鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

最も古い記憶

みなさんこんにちはスキッパーです。見に来て下さりありがとうございます。もし初めてこのブログに来た頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事も併せてどうぞ。では、前回の記事「大学でカウンセリングを6年間受けた事」の続きを書かせて頂きます。



前回は自分が初めてカウンセリングを受けた時の話や6年間カウンセリングを受けた事、また小3以前から自分の存在が家の中で放置気味だったという話でしたね。そう、その「放置気味」だった事を象徴するようなエピソードがありまして、それは自分が思い出せる記憶の中で最も古い記憶でもあります。



あれはたぶん自分が3〜4歳の頃の出来事だったの思うのですが、ちょうどその頃うちの妹が産まれまして、母親はそちらの世話でいっぱいいっぱいだったのだと思います。ある日自分と母親で出かけていまして、帰りの電車の中がかなり混んでいたんですね。それで自分と母親は立っていたのですが、しばらくすると自分はどうしても席に座りたくなってしまい、「座りたい、座りたい」とわがままを言いました。すると前の席に座っていた大人が席を譲ってくれ、自分は座る事ができたのですが、最寄駅に着く1つ前で急に母親が険しい顔で自分の手を引っ張って電車を降りたんですよ。そして、ホームの先まで自分を連れていき「そんなわがまま言うならもうここに置いていくからね!」と自分を叱りました。これはまぁ怒って同然のシチュエーションだったと思います。それでまぁ自分としてはそんなに悪い事をした気はなかったのですが、自分が泣かないと場が収まらない雰囲気でしたので、泣いて謝り、その場はそれで収まりました。



でですね、そうやって嘘泣きで場を収めたもののこの出来事は当時の自分にはかなりショックな出来事だったらしいのです。叱られた直後の自分は「あ、もう今後親の前では一切自分の感情を出してはいけないんだな」と、感じた記憶です。



もちろんうちの母親はあくまで電車内での自分のわがままについて怒っただけであって、「一切の感情表現を辞めろ」とは言っていません。ただ当時の自分はそう言われたも同然に感じてしまい、以降親に対して心を閉ざしてしまった。




何故に自分は母親の怒りをそこまで極端に受け取ってしまったでしょう。ここからは完全に自分の推測になるのですが、それは父親や妹の世話でいっぱいいっぱいの母親に対する「諦め」みたいなものがあったように思います。




今日はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございましたm(_ _)m



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