皆さんこんにちは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事と 人生年表&鬱悪化のフローチャートも併せてどうぞ。では、前回の記事「 号泣が止まるまでひたすら歩き続ける(2008年4月頃・32歳) 」の続きを書かせて頂きます。
☆ここから先の話は3種類の時系列が存在し、それぞれの時代の自分が存在します。
①今現在のこのブログを書いている自分(2022年8月・45歳)
②トラウマ歩きを始めた頃の自分(2008年6月頃・32歳)←これが今回の記事のメインです。
③大学空手部時代の自分(1995年〜1998年・19歳〜21歳)
なるべくこの3種類を分かりやすいように書いていきますが、ややこしくてすみません。
前回の記事は、32歳の自分が「トラウマ歩き」を本格化させた時の話を書いてみました。そして、「トラウマ歩き」の没入感が凄まじ過ぎるが故に、それを終わらす事が出来ず、6〜7時間延々と歩き続ける事態がよく起こっていた、という話も書かせて貰いました。
「トラウマ歩き」とは、歩きながら過去のトラウマを思い出す事で、それを消化する試みを指しています。自分はこの行為を2008年7月頃から始めました。この時の年齢は32歳です。この時の年齢は32歳です。ここから自分は週に3回のペースで外を歩く事になりました。1回の歩き時間は徐々に伸びていき、毎回平均4時間は歩いていた記憶です。
ここからは前回の記事をそのまま引用したいと思います。「トラウマ歩き」の没入感が凄まじ過ぎるが故に厄介な事態が起こっていた、という話になります。
『前回記事からの引用』
このように「トラウマ歩き」による没入感は凄まじいものがあり、思い出しているトラウマの記憶が尽きるまで延々と歩くのを辞められない、という事態が起こっていました。今回の記事もこの事態を考えてみます。
そう、自分が「トラウマ歩き」を始めると、当時の自分の怨霊に自分の心身を憑依されてしまいます。しかし、完全に自分の心身が乗っ取られている訳ではなく、5%くらいは現在の自分の意識が残っています。そして、心身の95%は過去の怨霊に憑依されていたのです。
例えば自分が大学空手部のトラウマを思い出している際には以下の6つの苦痛に心身を切り裂かれていました。
「喘息の苦しさ」「稽古で殺されるかもしれない恐怖」「孤独感」「無力感」「虚無感」「絶望感」
自分がこれらの苦痛をそのまま再体験していくと、その激しい苦痛で顔は大きく歪み、歩くスピードは極限まで遅くなりました。
加えて、自分の目の前の風景の色は限りなく黒に近いグレーに変わっていました。自分は歩きながら、辛くて辛くて仕方なく、悲しくて悲しくて仕方ありません。身体も鉛のように重くなっていましたし、時には歩きながら号泣している事もありました。
このように「トラウマ歩き」の没入感は凄まじいものがありました。ですから、なかなか歩きを終えるタイミングが見つからなかったのです。そう、上記のような激しい苦痛のピークで歩きを終える事など到底出来はしません。同様に、過去の怨霊に憑依され、その苦痛で号泣しているような状態で、歩き終える事など到底出来はしませんでした。
ですから、自分はトラウマによる激しい心身の苦痛が一段落するまでは延々と歩き続けねばなりませんでした。同様に、号泣が収まるまでは延々と歩き続けねばならなかったのです。そうすると、あっという間に時間は過ぎ、気付けば歩き始めから6〜7時間経っている事も多々ありました。
『引用終わり』
このように「トラウマ歩き」の没入感は凄まじいものがあり、1度それを始めるとそれがいつ終わるのか、自分でも全く予想がつきませんでした。この「トラウマ歩き」は、大体1回平均4時間くらい歩いていた印象ですが、時には6〜7時間歩き続ける事もありました。
さて、話を自分が「トラウマ歩き」を本格化させた時の話に戻したいと思います。自分は「トラウマ歩き」を本格化させるにあたり、1つ目の大学近辺に赴いた、という話でした。自分は大学近辺を歩き回り、大学空手部時代のトラウマを思い出していきました。確かこの日は3〜4時間で歩き回った記憶です。自分はこの「トラウマ歩き」を終えると、けっこうな手応えを掴んだ記憶です。その手応えで最も大きかったのは「没入感」です。
そう、前回の「トラウマ歩き」同様、今回の「トラウマ歩き」においても、その没入感は凄まじいものがありました。その没入感は前回より今回の方がより激しかったかもしれません。何故なら、前回歩いた場所は「家の近所」ですが、今回歩いた場所は「1つ目の大学近辺」でした。そして、「1つ目の大学」は、自分のトラウマが最も激しく発生した場所です。そんなトラウマが発生した「現地」で、自分は当時のトラウマを思い出しながら歩きました。「現地」でのトラウマ歩きによって、トラウマへの没入感がより激しくなったのは当然の話でありました。
加えて、今回の手応えで同じくらい大きかったものがありました。それは「懐かしさ(愛着)」です。これも大きかったですねぇ。何度も書いていますが、自分は今回の「トラウマ歩き」の中で、凄まじい心身の苦痛を感じる事となりました。大学空手部時代に自分はこの場所で2日に1回ランニングしていたのですが、その最中の自分は以下の6つの苦痛にのたうち回っていたからです。
「喘息の激しい苦しみ」「稽古で殺されるかもしれない恐怖」「孤独感」「無力感」「虚無感」「絶望感」
自分は歩きながらこれらの苦痛を思い出していきました。もしかしたらその辛さで泣いていたかもしれません。
しかしその一方、思い出す苦痛が大きければ大きいほど、自分は大きな「懐かしさ(愛着)も感じていました。それは自分が3年前に行った記憶のサルベージにおいて、以下の結論に辿り着いていたからです。
『自分の空手部生活は、3年間に渡って「殺されるかもしれない恐怖」と「孤独感」と「無力感」と「虚無感」と「絶望感」に晒され続け、鬱を3倍に悪化させただけの大学生活だった。しかし、『必死に必死に生きていた』という一点において、あれはあれで自分なりの青春時代だったのだ。』
ですから、自分は思い出すトラウマの苦痛が大きければ大きい程、それと同程度の「懐かしさ(愛着)」も感じていました。この感覚はかなりポジティブな感覚であり、「トラウマ歩き」をしている際のかなりのモチベーションになっていた記憶です。
このように自分は「トラウマ歩き」を1つ目の大学近辺で行った訳ですが、その最中の「没入感」と「懐かしさ(愛着)」は、前回を上回るものがありました。それはそうでしょう。トラウマが発生した「現地」で、そのトラウマを思い出したのですから。それはトラウマをより思い出し易いはずです。今回の「トラウマ歩き」終え、自分はこのように考えるようになりました。
『「トラウマ歩き」は、なるべくそのトラウマが発生した「現地」で、行う方が良さそうだ。』
今回の記事はここで失礼致します。お読み頂きありがとうございました!
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