みなさんこんばんはスキッパーです!見に来て下さりありがとうございますm(_ _)mもし初めてこのブログに来た頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事も併せてどうぞ。では、前回の記事「精神年齢の成長が小3で止まるとは?④」の続きを書かせて頂きます。
前回は「コミュニケーションを諦めてしまうと他人どころか自分自身とすらコミュニケーションが取れなくなり、結果自分のように精神年齢の成長が小3で止まってしまいますよ」、的な話でしたね。
さてさて、そんな感じで精神年齢の成長が小3で止まってしまった自分は、年を重ねるにつれ周りのクラスメートとコミュニケーションが取れなくなっていき、高校1年時に鬱を発症します。具体的な鬱の症状を説明させて貰いますと、その頃から日常的に食欲が全くなくなってしまったんですよ。高校のお昼休み時間になって学食行っても全くお腹が減ってない。まぁでも周りのみんなは美味しそうに食べてますから自分も一応うどんとか注文して食べてはみるものの、これがもう砂を噛んでるかのような味気なさで、全く美味しくないんです。その食欲の無さは昼ごはんだけでなく、朝も夜も同じでそんな状態が延々と続いていく。そして、当時の自分は自分自身の事すら把握できていませんから、そんな日常的に食欲がない状態が異常だとも気付いていないんですね。当然親やクラスメートや医者に相談するような事もありません。そんな感じで食欲が全くないのが当たり前の状態になり、とりあえずご飯の時間が来たから灰のような味の食事を食べておく、という生活がそこから15年以上続きました。
また、前にも書かせて貰いましたが、高校1年から自分は日曜の夜になると喘息を発症し、苦しくて夜一睡も出来ず、徹夜明け状態で学校に行くという事がよくありました。ですから学校へ行っても眠気が酷く、授業中はウトウトしている事が多かった記憶です。当然そんな状態では授業が頭に入ってくる訳もなく、成績はガタ落ちでしたね。また、一晩中喘息で呼吸ができず、必死で空気を吸おうと「ヒーヒー」言ってると、ものすごく背中が疲れるんですよ。ですから、徹夜明けで学校行くと眠気と共に強い疲労感も感じていました。
さらに高校時代の鬱的な症状で忘れていけないのは「めまい」ですね。これがまぁキツかった。学校生活を送っていると不意にものすごいめまいが襲ってくるんですよ。もう天地がひっくり返るんじゃないかってぐらいの激しいめまいで、自分という存在がこの世の中から消えてなくなってしまいそうなぐらいの圧倒的な揺れ。「次はいつあのめまいが襲ってくるんだろう」と思うと恐ろしくて仕方がなかった。このめまいに関しても自分はめまいが起こる状態が当たり前になってしまい、誰かに相談したり、医者に行くような事はありませんでしたので、原因は当時は不明です。ですが後年行った「記憶のサルベージ」において、自分はこのめまいの事を思い出しまして、「あの高校時代のめまいは何が原因だったのだろう?」と考えたのですが、そこで出た結論は「なるほど!」と納得できるものがありました。
当時の自分が感じていた「めまい」の揺れの感覚を言語化してみると「一枚の葉っぱが大海の中を漂っていると凄まじい嵐に遭遇し、その圧倒的な波風を前にただただそれらに翻弄され、蹂躙され続けるしかない」といった感じです。これってよく考えたら当時の自分の現実的な状況そのものなんですね。この一枚の葉っぱが自分で、自分は「コミュニケーション」という武器を持たず、家族や周りの人達と断絶した中で一人で社会という大海の中を漂っている事しかできませんでした。そして、コミュニケーション能力を持たない自分は、学校生活で起こる様々な出来事に対して圧倒的に無力でしたから、ただただそれらに翻弄され、蹂躙され続けるしかない。
つまり、あのめまいは「当時の圧倒的に無力で不安な心理状況が、全く言語化されず全く解決もされなかったが故に、行き場を失った莫大にネガティブなエネルギーが身体に『めまい』という現実の状況にそっくりの心理的症状を引き起こしていた」、こう考えるとすごく納得できるものがあったんですよ。つまり喘息だけでなくめまいも心因性のものだった、と。これもサルベージをしていて「なるほど、そうだったのか!」と謎が解けて気持ち良かった事例の一つです。
今日はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございましたm(_ _)m