鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。ツイッターを@skipper1242でやってましたが凍結されましたので、現在は@skipper954954でやってます。

〜尿管結石発症前夜の状況〜尿管結石発症までの精神的経緯12

皆さんこんばんはスキッパーです!今日も見に来て下さりありがとうございますm(_ _)m今日も皆さんに自分の話を読んで頂けるかと思うと嬉しい気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事も併せてどうぞ。では、前回の記事「〜睡眠不足の果ての自殺願望〜尿管結石発症までの精神的経緯11」の続きを書かせて頂きます。



前回の記事は睡眠不足と自殺願望の話でしたね。そう、2003年の夏頃(自分27歳)に妹が彼氏と付き合い出した事で、自分の劣等感は極限に膨らみました。そして、その巨大な劣等感に自分の心は潰され、そこから妹に対する憎しみが生まれました。また、この頃になると自分はいよいよ現実世界で居場所を無くしつつありましたから、慢性的な疲労感で心身はボロボロであり、故に睡眠への依存と渇望も凄まじく大きくなっていました。ですので下記2つの要素が絡んで、妹の出す「生活音」への異常なムカつきが始まった、という流れになります。


①巨大な劣等感から生まれた妹への憎しみ

②慢性的な疲労感による睡眠への依存と渇望


そして何故「生活音」だったのかという事ですが、それは妹の出す生活音が自分の睡眠を脅かす可能性があったから、という事になります。実際自分は妹の出す生活音で起こされてしまっていましたからね。以前の記事で自分は布団の中に入り、眠ろうとすると、「もしかしたら自分はこの後の睡眠中に妹の出すドア音で起こされてしまうのでは?」という予期不安が発生するようになってしまったという話をさせて貰いました。(〜巨大化していく妹への憎しみと睡眠への渇望感〜尿管結石発症までの精神的経緯10)これにより、ますます寝付く事が難しくなっていき、さらに心身が衰弱していったのですが、心身が衰弱する事で、さらにこの予期不安は大きくなっていきました。そして、それにより寝付いた後の睡眠中にドアの音で起こされてしまう確率も上がってしまっていたような気がするのです。なんというか、そうやって巨大な予期不安を抱えながら寝付く事で、寝付いた後の眠り自体も浅くなっていたような印象です。そして眠りが浅い状態だから周りの音で起こされ易い。まぁ寝付いた後の事ですから、そこは完全に無意識の領域であり、そこに普段のストレスがどれくらい影響があるのか、たぶん科学的にはまだまだよく分かっていない領域なのではないかな、とは思います。ですから、これは完全に自分の主観と印象になりますが、自分は寝付いた後の入眠中にも周りの生活音により敏感になってしまっていて、それによりさらに起こされ易い状況になっていったのではないかな、と思います。




さてさて、そんな感じで自分はどんどん睡眠前の予期不安が大きくなってきまして、それにより妹への憎しみもさらに増大していきました。いよいよ、尿管結石が発症する環境が整いつつありました。ここで2003年夏頃の自分(27歳)の状況を整理させて頂きます。


社会的な状況

①大学生活を何度やり直しても友達が作れず、6度目の大学休学中。2度目の大学中退はほぼ確定状態。

②2店舗目の古本屋を辞め、1店舗目の古本屋でバイト中。2店舗目の古本屋に比べるとストレスは少ないが、かと言って人間関係が上手くいったり、仕事が楽しいなどのポジティブ要素は全く無し。


家族内のコミュニケーション状況

①いつまで経っても父親の事を責めるのを辞めない母親への巨大な憎しみ。これにより母親とのコミュニケーションは断絶。

②同様に妹への巨大な憎しみ。これにより妹とのコミュニケーションも断絶。

③父親とのコミュニケーションも断絶。詳しくは後述。


心身の状況

①高校以来続く、ひたすら孤独感と絶望感に打ちのめされ続ける生活。これによりさらに鬱は悪化し、慢性的な疲労感も悪化。睡眠への依存と渇望感もどんどん巨大化していく。(大学入って鬱が3倍酷くなった話 )


②睡眠への依存と渇望感が巨大化していく事で、妹の出すドアの音に対する恐怖感と怒りも凄まじくなっていく。同時に予期不安も発生し、これにより睡眠がますます取れなくなっていって、心身はさらに衰弱。




という感じです。自分と父親の関係ですが、まぁなんとも微妙な感じでしたねぇ。父親と例の整体師とが付き合い始めた頃(1995年頃)から、自分と父親の交流も始まりまして、たまにドライブやご飯に連れていって貰ってはいましたが、特に楽しい事はありませんでした。車内で父親お得意のオカルト話を聞かされうんざりしていた記憶しかありません。気功がどうとか、ユダヤ人の陰謀とかそんな話を嬉々としていまして、実のある話は一切無し。そう、そこに関する不満はありましたね。自分が2店舗目の古本屋で働いていた時にも、父親と一緒にドライブに行き、ご飯を食べる事がありました。そしてその中で、自分が今バイト中とてもしんどい状況にある事を父親に伝える場面もあったのですが、それに対する父親のリアクションはまぁ少なく、まるで防音室で一人語りしているくらいの手応えの無さでした。ホントあの人は人間の感情とか人間関係とか人生の失敗談と成功談とか、そういう人間の「心」に関するものに対して一切の興味を持っていない人なのですよ。興味をもっていないし、言葉も持っていない。自分と同様に人生経験を言葉にして積み上げてきていないのだと思います。だからね〜、喋っていてもただただ虚しく、徒労感がどんどん溜まっていくばかり。そして、この頃(2003年夏頃)になると、父親とご飯を食べに行く事もなくなり、家の中でのコミュニケーションも無くなっていました。




という訳で、この2003年の夏頃になると、自分は社会的にドロップアウトしかけていましたし、家庭内でも孤立。当然友達もいません。そして、心身はズタボロ。このような状況下で尿管結石が発症しました。





今日はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!m(_ _)m





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