鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

1つ目の大学近辺でトラウマ歩き(2008年3月頃・32歳)

皆さんこんばんは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表&鬱悪化のフローチャートも併せてどうぞ。では、前回の記事「 トラウマを思い出す前の思考のアイドリング(2008年3月頃・32歳) 」の続きを書かせて頂きます。



前回の記事は、32歳の自分が「トラウマ歩き」を続行すること事にした、という話でした。「トラウマ歩き」とは、歩きながらトラウマを思い出す事で、それを消化する試みを指しています。そこからはただひたすら歩く日々の始まりです。自分は週に3回のペースで歩く事になりました。1回の歩き時間は徐々に伸びていき、平均4時間は歩いていました。1回あたりの平均歩行距離は10kmです。



このトラウマ歩きの時間構成ですが、毎回歩き始めの40〜50分は、深夜アニメの感想や興奮を思い出しながら歩いていました。最近見た深夜アニメの感想や興奮を思い出しては、口元をにやけさせながら歩いていたのです。また、その後自分は深夜アニメの感想文を携帯で歩きながら書くようになるのですが、こうなると深夜アニメの感想だけで2時間くらいは歩いていました。つまり、深夜アニメ2時間+トラウマ歩き3時間で、5〜6時間外を歩き回る事もあったのです。



では、どうしていきなり「トラウマ歩き」に入らず、まずは深夜アニメの感想を思い出していたのかという理由ですが、ここからは前回の記事をそのまま引用したいと思います。「トラウマ歩き」に入る前に思考のアイドリングが必要だった、という話になります。前回の記事をお読みの方はスルーして下さい。



『前回記事からの引用』



何故「トラウマ歩き」の前に最初に深夜アニメの感想を思い出していたのかと言いますと、歩き始めてからすぐに「トラウマ」を思い出す気には全くなれなかったからです。「トラウマ歩き」は「トラウマの再体験」を意味していましたから、実行には激しい精神的苦痛が伴いました。思い出していたのは、学生時代の「孤独感」と「絶望感」と「虚無感」と「無力感」のみですから。楽しい記憶などただの一つもありません。





ですから、「トラウマ歩き」を始めるとその苦痛で顔が激しく歪み、歩くスピードは極限まで遅くなりました。歩きながら何度号泣したか分かりません。


このように「トラウマ歩き」は激しい精神的苦痛を発生させるものであり、そこに取り組むにはかなりの「覚悟」が必要でした。そして、その「覚悟」を作る為の準備時間が必要だったのです。ですから、自分は歩き始めるとまずは深夜アニメの感想や興奮を思い出し、思考のアイドリングをしていました。




深夜アニメの感想や興奮はポジティブな感覚であり、思い出すと口元がニヤつきました。自分はまずはこのようなポジティブな感覚を思い出す事で、思考のアイドリングをし、「トラウマ歩き」に突入する為の覚悟を作っていきました。この思考のアイドリング無しでいきなり「トラウマ歩き」に突入した事はありませんでした。そんな事は自分の脳が本能的に拒否していた印象です。



『引用終わり』


このように「トラウマ歩き」は激しい精神的苦痛を発生させる行為でしたから、その前に思考のアイドリングが必要だった、という話になります。そして、40〜50分の思考のアイドリングの後に、自分は覚悟を決めて、「トラウマ歩き」に突入していったのでした。



☆ここから先の話は3種類の時系列が存在し、それぞれの時代の自分が存在します。


①今現在のブログを書いている自分(2022年8月・45歳)

②トラウマ歩きを始めた頃の自分(2008年6月頃・32歳)

③大学空手部時代の自分(1995年〜1998年・19歳〜21歳)


なるべくこの3種類を分かりやすいように書いていきますが、ややこしくてすみません。



さて、話を前回の記事の本筋に戻したいと思います。自分が「トラウマ歩き」を続行するにあたり、歩くルートを考えた、という話でした。自分は最初家の近所を歩き回っていましたが、2日に1度、1回4時間も歩き続けると、近所の目が気になり始めました。また、歩いている時の周りの風景が毎回同じだと飽きてしまうのです。



そこで自分が向かったのは「1つ目の大学」です。この場所こそ、自分の鬱を象徴する場所であり、「トラウマ歩き」をするにはうってつけの場所でした。そもそも、自分は以前からこの大学に赴いては、当時の自分の怨霊を慰霊していました。大学時代の自分は「空手部の稽古の厳しさに殺されるかもしれない」という恐怖の中で日々を過ごし、周りにはそれを相談できる人間関係は皆無でした。そんな日々の中で被害妄想が悪化していき、夜眠れなくなり、心身が壊れていったのです。



ですから、自分が大学内を歩くと当時の自分が「殺される恐怖感」でのたうち回り、苦しみでうめき声をあげている残像が見えました。その残像は「残像」というより「怨霊」と呼ぶ方がより正確でした。自分はそんな自分の怨霊一人一人に対して、慰めの言葉をかけて回りました。すると、当時の怨霊の苦しさがほんの少しだけですが、癒される気がしたのでした。



このように自分は「1つ目の大学」を半年に一度くらいのペースで訪れては「大学時代の自分の慰霊」をし続けていました。これは「トラウマ歩き」が始まる以前から続いており、それはすでに3年間続いていました。



そこで自分は「トラウマ歩き」を続行するにあたり、まず最初に「1つ目の大学」に向かったという訳です。「トラウマ歩き」を続行するにあたって、こんなにうってつけの場所はありませんでした。自分はすでにここで何度も過去のトラウマを思い出していましたし、過去記事に書きましたように、「トラウマ歩き」は「大学時代の自分の慰霊」から派生した行為であったからです。




今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!




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