喋り始めた自分も悪いのだが、母親の対応も不機嫌。そこから1年前と同じような口論が始まり、ヒートアップ。その中で自分は母親が上記の件に関して全く反省していない事を知る。また、母親からは病人の自分に対する労りの態度も全く見えない。2つの期待は見事に裏切られ、とても悲しい気持ちになる。




⑧ ①〜⑥のダメージの蓄積により、自分の中には果てしない量の「無力感」「絶望感」「理不尽感」が発生。これは「中指の拷問」級の「無力感」「絶望感」「理不尽感」。(「中指の拷問」についてはこちら→「花粉症発症→ぎっくり腰事件」を別のモノで例えてみる(2007年3月・32歳))そして、それから4年後に起きる事になる「花粉症発症→ぎっくり腰事件」においても「中指の拷問」級の「無力感」「絶望感」「理不尽感」が発生している。つまり、2つの事件で受けたダメージ量は等しいので、「尿管結石事件」=「花粉症発症→ぎっくり腰事件」という事になる。



コピペ終わり



いや〜、よくまとまりました。現在の自分(2021年7月)は今回この「尿管結石事件」について1年ぶりに思い出して書いてみたのですが、そのきっかけは「花粉症発症→ぎっくり腰事件」について書いた事です。この「花粉症発症→ぎっくり腰事件」について書いている時に「中指の拷問」の例えが思い浮かびまして、この例えを他の事件にも流用出来そうだと思ったのです。それでこの「尿管結石事件」を思い出してみたのですが、自分の勘は的中していた感じです。まさに自分がこの「尿管結石事件」で受けた精神的・肉体的ダメージ量は、「中指の拷問」級であり、「花粉症発症→ぎっくり腰事件」で受けた精神的・肉体的ダメージ量と等しかったのです。う〜ん、素晴らしい。



さて、かなり寄り道をしてしまいました。そもそも自分は2007年11月頃母親と喋り始めまして、その頃の記憶について書いていたのです。しかし、気が付くとそこから記憶を遡って「両価的」な時期を思い出していきましたし、「尿管結石事件」についても思い出していきました。そう、自分の人生の中において、両価的だった時期が色々あるのですが、その中で一番両価的だったのがこの「母親と喋り始めた時期」だった、という流れだったのです。ここで以前にまとめました、「両価的だった時期①〜⑥」に「⑦尿管結石事件」を付け加えたいと思います。




『「両価的だった時期」


①母親と喋り始めた時期(2007年11月・31歳)


②引きこもりが始まった時期(2004年9月・28歳)

③引きこもりが終わった時期(2005年9月・29歳)

④引っ越し後(2006年6月〜)


⑤パチンコⅣ期(2005年9月〜2006年3月・29歳〜30歳)


⑥大学空手部の3年間(1995年4月〜1998年4月・19歳〜22歳)


⑦尿管結石事件(2003年・27歳)


それぞれの時期の自己矛盾は以下の通り。



・自分にとって母親は「殺しても殺し足りない」以上に憎い存在。そんな母親と喋る事なんて絶対にあり得ない。


・自分の人生を母親に喋りたい!!




・学校生活で周りとコミュニケーションが取れず、心身が壊れて行った結果、社会生活と家族から完全脱落。結果「引きこもらざるを得なかった」


・大学でカウンセリングを6年間受けた続けた結果、ノートを使ったセルフカウンセリングが出来る様になっていた。すると、自分の中に『セルフカウンセリング技術を使って自分の「過去」を全て言語化してみたい』、という激しい欲求が発生。それに専念する為に「自分の意志で引きこもった」




・引きこもりの1年間は素晴らしい1年間だった。この1年間で自分は自分に対する自尊心を劇的に回復させる事が出来た。

・引きこもりの1年間は気が狂った1年間だった。鬱の諸症状は全く改善しなかったし、家族に対する「殺したい」程の憎悪もそのまま残った。




・殺人的な疲労感と眠気に自分の時間と生活を支配されてしまっている事に対する無力感と情けなさ。



・自分はこれまで散々慢性的な疲労感と眠気に抗って生きてきたが、それで自分の人生が上手く行くことは無かった。上手くいくどころか、転落していく一方。もはや、それらに抗う気力は全く無いし、それらに自分の意思決定を委ねたい。




・パチンコ稼業に対するとても高いモチベーション


・パチンコ稼業の最中に感じる鬱の諸症状が原因の甚大な肉体的・精神的苦痛




・空手部の練習メニューが自分にとっては厳し過ぎ、死の恐怖が発生。それに3年間晒され続けた結果、鬱が3倍に悪化し、鬱の廃人のような状態に陥った。最悪の3年間。



・あの3年間は空手部を文字通り『必死に』頑張った3年間。ただひたすらに鬱が悪化していくだけの3年間だったが、あれはあれで『必死に』何かを頑張っていた、という点において『自分なりの素晴らしい青春時代』。』



⑦尿管結石の痛みで自我が破壊され、「殺したい」程憎い両親を喋らざるを得なくなる。






良いですね!こうやって見てみますと、やはりこの中では①の母親と喋り始めた時期が一番自己矛盾を起こしている感じがします。なんせ自分は母親に対して「殺しても殺し足りない」以上の憎悪を感じつつも、その母親に自分の人生を喋りたくて仕方なかった訳ですからね。凄まじ過ぎる自己矛盾です。前の記事にも書きましたが、①の自己矛盾は、それまでの自己矛盾の総決算みたいな所があると思います。つまり①=②+③+④+⑤+⑥+⑦という感じです。ですから自分は母親と喋り始めると凄まじ過ぎる自己矛盾に心を引き裂かれ、果てしない精神的苦痛を感じなければならなかったのです。故に自分は母親と喋り始めた時は超超不機嫌でしたし、母親のちょっとした言動が気に食わず、母親の事を激しく責める事がよくありました。



さて、話を戻したいと思います。そんな感じで2007年11月頃から自分は母親と喋り始めました。ようやく話が戻ってきましたねぇ。自分は母親にこれまでの鬱人生を喋っていったのです。まずは喋り易い大学空手部の頃の話から始めて、そこから小学校、中学校、高校の話をしていったと思います。




そして、1度母親と喋り始めると記憶が次から次に湧いてきまして止まらなくなったんですね。ですから、喋り始めの2〜3ヶ月は、1日4〜5時間母親と喋っていた記憶です。そう、ですから母親と喋り始めてから、自分の1日の生活はかなり活動的になったように思います。なんせ1日4〜5時間母親と喋り、さらに深夜アニメを1日平均1時間見て、さらにその感想を1〜2時間かけて書いていた訳ですからね。母親と喋る前の自分の1日の活動時間と言ったら6時間くらいですから、2〜3時間は活動時間が増えています。そして、なにより母親と喋っている4〜5時間の間はず〜っと母親と喋りっ放しです。自分はここにかなりの時間とエネルギーを使っていました。いや、今から思うと「鬱の廃人」+「鬱の狂人」状態でよくそんなに長時間喋っていったものですよ。それくらい自分の中には「犬の吠え声の苦しみを分かって貰いたい!!!」という思いが強かったという事なのでしょう。




今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!





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