皆さんこんばんは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事と 人生年表&鬱悪化のフローチャートも併せてどうぞ。では、前回の記事「 1つ目の大学内で深夜アニメの感想を思い出す②(2008年3月頃・32歳) 」の続きを書かせて頂きます。
☆ここから先の話は3種類の時系列が存在し、それぞれの時代の自分が存在します。
①今現在のこのブログを書いている自分(2022年8月・45歳)
②トラウマ歩きを始めた頃の自分(2008年6月頃・32歳)←これが今回の記事のメインです。
③大学空手部時代の自分(1995年〜1998年・19歳〜21歳)
なるべくこの3種類を分かりやすいように書いていきますが、ややこしくてすみません。
前回の記事は、32歳の自分が「トラウマ歩き」を続行する事になった、という話でした。「トラウマ歩き」とは、歩きながらトラウマを思い出す事で、それを消化する試みを指しています。ここからはただひたすら歩く日々の始まりです。自分は週に3回のペースで歩く事になりました。 1回の歩き時間は平均4時間で、1回あたりの平均歩行距離は10kmです。今から14年前の話になります。
自分は「トラウマ歩き」を続行するにあたり、まずは1つ目の大学に向かいました。この場所こそ、自分の鬱を象徴する場所であり、「トラウマ歩き」を本格化させるにはうってつけの場所だったのです。
自分はまずは大学構内を歩き回り、思考のアイドリングをしました。しかし、この時に思い出していたのは、「トラウマ」ではなく「最近見た深夜アニメの感想」です。「トラウマ」と向き合う為には、思考のアイドリングが必要であり、「最近見た深夜アニメの感想」はそれにうってつけでした。いきなりトラウマ歩きに突入したら、その凄まじい精神的苦痛で正気が保てなくなる恐怖がありました。よって、自分はまずは深夜アニメの面白さや興奮を思い出し、口元をにやつかせながら大学構内を歩き回りました。
そして、40〜50分歩き回っているとその面白さや興奮は消化され落ち着いていきました。ここからがトラウマ歩きの本番です。自分は大学の外に出ました。そして、5分程歩いて空手部時代に散々ランニングしていた場所に着きました。ここなら空手部時代のトラウマがどんどん思い出せそうです。自分は覚悟を決めて、空手部時代のトラウマを思い出し始めました。
すると、自分の視界から周りの風景が一気に消え、代わりに空手部当時にこの場所でランニングをしていた頃の風景が現れました。それは10〜13年前の風景で、風景の色はモノクロです。そして、その風景の中を大学時代の自分がランニングしています。自分は元々喘息持ちでしたから、激しい喘息に苦しみながら、ランニングをしていました。激しい喘息のせいで呼吸がかなり吸い辛く、空気を吸っても吸っても苦しくてたまりません。
しかし、それ以上に当時の自分を苦しめていたものがありました。それは「空手部の稽古に殺されるかもしれない恐怖感」です。そう、このランニングは準備運動的に行われていたものであり、このランニングが終わると道場に戻り、本格的な稽古が始まる流れでした。ですから、ランニング中の自分はこの後の稽古が恐ろしくてたまらなかったのです。そして、当時の自分の周りにこの恐怖を共有出来る人間関係は皆無でした。
つまり、当時の自分はこの場所で「喘息の激しい苦しみ」と「この先の稽古で殺されるかもしれない恐怖」、この2つの苦痛にのたうち回りながら、ランニングをしていたのです。そして、そんなランニングが3年間続いたのでした。
自分は因縁のランニングコースを歩きながら大学時代の自分の苦しみを詳細に思い出して行きました。すると顔は苦痛で激しく歪み、歩くスピードは極限まで遅くなりました。目の前の風景の色は限りなく黒に近いグレーに変わっています。自分は歩きながら、辛くて辛くて仕方なく、悲しくて悲しくて仕方ありません。もしかしたら泣いていたかもしれません。身体も鉛のように重くなっていました。
今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!
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