鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

トラウマを思い出す前の思考のアイドリング(2008年3月頃・32歳)

皆さんこんにちは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表&鬱悪化のフローチャートも併せてどうぞ。では、前回の記事「 トラウマ歩きの続行を決意(2008年3月頃・32歳) 」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事は、32歳の自分が「トラウマ歩き」を試しにやってみた結果、これを続行すること事にした、という話でした。「トラウマ歩き」とは、歩きながらトラウマを思い出す事で、それを消化する試みを指しています。



ここからは前回の記事をそのまま引用したいと思います。自分が「トラウマ歩き」の続行を決めた経緯について書いたものです。



『前回記事からの引用』


自分は「トラウマ歩き」を試してみた結果、以下の3つの感想を持ちました。


①トラウマ歩き後、心の中で「スッキリ感」と「達成感」発生している。しかし、これらの感覚は心の中の1/500くらいで発生した、ほんの僅かなポジティブ感だった。


② 「トラウマ歩き」の最中のトラウマへの没入感はかなりのものがあった。それはまるで自分が14年前の大学時代にタイムスリップしたかのような感覚。しかし、そこに懐かしさはゼロ。自分は歩きながら、ひたすら当時の「殺されるかもしれない恐怖」と「孤独感」と「絶望感」と「虚無感」と「無力感」をそのまま再体験していった。その精神的苦痛で顔は激しく歪み、足取りは重くなるばかり。ただ、歩きながら当時のトラウマを再体験していると、あっという間に2時間が過ぎたのだった。


③ 「トラウマ歩き」でトラウマが消化出来たかどうかは、正直分からない。



このように自分はお試しの「トラウマ歩き」を終え、悩ましい気持ちになりました。この「トラウマ歩き」の目的は、「トラウマの消化」ですが、③にある通りその目的が達成出来たのかどうかさっぱり分かりません。確かにスッキリ感と達成感は発生しましたが、それは心の中の1/500くらいで発生している微細な感覚です。残り499/500の圧倒的な「鬱の記憶」の前では、存在感はほとんどありませんでした。



しかし、②にありますように「トラウマ歩き」の最中の没入感は特筆すべきものがありました。まさかあんなに鮮やかに過去のトラウマが蘇るとは。ただし、そこに懐かしは微塵もありませんでした。あったのは、当時の「殺されるかもしれない恐怖」と「孤独感」と「絶望感」と「虚無感」と「無力感」だけでした。



自分はトラウマ歩きを続けるか、かなり悩みました。トラウマ歩きを躊躇う理由としては以下の3つがありました。


❶「歩きながら深夜アニメの感動を消化する」方法は上手くいったが、これが「トラウマ」にも通用する保証は何も無い。


❷トラウマを思い出すとなれば、それは4年前の記憶のサルベージの再来。また先の見えない漆黒の日々が始まるのか、という気持ち。


❸心身が「極度の虚脱状態と放心状態」×1.5倍状態に陥っている。こんな状態で再びトラウマに立ち向かえのか、という気持ち。 (「極度の虚脱状態と放心状態」の詳細はこちら)



自分は上記①②③と❶❷❸の感情を考え続け最終的に出た結論は「続ける」でした。③と❶にありますように、やはり「トラウマ歩き」でトラウマが消化出来る保証は相変わらず何もありません。確かに「トラウマ歩き」後にはスッキリ感や達成感らしきものが発生していましたが、それはあまりにも微細な感覚で、あやふやな感覚でした。



しかし、だからといって「消化出来ない」という確証も何もありませんでした。もしかしたら、「消化出来る」可能性も全然あるように思えました。特に「②没入感の高さ」は凄まじいものがあり、「消化出来る」可能性を感じさせました。




自分は最終的には『ここで「トラウマ歩き」を辞めてしまうのは勿体無さ過ぎる』、と判断しました。トラウマを消化出来る可能性のある行為を辞める選択肢はありませんでした。『「トラウマ歩き」によってトラウマが消化出来るかどうかは全く分からないが、とりあえずは続けてみるか。』、と。



『引用終わり』



このように自分は「トラウマ歩き」の続行を決めました。そこからはただひたすら歩く日々の始まりです。自分は週に3回のペースで歩く事になりました。1回の歩き時間は徐々に伸びていき、平均4時間は歩いていました。1回あたりの平均歩行距離は10kmです。



それに伴い、自分は歩くルートについて考えるようになりました。深夜アニメの感想を消化していた3ヶ月くらいは家の近所を歩いていましたが、家の近所をぐるぐる週3回、1回4時間も歩き続けるのは、近所の目が気になります。また、歩くのが家の近所ばかりでは、風景が変わらず、「飽き」も発生していました。



そこで自分は「トラウマ」に関係する場所を歩く事を思い付きました。思い出す「トラウマ」に合わせた場所を歩けば、より没入感が強くなるような気がしたのです。例えば「1つ目の大学」の内外を歩けば、より大学空手部のトラウマを思い出し易くなるかもしれません。



そこで自分は早速1つ目の大学に向かい、大学内外を歩き始めました。ここからは少し話が本筋から外れますが、「トラウマ歩き」のルーティンを書いてみたいと思います。どのような時間配分で日々の「トラウマ歩き」を行っていたのか、という話になります。




自分は「トラウマ歩き」を始めると最初に最近見た深夜アニメの感想や興奮を思い出していきました。これは毎回必ずです。大体深夜アニメの感想だけで40〜50分は歩いていました。途中からは、深夜アニメの感想文を携帯のメモ帳に書く作業も加わっていまいましたから、それが白熱すると、深夜アニメ絡みの歩きだけで2時間経っている事もありました。



どうしてトラウマを思い出す前に深夜アニメの感想を思い出していたのかと言いますと、歩き始めてすぐに「トラウマ」を思い出す気には全くなれなかったからです。「トラウマ歩き」は「トラウマの再体験」を意味していましたから、実行には必ず激しい精神的苦痛が伴いました。思い出していたのは、学生時代の「孤独感」と「絶望感」と「虚無感」と「無力感」のみですからね。大学空手部時代にはこれに「稽古で殺されるかもしれない恐怖」が加わりました。自分の学生時代の記憶はトラウマしかありません。



ですから、トラウマを思い出し始めると、その苦痛で顔が激しく歪み、歩くスピードは極限まで遅くなりました。歩きながら何度号泣したか分かりません。


このように「トラウマ歩き」は激しい精神的苦痛を発生させるものであり、そこに取り組むにはかなりの「覚悟」が必要でした。そして、その「覚悟」を作る為のアイドリングが必要だったのです。ですから、自分は歩き始めるとまずは深夜アニメの感想や興奮を思い出し、思考のアイドリングをしていました。




深夜アニメの感想や興奮は100%ポジティブな感覚であり、これを思い出すと口元がニヤつきました。自分はまずはこのようなポジティブな感覚を思い出す事で、思考のアイドリングをし、「トラウマ歩き」に突入する為の覚悟を作っていきました。この思考のアイドリング無しでいきなり「トラウマ歩き」に突入した事はありませんでした。そんな事は自分の脳が本能的に拒否していた印象です。




今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!




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