鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

自主練による自殺願望発症と被害妄想悪化(過去編・1995年4月・19歳)

皆さんこんにちは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「 「運動=体力が付く=自分に自信が付く」という盲信(1995年4月・19歳)」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事は、自分が自分に自信を付ける為に大学で空手部に入ったものの、逆に無力感がどんどん増えていった、という話でした。あれはホントキツかった。今回の記事も、自主練という名の「無意識の自傷行為」について考えて行きます。自分は大学で空手部に入部しまして、その半年後に行われた「人間サンドバッグ」という稽古にかなりの厳しさを感じました。この稽古はかなり心肺機能を追い込む稽古でした。(この稽古の詳細はこちら)そして、この稽古の厳しさを乗り越える為に必死に自主練を繰り返したのです。自主練の頻度は以下の通りです。


空手部がある時期:家の周りをランニング、坂道ダッシュ、筋トレなど。1日1時間を週1〜2回

空手部が長期休みの時期:家の周りをランニング、坂道ダッシュ、筋トレなど。 1日1時間を週3回



ちなみに空手部がある時期(4月〜7月・9月〜1月・3月)の稽古頻度はこんな感じです。


本稽古:週3回で1回2.5時間〜3時間
昼稽古:週2回で1回40分


つまり、空手部がある時期の自分は、この空手部の稽古に加えて、週1〜2回自主練をしていた、という事になります。う〜ん、完全なオーバーワーク。ですから、自主練をやってもやっても翌日に体調がぶっ壊れるばかりで一向に体力が付いた実感を得られません。その原因は、自分が高校の時点で鬱を発症しており、とても運動を出来るような体調では無かったからです。ではここでいつもの「高校時代の8つの鬱の諸症状」を貼りたいと思います。



「高校時代の8つの鬱の諸症状」


①「暴言事件」や「寄せ書き事件」の恐怖が凄まじく、その甚大なメンタルダメージが原因で日曜夜ごとに激しい喘息が発症。そして、自分はそれらの事件を誰にも相談出来なかった為、そのメンタルダメージはいつまで経っても消化されなかった。(暴言事件の概要はこちら・「寄せ書き事件」の概要はこちら)




②喘息が原因で背中の慢性的的な疲労感がさらに悪化。もはや疲労感ではなく「背中の慢性的なかなりの痛み」



③喘息で夜一睡も出来ず高校に通っているので、慢性的な眠気が酷い


④高校生活中に突発的に発生する凄まじいめまい。自分という存在が消えてなくなりそうな程、地面が激しく揺れているイメージ。


⑤「暴言事件」や「寄せ書き事件」の最悪の最悪の想定が恐ろしくて仕方ない。その怯えから来る「冷え性


⑥上記のダメージの蓄積により、食欲が完全消失


⑦自転車通学による「無意識の自傷行為


⑧幼い頃より「自分に対する自信」をエグられ続けた挙げ句、激しい「被害妄想」が発症。「自分という人間は、いつ他人から迫害されてもおかしくない人間なのだ」という感覚に常に襲われ、いつもかなり「ビクビク」「オドオド」している精神状態。



(「②慢性的な背中の痛み」と「⑧激しい被害妄想」は相関関係にある。慢性的な背中の痛みが酷くなっていくと、被害妄想も酷くなっていった。)




こんな状態で自主練をしたって体力が付くはずがありません。だって自分は自主練を始める前の時点でかなりの疲労困憊状態に陥っていたのです。ですから、自分はそれを必死に我慢して、自主練に取り組んでいたのです。しかし、これは「無意識の自傷行為」以外の何物でもありませんでした。だって、疲労困憊状態を必死に我慢して自主練を始め、そこからさらに身体を疲労させる訳ですからね。これは、かなり傷ついている身体をさらに傷付ける行為です。実際自主練をすると、その翌日には必ず体調がぶっ壊れてしまっていました。自主練翌日の自分の体調は以下の通りです。



『自主練の翌日の体調は、昨日の疲労感がエグく残っており、身体はとてもダル重く、冷え性も酷くて真夏でも鼻水がズルズルだったのです。もちろん食欲なんて当然ありませんし、背中の疲労感も滅茶苦茶です。背中をナイフで刺され続けているような痛みでしたからね。こんな状態で体力が付いたという実感を得られる訳がありません。』




しかし、当時の自分は自分が8個の鬱の諸症状を発症しているとは夢にも思っていませんでした。自分は自己認識能力が皆無でしたから、自分も人並みの健康状態を保っていると考えていたのです。ですから、一般的な「運動=体力が付く=自分に自信が付く」の図式が自分にも当てはまると思い込んでいました。ですから、自分は体調をただただぶっ壊すだけの自主練を懲りずに繰り返してしまったのです。



その結果自分の中には「無力感」がどんどん大きくなっていきした。だって必死の努力が全く実を結ばないのですから。これは言い換えますと、自分が「自分という存在に対する自信」をさらに失っていった、と言う事です。そして、「無力感」は「脱力感」に悪化し、さらには「虚無感」へと悪化していったのです。そして、「虚無感」の行く付く果ては、「自殺願望(希死念慮)」発症です。この場合の「自信」と「自殺願望(希死念慮)」 の関係は、こんな感じです。


「自分という存在に対する自信を徹底的に失っている」=「自分がこの世の中に存在する必要性を全く感じない」=「自殺願望(希死念慮)」



また、この時期には「自殺願望(希死念慮」発症と同時に、重要な事がもう一つありました。それは、自分が「自分という存在に対する自信」をさらに失い、「被害妄想」がさらに悪化した、という事です。この「自信喪失」→「被害妄想悪化」は、これまでの自分の人生で何度も繰り返されてきたパターンです。ですから、自分は自主練を繰り返せば、繰り返す程、自信を失い、自殺願望発症。さらに「被害妄想」も酷くなっていった、と言えます。



今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!






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