皆さんこんにちはスキッパーです!見に来て下さりありがとうございますm(_ _)m今日も皆さんに自分の話を読んで頂けると思うと嬉しい気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事も併せてどうぞ。では、前回の記事「親に「共依存」の話しをしてみた」の続きを書かせて頂きます。
前回の記事は「親に共依存の話をしてみたら、親に余計な知識を付けてしまったw」って話でしたね〜。さてさて、そんな感じで自分は大学3年の時にゼミを辞め、就職活動も諦め、大学へは空手部とカウンセリングの為だけに通っていました。この頃になると大学内で完全に孤立していましたね〜。大学1、2年の頃はまだ声を掛けてくれるクラスメートがいない事も無かったのですが、この頃になると空手部以外の場所で人と喋る事はなくなってました。もちろん空手部内でも基本的にコミュニケーションはなかった記憶です。これまで書かせて貰っている通り、自分は高校1年生の時点で周りの同級生達と全くコミュニケーションが取れなくなり鬱を発症してしまったわけですが、その理由は「他人の顔色をビクビクビクビク伺う余り、何を喋っていいのか分からなくなってしまった」からなんですね。そして何故他人の顔色を極度に伺うようになってしまったのかと言うと、「それまでの学校生活において失言や暴言を繰り返した結果、喋るのが怖くなってしまったから」、です。さらに何故失言や暴言を繰り返してしまったのかと言うと、「精神年齢の成長が小3で止まり、学校生活での様々な経験を蓄積し、学んでいく事が出来なかったから」、という事になります。さて、ここからは自分が小3から高校1年生の間にどのような失言、暴言を繰り返してしまったのかその具体的なエピソードを書かせて貰おうと思います。また、物心ついてから小3まで間にも周りの子供達との間に「違和感」を感じる事がありましたので、まずはそこら辺からお話させて下さい。
最初に自分が周りの子供達と違和感を感じたのは幼稚園の入学式の時です。入学式の最中、周りの子供達は子供らしく無邪気にはしゃいでいたと思うのですが、そんな中自分ははしゃぐ事もせず、周りの子供達をすごく冷めた目で見ていた記憶なんですね。そう、なんだったら「あんなはしゃいじゃって子供だなぁ」と見下していたぐらいだったと思うんですよ。もうこの時点でヤバいですよね〜。子供は子供らしくはしゃぐのが当たり前の姿なのに自分はそうではなかった。自分は物心をついた3歳の時点で親や周りの大人達とのコミュニケーションを諦めていましたから、当然親に甘えたり、はしゃいだりするような事も全くなかったと思います。ですから幼稚園入学時においてもそのようなはしゃげない子供になってしまったのでしょう。
似たようなエピソードなのですが、あれは小学校1年生くらいの時だったと思います。当時うちの家族はマンションに住んでいたのですが、そのすぐ横に高速道路が走っていて、その横に土手にみたいな土の傾斜ができていたんですね。ある冬の日その土の傾斜に雪が積もりまして、周りの子供達はそこにダンボールを持ち込んでそり遊びをしていたんですよ。そして、自分もその輪の中に加わり、珍しく身体を動かす事を楽しみました。そう、普段の自分は喘息持ちでしたから、身体を動かすとすぐに息が苦しくなってしまい、運動などできない状態だったのですが、この時ばかりは喘息も出ず何度も雪の中そり遊びを楽しめたんですね。そしてその最中に自分はこう思ったんですよ。「あぁ子供らしく遊ぶってこういう事なんだな」、と。いや〜、「子供らしく」ない嫌な子供ですよね〜。自分もまだ子供なのに「子供らしく遊んでるな〜」ってwとにかく冷めていますし、この時にも周りの子供達を見下しているようなニュアンスがあります。今風に言うと「中二病」と似てるかもしれませんね。一見冷静を装っているけど、それは周りと馴染めてないが故の強がり、みたいな。そう、あの時は周りのはしゃいでいる子供達を見下して自分が優位な立場にいるような気持ちでしたが、そういうはしゃげない冷めた所が後のコミュニケーション不全に繋がっていったと思うんですよ。ですから自分が思う理想の子供時代は「親からの暖かい愛情に包まれる中で元気に野山を駆け回り、子供らしく無邪気にはしゃいで、たまにお母さんに怒られる」って感じです。
今日はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!m(_ _)m
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