鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーションについて

15年間引きこもって鬱と闘病した43歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を振り返っていきます。skipper1242でツイッターもやってます。

空手部時代を評価(2004年9月頃・28歳)

皆さんこんばんはスキッパーです!今日も見に来て下さりありがとうございますm(_ _)m今日も皆さんに自分の話を読んで頂けるかと思うと嬉しい気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事も併せてどうぞ。では、前回の記事「ようやく記憶のサルベージの折り返し地点に到着(2004年12月頃・29歳)」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事は、自分が始めた記憶のサルベージがようやく折り返し地点に入ったという話でした。時期にして2004年の年末頃だった記憶です。とは言っても当時の自分は折り返し地点に入った事に全く気付いていません。8ヵ月経っても記憶のサルベージが全く終わる気配が見えない事に落胆しながら、サルベージを続けていました。さて、今回も例のコピペを貼りたいと思います。自分が記憶のサルベージを始めてから、衝撃を受けた事柄一覧です。




・自分の過去を振り返ろうとすると、視界0mの超濃霧状態で全く自分の過去を見えない。(過去を振り返ろうとするも視界0mの超濃霧状態で後ろが全く見えない(2004年4月頃・28歳))


・自分が高校以来食欲が全く無くなっている事に気付き、自分が長年鬱だった可能性に気付く。(高校時代以後食欲が一切無くなっていた事が異常だったと気付く(2004年9月頃・28歳))


・自分が長年鬱だった可能性が出てきた事で、「自分は本質的に極度に劣っている人間なのでは?」という思いが若干薄らぐ。(自分が長い間鬱であった可能性が出てきてホッとした(2004年9月頃・28歳))


・小学校3年生以前の記憶と、小学校3年生以後の記憶とでは、明らかに色合いが違う事に気付く。小3以前はフルカラーなのだが、小3以降は灰色一色。( 小3以前の記憶⇒フルカラー、小3以降の記憶⇒灰色(2004年9月頃・28歳))


・小学校3年生付近の記憶を引き揚げてみると、小学校3年生以降自分の家庭が戦争状態に突入した事を思い出す。(小3を起点とする記憶の色の違い=小3時の家庭環境の急激な悪化(2004年9月頃・28歳))


・若かりし頃の両親の写真を見て号泣。(若かりし頃の両親の写真を見て号泣(2004年9月頃・29歳))

・大学空手部の印象が180度真逆に変わる(記憶のサルベージにより空手部の印象が180度真逆に(2004年9月頃・29歳) )


・大学3年次に受け始めたカウンセリングの初回、号泣し続けた事を思い出す。(カウンセリング初回、号泣し続けた話(2004年10月頃)カウンセリング初回に号泣した理由(2004年10月頃・28歳))


・自分の精神年齢の成長が小3で止まっていた可能性に気付く。(精神年齢の成長が小3で止まっていた事に気付く②(2004年10月頃・28歳))

↑コピペここまで。



これらの事柄を思い出していく作業に半年間かかったという感じです。そして現在自分がこのブログで行っている、「記憶のサルベージをサルベージする作業」も折り返しに入ったという所でして、なんかこう嬉しい気持ちがあります。「とうとう半分まで来たか」という達成感です。さて、最近ブログを書いていまして、「あ、あの事を書き忘れてるな」という事がありました。それも上記のコピペに入れたいくらい衝撃的な事柄でしたので、書いていきたいと思います。それはサルベージ最初期の話です。印象としては先程のコピペの最初の項目「・自分の過去を振り返ろうとすると、視界0mの超濃霧状態で全く自分の過去を見えない。(過去を振り返ろうとするも視界0mの超濃霧状態で後ろが全く見えない(2004年4月頃・28歳))」よりも前の記憶です。それはどういう事かと言いますと、記憶のサルベージを始めた頃、大学の空手部の3年間を自分の中でどう評価するのかという話を書いていたんですね。振り返ってみますと、自分は学校生活(特に高校以降)において一切友達関係を作る事が出来ず、鬱が悪化し、社会生活そのものから脱落することになりました。しかし、自分はそのように周りと人間関係が作れない状況を何も考えずただただ受け入れていた訳ではなかったのです。自分はそのような状況が情け無くて辛くて悲しくて仕方なかったですからなんとかそれを打開したいと考えていました。そこで高校3年生の頃に思い付いたアイデアが「そうだ!大学入ったら空手部に入ろう!」でした。何故そのようなアイデアが産まれたのかと言いますと、自分は幼い頃から喘息に苦しみ続けていましたので、体育が最も嫌いな科目だったんですね。身体を少し動かしただけでも喘息が出てしまいますから、苦しくてスポーツを楽しむどころではなかったのです。よって中学、高校の部活は文化系の吹奏楽部で過ごしていました。しかし、中学、高校と学年が進むにつれ自分はどんどん周りのクラスメートや吹奏楽部員とコミュニケーションが取れなくなっていく一方。そこで自分は高校3年生の頃、この先の大学入学後、同じ吹奏楽部に入ったとしても、また高校時代と同じように周りから孤立してしまうだろうなと思いました。何故なら自分は中高で5年間吹奏楽部に所属していましたが、そこでは自分のコミュニケーション能力が全く改善されなかったと感じていたからです。そもそも自分が高校で鬱を発症するに至った原因の半分以上は、この吹奏楽部で起きたとある事件がきっかけでしたからね。もはや自分は吹奏楽部どころか、女の子のいる部活全般入る気にさらさらなれませんでした。また、自分は自分の極度のコミュ障を改善させる為には思い切った方法を取らないと駄目だとも思っていました。ここまで周りとコミュニケーションが取れなくなってしまった以上、自分の根本的な部分を変えないと駄目だと思ったのです。そこで思い付いたのが「体育会系」の部活です。これは自分が人生の中で最も避けてきた「スポーツ」をする部活です。このこれまで最も避けてきた事にあえて挑む事で何か新しいものが見えてくるかもしれないと思いました。加えて、自分は自分のコミュ障の理由の一つとして、自分が自分自身に対して全く「自信」が持てていない事があると思っていました。そう当時の自分は極度に人の目を気にし、怯え、ビクつきまくっていましたから、人と相対すると頭の中がパニック状態になり、結果何も喋れなかったのです。そこでこれまで避けてきたスポーツに挑む事で、自分に自信が芽生え、そのような自分を変えられるのでは?、とも考えました。また、小学校、中学校、高校時代を通して、クラスの中心で楽しそうに喋っているのは常に体育会系の部活の男女でしたから、自分もスポーツをやれば彼らに近づけるのではないかと思ったのです。




これはいわゆる「荒療治」というやつでした。あえて自分の苦手な事をする事で大きな困難を乗り越えるというやつです。この荒療治で自分のコミュ障や自信の無さが改善する保証は無かったのですが、自分には一か八かこれに掛けてみるしか方法は無くなっていたのです。他に良いアイデアを考えてくれる相談相手など周りに誰もいませんでしたから。




ちなみに何故体育会系の部活の中で空手部を選んだのかと言いますと、それは当時プロレスが大好きだったからです。新日本プロレス全日本プロレスが好きで、深夜のテレビをよく見ていました。




今日はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!m(_ _)m





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