鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーションについて

15年間引きこもって鬱と闘病した44歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を振り返っていきます。skipper1242でツイッターもやってます。

タップダンス教室を辞めたくて仕方ない(過去編・1999年9月・23歳)

皆さんこんにちは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「タップダンスの合同練習中に、「自意識過剰な被害妄想感」が発生 」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事は、自分がタップダンス教室を辞める決意をした、という話でした。そう、それはとある公民館でタップダンスの発表会の練習に参加していた時の話です。その練習は他のタップダンス教室のメンバーとの合同練習となっており、総勢30人くらいいた記憶です。女性が20人に男性が10人くらいでしたかね。それで合同練習が始まったのですが、まずはその練習自体がキツくて仕方ありません。なんせ当時の自分の体調は「鬱の廃人」状態です。まず背中の慢性的な疲労感が滅茶苦茶酷く、疲労感というより「激痛」です。「背中を思い切りナイフで刺され続けているような激痛」が常に自分の意識を激しく攻撃し続けてくるのです。そして、冷え性も酷く、鼻水はズルズル。加えてめまいで頭はフラフラです。自分の頭の中は、これらの肉体的苦痛に占領され切っており、集中力や注意力がほとんど無い状態です。ただ練習自体は全然厳しくないまったりとした練習内容だったんですよ。和気藹々と楽しい空気の中、運動量もそんなに無かった記憶です。しかし、身体がこんな状態ですから、練習内容が全然厳しくなくても、自分には辛くて仕方が無いのです。ですから、自分は「早く終わらないかなぁ」と思いながら、練習に参加していた記憶です。



そして、1〜2時間練習が続いた後、休憩時間になりました。自分的にはこの時間がホントキツかった記憶です。何故なら自分には喋り相手が一人も居なかったからです。そう周りの30人は公民館の体育館で楽しそうにお喋りをして休憩時間を過ごしているのですが、自分には喋り相手がおらず、その中で一人で過ごさねばならなかったのです。こういう状況になると自分の中にはとある被害妄想が浮かんできてしまいます。まるで周りの30人が一人でいる自分の事を嘲笑っているかのような妄想が湧いてくるのです。そう、実際には周りの30人は誰一人として自分に注目などしていなかったと思うのですが、自分の中で自意識過剰の被害妄想がどんどんどんどん酷くなっていってしまうのです。この自意識過剰の被害妄想癖は、高校時代からあった記憶です。それで自分はその精神的苦痛に耐えかね、公民館の体育館を一人抜け出し、公民館の中に人気のない階段を見つけ、そこに一人で座って休憩時間を過ごしたのです。その時の自分の身体は疲労感でボロボロですし、孤独感もエゲツない状態でした。この時に自分は決意しました。「この発表会が終わったら、タップダンス教室を辞めよう」、と。




さて、そんな感じで自分はかなり辛い気持ちを感じながら、合同練習をなんとかこなしていきました。合同練習が終わると発表会まで後1ヶ月です。自分はいつものタップダンス教室に週2〜3回通って、発表会の練習をしていきました。しかし、自分の心の中は「あぁもうさっさと発表会を終わらせて、ここからおさらばしたい。」という気持ちでいっぱいでした。そう、そんなに嫌ならば、今この瞬間にタップダンス教室を辞めてしまえば良い話ですが、一応発表会まではやらないとみんなに悪いかな、的な気持ちもあったのです。自分が出演する演目は集団のダンスばかりでしたから、なんかここで辞めてしまうと、迷惑がかかるかな、的な気持ちもあったのです。妙なところが真面目なんですよねぇ。ですから、自分はなんとか発表会までは頑張って、発表会が終わったら、綺麗さっぱりタップダンスは辞めようと思ったのです。そのような気持ちを秘めながら、発表会までの1ヶ月が過ぎて行きました。




今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!





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