鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーションについて

15年間引きこもって鬱と闘病した44歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を振り返っていきます。skipper1242でツイッターもやってます。

カウンセリングがもたらしたポジティブな効用(過去編・1998年3月・22歳)

皆さんこんにちは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「俯瞰的な思考に挑戦してみた事自体は素晴らしかった(過去編・1998年3月・22歳)」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事は、自分が大学空手部の引退後、生まれて始めて「俯瞰的な思考」をした、という話でした。そう、自分は空手部を引退後、この3年間を「評価」したくなったのです。あの恐怖に怯え続けた3年間は一体なんだったのだろう、と。この疑問は自発的に湧いてきた疑問であり、カウンセラーの先生に言われたから考えたのではありません。誰に言われるでもなく、自発的にこの問いに取り組もうと思ったのです。今から考えるとその「自発性」も素晴らしかったと思います。当時の自分が自らものを考え、自発的に行動する事なんて、まぁ無かったと思いますからね。これはそれまでの1年間のカウンセリングの成果だと思います。今回の記事は、このカウンセリングの効用について書いてみたいと思います。



そこで、自分は机の前に座り、ノートに空手部の3年間の事を書きながら、その評価を考え始めました。そう、このように自分の感情や経験を「安心して素直に書く」という行為もまたこの時が生まれて初めてだったと思います。まぁもちろん「書く」という行為自体は、大学受験やそれまでの勉強で散々やってはいましたが、これは自分の感情や経験を書く事とは別次元の話ですからね、また、振り返ってみますと自分が小学生の頃には自分の感情や経験を書く機会はありました。国語の時間に読書感想文を書く授業がありましたからね。ただし、その時の自分は自分自身の感情や経験をまるで把握していません。小学校3年生以降うちの家庭環境は戦争状態に陥りましたから、幼い自分が「安心して素直に」喋れるような場では無くなってしまったからです。その傾向は小学校3年生「以降」特に強くなったのですが、小学校3年生「以前」だってうちの家庭環境はそのような場ではありませんでした。幼い自分の周りには、自分に暖かい視線を向けてくれる祖母や祖父などの両親以外の大人も皆無でした。ですから、幼い自分は物心ついて以来、自分という人間を全く表現していなかったのです。これにより幼い自分は自分自身がどういう人間なのか理解していく事が全く出来ませんでした。また、自分の事が全く分かっていないのですから、他人への興味も全く湧きません。




そう、学生時代の自分は本や映画や漫画を見ても全く感動しない人間でした。他人に興味が無いのですから、創作物に描かれる他人の人生を見ても全く心が動かないのです。また、当時の自分はファミコンが大好きでしたが、その面白さを周りの友達と共有する事すら出来ていませんでした。こんな自分が学校生活において孤立していくのは、当然の流れだったと思います。そんな感じで小学校3年生の自分は自分の事を全く理解していませんでしたし、他人にも全く興味がない子供でした。先程の小学校時代の読書感想文なんかも感想が何一つ頭の中に思い浮かばず、まぁ困りました。とりあえずは物語のあらすじで原稿用紙を埋め、あとは先生が喜びそうな感想を捻り出して誤魔化してた記憶です。





このように学生時代の自分は自己表現や感動を全くしない人間として生きてきました。自分の人生の中に感動が生まれるのは大学3年でカウンセリングを受け始めて以降の話になります。カウンセリング以降、自分は自分自身がどういう人間なのか、少しずつ知って行きましたからね。




そして、自分は大学空手部を引退した後、その3年間の評価を考え始めました。その頃にはカウンセリングを受け始めてから1年の月日が過ぎていました。自分はこの1年間で「安心して素直に喋る」事のポジティブな効用を学んでいました。そう、自分はそこでカウンセラーの先生を相手に「葛藤→解放」を繰り返し、開放感や安堵感を得ていったのです。ですから、空手部引退を機に、今度は「安心して素直に『書く』」事に挑戦してみようと思ったのです。これもまたカウンセリングの成果だったと思います。



そこで、自分はノートを開き、空手部の3年間の印象を書き始めました。そして、自分の人生を「運動」「身体」のキーワードで思い出し始めたのです。このような「俯瞰的な思考」もまた生まれ初めての行為だったと思います。そう、カウンセリングを受ける前の自分は自分自身の事を全く把握しておらず、健康状態すら把握出来ていない人間でしたからね。どうしてそうなってしまったのかと言いますと、再び小学校3年生の頃の話に戻ります。先程も書きましたが、うちの家庭環境はその頃に戦争状態に陥り、それ以降自分は自分の感情や経験を全く言語化しないで生きてきました。それにより、全ての感情や経験がカオス状態のまま記憶の海の底に沈んでいき、そこでぐちゃぐちゃに混ざり合い、「超カオス状態」に陥ってしまったのです。これにより、自分の健康状態の記憶すら思い出せなくなり、高校時代になると健康状態の悪化にも気付けなくなってしまいました。自分の健康状態の悪化にすら気付けない人間が「俯瞰的な思考」を出来るはずがありません。その後自分は大学3年生からカウンセリングを受け始め、その中で徐々に自分自身について知っていきました。その1年後、生まれて初めてこの「俯瞰的な思考」に挑戦しようと思ったのです。そう、この「俯瞰的な思考」への挑戦、これもまたカウンセリングの成果だったと思います。



では最後に自分がカウンセリングの1年間で得たものをまとめてみたいと思います。


・「空手部の3年間を評価してみたい!」という自発性的な意欲


・「安心して素直に書く」という行為への自発的な意欲


・俯瞰的な思考への自発的な意欲


(3つとも生まれて初めて芽生えたモノ)



なるほど!やはりカウンセリングは自分に素晴らしいものをもたらしてくれたと思います。





今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!





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