鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーションについて

15年間引きこもって鬱と闘病した43歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を振り返っていきます。skipper1242でツイッターもやってます。

父親との思い出(2003年頃・27歳)

皆さんこんばんはスキッパーです!今日も見に来て下さりありがとうございますm(_ _)m今日も皆さんに自分の話を読んで頂けるかと思うと嬉しい気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事も併せてどうぞ。では、前回の記事「パチンコで稼いだ後の父親からの心無い一言(2004年2月・28歳)」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事は、自分がうちの父親から心無い一言を言われたって話でしたね。そういえば、うちの父親といえばこんな事もありました。あれは尿管結石が発症する3ヵ月くらい前の話。あの頃、自分と父親は2週間に1回くらいのペースでご飯を食べに行くような間柄だったんですよ。父親の運転する車で近所の中華屋や焼肉屋さんに連れて行って貰いました。自分の食欲は高校時代から全く無くなっていましたから、その後は何を食べても美味しいと感じる事は無くなっていました。ただそれでも口の中に食べ物を入れると味覚は感じる状態でしたから、父親が連れて行ってくれた中華屋で海鮮おこげかなんか食べて、「これ味付けがよく出来てるな」と感じた記憶があります。




あの頃はまだ尿管結石の際の暴言事件が起こっていませんでしたから、自分の父親に対する印象はそこまで悪くはありませんでした。というか、悪いも何も27年間一つ屋根の下に暮らしているにも関わらず、自分の中には父親との思い出自体がほとんど無かったですからね。自分は父親から遊んでもらって楽しいとか感じた記憶は一切ありません。うちの父親は子供に対して一切積極的に関わろうとしてこなかった印象です。加えて幼い頃から家庭内での父親の存在感は透明人間のごとく全くありませんでした。まぁ何かこう父親自身から自身の熱い感情や自己主張みたいなものが発せられた記憶が無いですからね。父親から「血の通った人間としての暖かさ」みたいなものを感じた記憶が一切無いのです。そう、父親が父親自身の過去のエピソードを語るような事も皆無でしたから、自分の中での父親の存在感は皆無で、まるで「透明人間」のような父親でした。あとの思い出は「いつも色々な事でうちの母親を激怒させ、やり込められていたなぁ」、ぐらいのものです。




さて、そんな感じで自分の父親に対する印象は皆無でしたから、そうやって父親の方からご飯に誘ってくれて、ご飯屋さんに行く事自体は嬉しかったのです。しかし段々とそれも回を重ねるうちにしんどさの方が増してきました。何故かと言うと、そうやって父親と2人で過ごす時間の中でなんか自分ばっかベラベラ最近起こった出来事を喋っていまして、父親の方からは特に何もエピソードが出てこないんですよ。段々と自分は自分ばかりがベラベラ喋る事が嫌になってきていました。加えて、自分が当時喋っていた事といえば、当時働いていたバイト先で人間関係が上手く行かないという話がメインだったのですが、そういう話を父親にしてもそれに対するリアクションがまぁ薄い。なんかこう身になるようなアドバイスやそれに類するような父親自身の体験を語ってくれるような事は皆無で、なんか段々と壁に1人語りしてるような虚しい気分になってきていました。そうは言っても、たまには父親が饒舌に喋る事もありましたが、そういう話は「ユダヤ人の陰謀」だの「気功」だのオカルト話ですからね。あとは自分が聞いても全く分からない「漢方」の話とか。ですから、段々と自分は父親とご飯に行く事に嫌気がさしてきたのです。






今日はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!m(_ _)m





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