鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

再びトラウマと向き合う事への激しいためらい②(2008年7月頃・32歳)

皆さんこんばんは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表&鬱悪化のフローチャートも併せてどうぞ。では、前回の記事「 再びトラウマと向き合う事への激しいためらい(2008年7月頃・32歳) 」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事は、32歳の自分が過去のトラウマを歩きながら消化する事を思い付いた、という話でした。これは2008年5月頃の話になります。それまで自分は歩きながら深夜アニメの感想を思い出していたのですが、その中で感想を消化する事に成功していました。という事は、過去のトラウマも歩きながら思い出す事で消化出来るのでは無いかと考えたのです。



しかし、自分はこのアイデアを思い付いたものの、それを実際に始めるまでにはかなりの躊躇がありました。その理由は以下の3つになります。過去記事を参照にその理由をまとめてみます。



❶「深夜アニメの感想」は歩きながら思い出す事で消化出来たが、「トラウマ」も同様に消化出来る保証は何も無い。「深夜アニメの感想」と「トラウマ」では気持ちの方向性が180度真逆。また、「深夜アニメの感動」と「過去のトラウマ」では、記憶量が桁違いに違う。深夜アニメの記憶量は1年半だが、過去のトラウマは28年間分。しかもトラウマの数々は気が遠くなる程複雑に絡み合っている。何よりトラウマを思い出す事自体が凄まじい精神的ダメージを生じさせる。これは4年前の記憶のサルベージにおいて体験済みだった。


❷トラウマを思い出しながら歩くとなると、それはもはや「散歩」では無かった。傍から見たら、散歩している事に変わりないが、自分の心の中は「鬱一色」に塗り潰される事になる。それは4年前の記憶のサルベージの再来を意味していた。


遡る事4年前、自分は部屋に引きこもり、過去のトラウマを全てノートに書き出し始めた。それは先の見えない日々の始まりだった。トラウマは書いても書いても尽きる事がなく、全く底が見えてこない。自分は何度絶望感を感じ、何度号泣したか分からない。しかし、永遠に終わらないと思われた作業は1年半でようやく終止符が打たれた。あの1年半は全く先の見えない漆黒の日々だった。今回再びトラウマを思い出し始めれば、あの漆黒の日々が再び繰り返される事となる。



❸何よりこの頃の自分の心身は「極度の虚脱状態と放心状態」 ×1.5倍状態に陥っていた。(詳細はこちら。)自分はただでさえ8個の致命的な心身の苦痛にのたうち回っており、こんな状態で歩きの中で過去のトラウマを向き合うのは、地獄の底の底を彷徨うようなものだった。



このように当時の自分は、歩きながらトラウマを思い出すアイデアを思い付いたものの、❶〜❸の理由でかなりの躊躇を感じていました。改めて❶〜❸の理由を端的にまとめるとこんな感じです。



❶「歩きながら深夜アニメの感動を思い出す事で、それを消化する」方法は上手くいったが、これが「トラウマ」にも通用する保証は何も無い。


❷トラウマを思い出すとなれば、それは4年前の記憶のサルベージの再来。また先の見えない漆黒の日々が始まるのか、という気持ち。


❸心身が「極度の虚脱状態と放心状態」×1.5倍状態に陥っている。こんな状態で再びトラウマに立ち向かえのか、という気持ち。



う〜ん、これは躊躇するはずです。歩きながらのトラウマの消化にチャレンジするかどうか、自分は歩きながら考え続けたのでした。




今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!




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